白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

・・・ 新茶まつり  第28回じげもん市  「佐世保市世知原町挙げてのイベント」 ・・・

2012-05-27 20:25:09 | 日記

左から、長崎県のマスコツト「ながさき龍馬くん」 「かさべこ君」 「がんばくん」 です

 


・・・・・ 母の日の花に婆感涙・爺ちゃんは本マグロの大トロで久々の晩酌 ・・・・・

2012-05-14 09:08:05 | 日記

母の日に子供からの贈り物でした、岸和田の娘と孫から花が贈られてきた時には母の目に涙でした、婆ちゃんはこの花を床の間に置いて本マグロの大トロで満足な夕餉、爺ちゃんは幸せそうな婆ちゃんを見ながら大トロで晩酌です。これぞ年寄りの至福の一時です。感謝・感謝の余生です・・・


君子の業 ・ 「平成23年総合優勝の西海の誉、平成22年総合優勝の豊雪(花丈92センチ)」

2012-05-07 20:44:01 | 日記

君子の業

中国では蘭を培養する事を「君子の業」という、昔から「蘭を植える家には福あって悲劇なし」と云う諺がある、また、蘭の別名を「目出度草」と云う。日本でも戦前は「聖人の草」と言われ、明治天皇、照憲皇太后も蘭に大変ご興味をお持ちになり、今でも、皇居には多数の蘭鉢が所蔵されている。                                             大正九年十月に、東京日本橋倶楽部に全国から500名の愛蘭家が集まり、大隈重信公爵を総裁に、後藤新平東京市長を副総裁として、民政党衆議院議員栗原彦三郎が会長となって「大日本蘭恵会」を立ち上げ、同時に日本で始めての「蘭恵陳列鑑賞会」が開催された。民政党代議士栗原彦三郎は、日本国に自生している寒蘭を保護植物として保存するために、大正四年の議会に「寒蘭保護案」を提出して可決成立させた、この事は寒蘭史上画期的な出来事である。南光園りポートより抜粋

 


庭先の花が微笑んでいました。 「 微笑みも 言葉の一つ 風薫る 」 私の好きな俳句です

2012-05-01 10:07:48 | 日記

甘柑の下に咲いていました、昔佐世保市の馬場優さんに戴いたものと思います

平戸つつじでしょうか? 久留米つつじでしょうか? 大昔に植えた大木です

これは「キンセンカ」ですね、妻が植えた花です