白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

炭鉱閉山で九千人が消えた世知原町から発信しています、転出者からのメールをお待ちしています

2012-09-13 12:55:09 | 日記

昭和45年に飯野炭鉱が閉山した長崎県世知原町は、当時13,000人の人口が現在3,500人の老人の街と化しています。私も世知原町役場を退職して15年を迎え、老人会のお世話をしています。閉山で転出した友人との約束もあって、昔と今の写真等世知原の現状を発信しています。世知原の石炭は火力発電所や国鉄の機関車に使用されていました、当時石炭産業の国有化運動をしていた飯野炭鉱の組合長(その後教育長をしていた叔父)感化を受けたのか、私は何時もこう考えています、石炭産業の政府買上、国鉄、郵政の民営化、そして市町村の合併等で炭労、国労、自治労等の労働組合が解体して、社会党が自民党に呑み込まれました、そして原子力発電所が建設されました。これらの全てが国の策略でありこの責任は重大であると思います。炭鉱閉山で消えた街、原子力発電所の事故で避難している街等生活に苦しんでいる人々の多い今日、世知原から転出した仲間たちはそれぞれの場所で昔を懐かしみ、私のブログを見て涙しているという。メールを頂いた方々の顔を思い出しては幸せを祈っています。