白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

・・・ (旧)世知原小学校周辺の昔と今 ・ 戦時中に相浦海兵団数百名が校舎を専用した ・・・

2012-04-17 10:37:12 | 日記

明治25年に従前の旧校舎を解体して、現在地に中央校舎が新築されました、大正4年大正天皇御大典記念として羽付に運動場が建設されました。昭和20年の初め戦時中の状況ですが、相浦海兵団数百名が校舎を専用した、校舎を兵舎に使用された為に当時の児童達は学習にも不便をきたしたが、高等科二年生は佐々方面、臼浦方面へ砂利運搬や石炭を貨物船に積込む運搬作業に、連日通っていたのである。昭和22年4月1日校名を世知原町立世知原小学校と改称されたました。

 ピーク時の昭和34年の児童数は2,269名、学級数は43クラスで教員数は48名でした。ちなみに当時の人口は、凡そ13,500人で3,000世帯でした。その8割りが炭鉱人口だつたと云われている。昭和45年の炭鉱閉山で住民の大量転出により町は過疎化となり、現在の実質人口は、凡そ3,000人、生徒数は2百数十名です。佐世保市に合併された現在耐震構造の校舎に新築されました。児童の姿も見えない全く生活観の無い校舎です。影では税金の無駄遣いだという声も聞かれている。

小学校の正面入り口です、上部には飯野炭鉱の選炭場が見えています

現在出来上がりほやほやの佐世保市世知原小学校の玄関です、人の姿は全く見られません。

佐世保市世知原小学校の全景、校舎、体育館、グランド、遊具の全てが新品です

大正11年5月に東校舎が増築落成、右が小学校講堂です、昭和14年10月飯野商事松浦炭鉱の寄付で西校舎が増築されている。この写真は昭和30年代飯野労組の幹部達と社会党委員長(中央)浅沼稲治郎氏との記念写真である。

 


・・・・・ 春爛漫 ・ 朝陽を浴びて庭先の草花が背伸びをしています ・・・・・

2012-04-16 10:50:49 | 日記

 

大昔西彼杵の山から採取した「石楠花」です、今は「泰翔」や「日本一」や「大魔王」などの産地で有名です

     

    左は、妻の両親と京都のキリン工場見学に行った折種を採取した「白山吹」です       右は、「かきつばた」かな?

     

   左は、中国産の「老爺柿」のつぼみです、雄と雌の花が無ければ受精しません              右は、牡丹です

今年は、90鉢程度春の植替えをしました、此処に見えているのは、「日本一」と「泰翔」と「大魔王」と「無心」と「泰白」とスターレンの天賞花等の分け木です、何れも1芽(一本)数十万円します。この寒蘭の道は趣味ではありません、道楽ですから誰でも心して始めなければ「寒蘭病」に罹ります、私は癌から立ち直った褒美として購入して栽培しています。誰でも毎年一度咲く花を観るのが楽しみに生きているのです、だから「寒蘭は長生きの花といわれているのです」


西海橋の渦潮と桜見物に出かけた(4月8日)、75才以上は佐世保市内のバス料金は無料です

2012-04-11 09:42:45 | 日記

西海橋は、私が世知原役場に就職した年の昭和30年に開通しました。長崎県佐世保市と西海市の間にかかる上路式ブレースドリブ固定アーチ橋です、建設当時は東洋一と云われていました。現在はこの橋の直ぐ横に新西海橋が架かっています。

平成18年に開通した新西海橋です


・・・ 世知原町・七曲がりの桜並木も満開です ・・・ 「大正八年頃県道開通記念に植栽された」

2012-04-07 09:20:12 | 日記

竹山の手前に見え隠れしているのが私の家です、右上の赤い建物が公民館、中央が新築の小学校その下が元の町役場です

七曲がりの桜並木の入り口には佐々川上流に架かる「倉渕橋」があります

七曲がりの桜並木の入り口です、この桜は県道開通記念に世知原町長田代の江里峠から木浦原の椋路木峠まで植樹されました

弦掛公園入り口の老桜です、左上に見えるのが私の自宅です

私の竹山から見える山桜です

七曲がりの桜の向こうは世知原町の街中が見えます、左下の青屋根が元の町役場、その右上が新築の小学校です

左に車が見えている所が「下羽付西肥バス停」です

桜の向こうは松浦病院です

下羽付西肥バス停です、直ぐ下に屋根が見えていますこれが私の自宅です、寒蘭も格安でお譲りします、遊びに立ち寄って下さい

自宅上の桜並木です


寒蘭の植替えをした鉢が今日で八十七鉢です、写真は植替えてから四年目の鉢と根の状態です

2012-04-05 20:02:49 | 日記

寒蘭の根が鉢に着いています、この鉢は最大の7.5号鉢です。鉢底の鉢皿を割って石を取り出してから蘭を引き出しました。

この鉢は6号です、根が鉢皿から出てします、春の植替えを原則にしているので四年目の植替えでは、根の半分を切り捨てます。植替えは根を捌く事が目的です、それでも植え替えてから二年目には鉢底から根が出てきます。


 炭鉱閉山前の世知原鉄道と閉山前後の駅周辺 ・ 「思い出の写真を集約して掲載しています (1)」

2012-04-04 18:55:16 | 日記

世知原線を走る「C11機関車」松浦炭鉱病院の玄関から昭和30年代に木浦原方面を望んで撮影されたものです

 

炭鉱全盛期の世知原駅です、石炭貨車の引込み線が手前に見えています

昭和20年代の世知原茶市の風景です、左の大きな建物が炭鉱の資材倉庫、向かいの建物が世知原駅で客車が停車しています

世知原駅の踏切です、右側に終点の世知原駅がありました。正面の山頂には未だ植林がされていません

左が炭鉱の資材倉庫で、右が世知原駅です、この駅前広場で「世知原茶市」が開催されました

 

炭鉱閉山後の世知原駅です、石炭の貨車引込み線路は撤収されています、鉄道敷地で子供が遊んでいます

昭和20年代、開作公民館前の農村風景です、当時牛が役牛として運搬や農耕を担っていました

 

 


 ・・・・・ 世知原地区の老人クラブ連合会で鹿児島県に観光旅行しました 「曽木の滝」 ・・・・・

2012-04-03 10:51:58 | 日記

左から、私の生涯の愛妻です、後方に控えしは私の旧友です、この「曽木の滝」は必見、私の一押しの推薦です

高さ12メートル、滝の幅は210メートルと広く、「東洋のナイアガラ」と呼ばれている。加久藤火砕流の堆積物によつて出来たもの。千畳岩などが見られ、川内川流域県立自然公園の指定地域となつている。「曽木の滝公園」として整備されており春は桜やツツジ、秋はもみじが周辺を彩っている。