地元世知原の候補も見事に三期目の当選を果した、隣接する大野地区の候補も上位に当選しました。吉井地区の候補は架橋の完成を待たず二人の候補共に当選を果すことが出来ませんでした。佐世保市内でも農山村地域に在る世知原は、町内会も区長制で区域も炭鉱閉山時のままです、区民を以て氏子とする神社の運営も封建的で何と云った行事も無く、まったく限界集落である。この投票の結果は、市会議員や町内会長に依存している地域住民の願いなのです。
県民所得は全国で43位、物価水準は九州で最高、全国で11番目に高い。選挙は議員さんの就職試験ですね、頑張って下さい。写真は、炭鉱町(旧)世知原町の繁華街
私は、佐世保市との合併に、金子町長、陣野町長、市瀬町長と三代に渡り推進してきた。その間行政幹部や町議会議員また利権に群がる傘下の反対派からは排他されてきた。しかし、長い間の同志達との教宣活動(新聞折込、文書配布、メール発信等)が功を得て、住民投票の結果、佐々町との合併を推進した町の幹部を蹴落として、佐世保市との合併(平成17年4月1日)が勝利をしたのです。ところが、佐世保市との合併に反対し勉強会を拒否した連中が町の役職に就いたが、この10年間衰退するのみであった。写真は、平成17年4月2日の「佐世保市・吉井町・世知原町合併記念式典」の様子です、この式典で合併記念コンテスト作品展が行われ、私が出展した「第7回あじさいロードウオーキング」が優秀賞を受賞しました。この式典の最初に登壇したのが私で、光武市長から賞金5万円が贈られました。以前に或る町内連合会長が云った事がある、佐々町が佐世保市に合併してから、佐々町、小佐々町、鹿町町、江迎町、吉井町、世知原町の県北南部6カ町で連合会を結成すると云ったことがある。自治会制度が進められているがどうなることやら・・
近年に成って役職や趣味を自分から辞めるようになった、町役場を退職後、昭和35年に入会した猟友会を辞めて警察に廃銃届をした、長年関わった佐々川の内水面振興協議会の副会長を辞任、10年間務めた町内会長を辞任、5年間お世話をした老人会長を辞任する等、自ら辞任をしました。今年で78才になった、歳を取ると人に会うのがうっとうしくなり、人の世話をするのが阿保らしくなったのです。そして、なぜか昔の趣味が懐かしく、最近は寒蘭栽培に熱中する一方で俳句や写真に凝ってバイクで飛び回っている。利己中心主義の人間を見るのが堪らなく嫌になったのです。「散る桜 残る桜も 散る桜」
私の庭先に咲いた山桜、奥に見えるのが佐々川です
山桜の根元に咲いていたアジサイです
私の庭先にシャクナゲが開花を待っている