白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

7.5号の最大の鉢に、大きい芽がで出ています、この芽に大輪の花が咲きます

2014-07-20 15:49:29 | 日記

7.5号の大鉢は「四万十川の誉」赤花です、新芽6本が出ていますが殆んどが四枚か五枚葉だと思います

7.5号の大鉢は高知産の大葉青花です、大きい新芽一本が出ています、五枚葉か六枚葉でしょう


A級戦犯の東条英機は敗戦責任は認めたが、国民に対する終戦責任は誰が取ったのか

2014-07-17 13:35:54 | 日記

A級戦犯は全て無罪である、東条英機は敗戦の責任は認めたが、終戦の時期がもう少し早かったら多くの軍人や一般人を死なさずに済んだと思う、当時の政府は国民に対する終戦責任は有ると思う。軍人は「靖国に行って待ってるぞ」といって敵艦目掛けて飛び立ったが、都民や市民は大人も子供の差別なく空襲で焼け焦げて死んだ。長崎と広島はピカと光って一瞬に真っ黒焦げになって死んでいったのです。戦争は豪華な文明国家を目指すために資源を強奪する為に人が人を殺し合う行為です。初めて砂漠「白骨の道」に足を踏み入れて死んでいった先人達は今、何を思っているだろうか。  私は戦時中杉の木で模造された「高射砲」に座って遊んでいた。 戦後、役場に就職した私は、前田町長に進言して30年代から計画に着手し、四十ha有余の国有林の保安林を解除して払下げを受け、開墾して板山機械化茶園を造成したのです。

 


角栄の日中友好で日本に石油が輸入されたが、その後アメリカの陰謀で角栄は失脚した

2014-07-13 11:15:33 | 日記

ロッキード事件は米国の罠、総理を辞任してからも影の将軍として権力を奮った前総理の田中角栄を逮捕して完全に失脚をさせたのが、アメリカのキッシンジャー大統領補佐官だったのです。ロッキード社の旅客機トライスター購入に関する事件はアメリカの陰謀だったのです。日中国交正常化の真の狙いは、日本エネルギーの自立だったのです、一般的には友好関係を確立する為に田中角栄は訪中したと言われているが、実はそうではなくて本当の目的は国益の追求と中国に眠っている大量の石油を確保する事だったのです。

アメリカに頼らない日本のエネルギーの確保、つまり田中角栄の日中国交正常化の目的は石油、それまで石油はアメリカに頼ってきた、日本は今迄アメリカの言いなりになつて来たが田中角栄は石油の独自開発に乗り出した。当時国連の調査では中国に眠る石油はサウジアラビヤに匹敵する埋蔵量があるとされていた。角栄が訪中した翌年共産国以外では初めて日本に石油が輸出されたのです。さらに角栄は資源ルートを開発する為に各国を廻った。シベリヤの市民油田、イギリスの北海油田、インドネシャ、アメノカ兵が撤退した後わずか半年で北ベトナムも国交自立した、なんと目的は石油だったのです。

角栄が資源外交で訪れた都市はヨーロッパ、アジヤに集中、そんな角栄の行動に対しアメリカのキッシンジャー大統領補佐官は角栄に驚くべき要求を突きつけた「日本が独自に資源問題の解決を図るべきではない」「日本の行動は同盟国への裏切りである」そしてアメリカの陰謀が始まった、アメリかの警告を受けながらも無視して突き進んだ田中の外交は突然終わりを告げた、1974年(昭和49)金脈批判で総理を辞任した、その総理辞任劇は、アメリカの陰謀つまりCIAが仕掛けたと言われている。このシナリオは太平洋戦争時のABCD包囲網の再来である。


板山の寒蘭です・戦時中は杉の木で作った高射砲が佐世保軍港に向けられていた

2014-07-10 13:55:26 | 日記

帯状疱疹で退院したが頭がズキズキするし、耳と頭部の疱疹の跡が痒い、気分転換で板山の花を紹介します。

写真は左から「板山の青花」         右は「板山の優美」です

   

 


・・・ 火の粉が降り掛からなければ、人が何をしようと関わりたくない ・・・

2014-07-08 20:57:45 | 日記

 昭和11年生まれの、77年の大木がパラパラト葉っぱを落とすように、最近「大腸癌」を摘出してやっと5年の監視期間を終えようとしている最中に「帯状疱疹」が発症した、耳の裏から右頭部にかけての帯状疱疹である、何の因果か七転八倒の苦しみを味わった。神にお祈りし、仏にお参りしても、人間が生かされている自然界と運命にはどうしても逆らえない。現在老人クラブの会長と県北寒蘭会(事務局長と会計部長)のお世話をしているが、全ての役職を辞して気楽な生活をしたいと思っている。最近耳にした事だが、県北寒蘭会の幹事長で世知原寒蘭会の副会長をしていた鳥谷氏を寒蘭界から追放した張本人が、県北寒蘭会に加入したがっているとの噂を聞いた、彼が入会したら私は本会を退会しようと思っている。火の粉をまき散らす下衆な人間との付き合いは懲り懲りだ。


・・・ 頭部の激痛で死の恐怖に襲われた ・・・

2014-07-07 09:26:10 | 日記

6月21日朝起きると右首筋から顔面と頭部に掛けて痛みを感じた、うつ伏せに寝ていたのでそのせいかと思っていた。翌日も右耳の後ろの痛みがひどく、頭痛を伴うようになってきた、25日佐世保市老連の会長総会の席で激痛に襲われた、会議の途中で佐世保玉屋を出た。春日町の「たけい耳鼻咽喉科」に駆けこんだが頭痛の原因が解らず、武井先生が瀬戸越町の「吉居クリニック」に紹介状を書かれた、それを持って直通した、その時は細菌性の薬を貰って帰宅した。26日頭痛が酷く湿疹が出来たので、見やすくする為に頭と顔の髭をバリカンで切って吉居クリニックに行くと、先生がやっぱり出たねと云って「帯状疱疹」の診断をされた。抗ウイルスの薬を貰って帰るが痛みが酷く、翌々日の28日吉居先生の紹介状を持って「久保内科病院」に行った。即7日の入院を決めて個室312号に入った、午後二時からの点滴開始で闘病生活に入った。一日に午前6時と午後2時と午後10時の3回、7日間抗ウイルスの点滴を続けなければならないので一週間の入院となった。退院したが痒みや痛みは続いている、大腸癌を摘出して4年目に「帯状疱疹」である、死は常に覚悟しているが臨終の時の激痛は御免被りたいものだ・・・