無名の更紗です、一つの鉢に四本の花が咲いていました
西彼杵産の「白西の誉」です、22年に厚生労働大臣賞を受けた鉢の分木です、格安で譲渡します
西海の誉 ・ 西彼杵の白西二の谷産です
天馬 ・ 徳島産です
紅小麦 ・ 西彼杵産です
青大輪 ・ 産地不明です
左は、更紗の特上花、土佐産です。 右は、西彼杵産の赤無点系の大輪花です、咲き始めで花型が整っていません
無名の「更紗一文字」大輪で、土佐北川産、咲き始めなので花の形が整っていません
南光園登録の「一富士」です、日向産の青大輪で舌点珍花です
平成22年11月長崎県北寒蘭会主催の「日本寒蘭展示品評大会」で奇跡が起きました。天賞の棚に私の氏名が七本揚がりました、先ず中央に名誉会長石本順之助氏からの総合優勝、続いて農林水産大臣賞、文部科学大臣賞、厚生労働大臣賞、後援者の長崎新聞社長賞、佐世保市長賞、石本名誉会長賞と七冠を獲得しました。
衆議院議員の宮島大典先生が今回の組閣で「防衛大臣政務官」に着任されました、心よりお祝い申し上げます。宮島先生は我が県北寒蘭会の名誉顧問をして頂いており、常日頃からお世話を掛けております事にお礼申し上げます。今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。
佐賀県産の青花大輪です 世知原門桜産の赤花です
総合優勝者には、故人石本順之助氏の優勝旗が授与されます。石本直大名誉会長から優勝杯、準優勝杯、天賞者には盾が授与されます。三大臣賞として、農林水産大臣賞、厚生労働大臣賞、文部科学大臣賞が授与され、後援者から長崎新聞社長賞が、長崎県知事賞、同県議会議長賞、佐世保市長賞、同市議会議長賞、テレビ佐世保賞、松浦蘭友会長賞、長崎県北寒蘭会長賞等多くの賞を用意しています。その他入賞者には記念品を用意しています、展示品を持参しての当日入会を歓迎します。
展示品の持ち込みは、平成24年11月16日の午前8時30分から10時30分です、お気軽に展示品を持ち込んでください、なお、展示会は、17日の9時から18日の3時迄、場所は、佐世保市下本山町公民館
昨年は70本の支柱を立てました、今年は50本程度にしたいと思っています。写真左の麦の穂程度では展示会には開花しないのでは、右は早く咲きすぎるようです。昨年は「西海の誉」で総合優勝をしました、尚前会長の登録品である「宝心」が天賞に入り、故人の思い出を語る事が出来て良かったと思います。今年は、田中眞紀子文部科学大臣賞の受賞が出来る事を心に秘めています
左後が、炭鉱の事務所(現在の社会福祉協議会の施設が建っています)です、その右隣が石造りの事務所本部(現在の炭鉱歴史民俗資料館)です、その手前が炭鉱の資材置き場です、左の水路の上側が鉄道です。この写真は松浦炭鉱のグランドを出発したメーデーが行進している風景です
正面にボタ山が見えます、駅前から松浦のグランドに続く炭鉱のメイン道路です。左側が鉄道と石炭ポケット等が在り、右側が炭鉱の事務所、資材置き場、火薬庫、炭鉱の娯楽施設、社長宅が集中しており、その背後に佐々川が流れていました
写真左が、旧世知原駅、現在の「躍進の泉公園」です、正面に旧ボタ山が見えます、現在は、ごお・ごお・ごお健康公園になっています、左の道路が旧鉄道、メーデーのメイン道路が盛り土して赤色の歩道になっています、右側の炭鉱住宅の地盤より現在の道路は大分かさ上げしています。右側の炭住跡は新興住宅に変革していますが、右は炭住のまま払い下げされました。
明治29年(1896) 松浦炭鉱降炭鉄道完成以来、長崎県北最初の鉄道として小佐々の臼ノ浦港まで石炭を運びました。写真は、昭和28年頃、世知原駅の踏切を通過する石炭輸送の貨車を見送る人達です。
写真の右上が旧世知原駅跡の「躍進の泉」です、旧踏切で石炭を積んだ貨車を見送っている人々は、手前の横断歩道の右下付近に立っていました。
左中央に世知原駅と踏切が見えます、正面奥が石炭のポケットです。近道の線路を歩いて松浦病院に出勤しています
この写真は、世知原駅前から松浦病院のを向いています、この鉄道跡地は生活道になっていますが、何故か病院に併設したグリーンホームで遮られています
右の建物が、昔の鉄道用地(自転車道路)を跨いで建てられている松浦病院です、左が警察の官舎です。この写真は警察官舎横の四差路から旧世知原駅を向いています、左奥に見えるのが東八天岳です
左の建物が、元松浦病院前の鉄道の先に新築された新しい松浦病院です、診療科目は精神科が主体のようです、左側の吉井町から右方向の世知原街中の本道りに向かって赤い車が走っています。正面上から手前に走っている道路は、松浦市から佐世保市に通じる県道です、 この県道には、農林省予算で新設された幅員8mの農道が木浦原で接続しています、この道路は、私が産業振興課長時代に、旧田平町 、松浦市、旧江迎町、旧吉井町を通って世知原町の木浦原まで、1市4ヶ町に接する農道を新設したものです、この農道を通って各市町村の農産物が大阪や東京方面に運送されるものと期待しています