私が常日頃心掛けていることは、人の優勝を妬むようになったら寒蘭展示会への出品をやめようと思っています。蘭を通じて多くの人と知り合う事ができます、その人一人ひとりがお互いに尊重し合えば楽しい蘭友との付き合いが続くと信じているからです。
写真の上部左から、旧世知原町役場、世知原小学校、右上が旧世知原町公民館です、佐世保市と合併してから世知原町役場は現在佐世保市世知原町行政センターになつているが隣接の吉井町行政センターに吸収されるという、中央の小学校は過って一千六百有余人の生徒で賑わっていた、現在二百人程度になっているのに校舎が新築された、過って一万三千人の町民を収容した町の公民館も現在は三千人程の高齢者の町と化して眠っている。この町の主幹産業であった炭鉱が閉山した時から町の騒音が消えた侭である
親は遠くに暮らす子を想い、子は親を想う、三人の子供と六人の孫に慕われて婆ちゃんは毎日元気に飛び回っています。綺麗なお花贈ってくれて有難う
長崎県立清峰高等学校は、長崎県北地域の炭鉱町村の人口増加に伴い県立北松南高校として佐々町内に設立されました。設立して一年間は生徒一年生のみです、二年目は一年生と二年生のみです、三年目にやっと一年生から三年生まで揃いましたが、我々は卒業まで先輩が無く、先生と生徒が一体となって、学校の運営に当たった事を思い出します。ちなみに当初の応援団長は不肖私下野清徳でした、戦後の昭和三十年品不足のなか爺さんの袴を穿いての勇壮です。七十五歳になる親友や同志達の多くがあの世に先立ち寂しくなりました。
写真は、11月27日の博多スターレン会場です、昔からお世話に成っている、南光園の野口高輝社長とその奥さんの教子夫人です、写真のバツクに見えるのが野口さん出展の金賞「国華」です。ちなみに私も長崎県北寒蘭会主催の日本寒蘭展示品評大会で五度目の総合優勝をしました、癌の告知を受けながらも寒蘭の育成に没頭し癌を克服しました、これ偏に野口社長を初め多くの諸先輩のご指導の賜物と感謝しています。
正面が佐賀県境の「国見山」です、手前の集落が「平家の落ち武者の里」です。この麓に沸き出でる「世知原温泉・山のれん」を一度訪ねて見てはどうでしょう
この「菰田水源地」には、私が子供の頃は私の家の下を流れる佐々川に架かっている倉渕橋から送水していた。下流の町村から水利権等の言いがかりを付けられて最近は佐々町から送水しているようです。佐世保市と小佐々町に送水して料金を取っているとか、その為に河川ダムとか云って佐々川を堰き止めて貯水しているそうです、これこそ濡れ手に粟の水商売です。この水源を守る為に植林した「森林税」等の構想は無いのか、人のふんどしで相撲を取ろうとは虫が良すぎると思う。
旧世知原町と佐世保市の境にある江里峠を下ると菰田の農村集落がある、その牛舎の上を通っている県道から太陽に向け逆光を利用してシャッターを切りました。右に見えているのが「相浦火力発電所」の煙突です、かって周辺の石炭産業を支えていたのです。
菰田水源地の直ぐ下の菰田集落の中に昔の「山住炭鉱」の跡地があった