白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

・・県立北松南高校(清峰)の設立第一回運動会の最初の応援団・と設立当初の校舎です・・

2011-09-29 16:32:32 | 日記

前列中央が学校設立当初の応援団長をした小生です、後方が木造の校舎です。

下の写真が設立当初の県立北松南高等学校(現在の清峰高校)の校舎です。

 


・・・・・自宅横の道路側に彼岸花が咲きました・私の県道公園です・・・・・

2011-09-27 19:50:14 | 日記

今日は朝から老人会のクラブ会長会議でした、途中でシャデーサラダ館に寄って長崎県北寒蘭会の優勝杯等を注文した。会議は午前中に済んだので、久々に原付バイクで鹿町温泉センターに云った。この写真は私が県道側に植えた彼岸花です。


・・・長崎県北寒蘭会主催「日本寒蘭展示品評大会」のお知らせをします(11月19日と20日)・・・

2011-09-25 10:42:22 | 日記

 

(写真は平成19年総合優勝者)

開催月日は、平成23年11月19日(土) 9時から16時30分まで、と11月20日(日) 9時から15時までの二日間です。 開催場所は、佐世保市下本山町公民館で開催します、多数の御観覧をお待ちしています。事務局 下野清徳のメールは、kanran@i-next.ne.jp


・平家落人伝承の舞台は・佐々川上流(開作)と福井川上流(福井・木浦原)に集中している・

2011-09-18 21:47:25 | 日記

写真は、現在の開作公民館前付近、昭和25年頃農耕牛を引いて水田に向かう風景。この開作には、平家落人の古い伝承がある。先祖が阿波国から移住したという伝承と、明治初年頃まで阿波言葉を使う人が住んでいたこと、阿波から持ってきたという仏像が、内海康幸氏、野本氏、立木俊春氏の三軒に所蔵されていること。開作免で最も古いといわれている内海氏の先祖の墓が「阿波様」と呼ばれていることである。国見山の裾に「平石」と呼ばれる山の傾斜面がある。昔は、このあたりが開作免の「姥捨て山」であつたという、このあたりで、木炭を焼いていた人々の間では、姥が捨てられた場所に、炭窯を造ると必ず「タタリ」があると信じられていたそうである。・・・


・・・「炭鉱のあった町」の以前の記事は、白骨の道「下野清徳の回顧録」にリンクして見て下さい・・・

2011-09-18 06:56:08 | 日記

  

        前の記事を読まれる方は 

    http://blog.goo.ne.jp/simono72 白骨の道「下野清徳の回顧録」にリンクして下さい

               


・前編を見る人は、白骨の道「下野清徳の回顧録」をクリックして下さい・・新規登録してすみません・

2011-09-09 16:36:28 | 日記


佐世保西海パールシーで、幼かった孫達の夏休みです、あの頃が懐かしい・・・

● 前編の、白骨の道「下野清徳の回顧録」を読む人は、 http://blog.goo.ne.jp/simono72   を検索して下さい


・・・癌告知・・「リンパ節三期大腸癌」・再発の確立30%・抗癌剤再発防止効果50%・・・

2011-09-09 09:17:36 | 日記


●診断 : 2010-03-08 
切除した大腸にはがん細胞は残っていませんでしたがリンパ節に転移がありました。段階を4つに分けた場合3期に相当します。再発が起こる確率は1期であれば5%程度、2期で15%、3期では30%です。
肺や肝臓などには転移は見つかっていません。今後、再発を予防するために抗がん剤の内服をお勧めします。抗がん剤を半年間のむことで、再発の危険が減ることが証明されています。ただ、副作用がありますので良く考えてはじめましょう。手術後5年間経過して、再発する確立は0.6%と非常に低いです。5年間経過を見ることにしましよう。

●診察 : 2010-04-22 
リンパ節三期大腸癌(S字結腸癌)の術後の再発を軽減する為に、抗がん剤の投与をお勧めします、リンパ節切除後目に見えない細胞レベルのがんは残る可能性がある。根治術後に補助化学療法を行う目的は、細胞レベルのがんを根絶やし再発を抑えるものです。抗癌剤投薬を一年の予定で実施しています、4週28日毎日服用して7日間休みで1ケ年間服用します、それでもこの抗癌剤投薬の再発防止効果は50%であり、副作用による死亡率も2%でありますが投与をしますか、先生の問い掛けに私は承諾をした。抗がん剤は、ユーゼル錠とユーエフテイ、 投与開始日は、4月23日から一年間、朝6時・昼2時・夜10時に投与をしますので頑張って下さい。

●経過 : 一年間の抗癌剤投与では全く副作用がありませんでした、私は癌なんかには負けません。子供や孫に励まされて、自分の趣味である、寒蘭・老爺柿・囲碁・俳句・鮎釣り・そして最後に私の回顧録を出版するのが夢です。病気を友に病院と仲良くしてまだまだ頑張ります。

・・・昭和30年代世知原線を走る「C11機関車」・場所は旧松浦病院前、背景に木浦原の積雪が見える・・・

2011-09-04 08:47:02 | 日記
明治29年(1896)松浦炭鉱降炭鉄道完成以来、長崎県北最初の鉄道として小佐々の臼浦港まで石炭を運んでいた。世知原町北川内出身の中倉万次郎翁は大正13年1月衆議院議員を引退するまでの21年余り議員生活していたが、その後鉄道会社を設立いて、佐世保から松浦半島を回る伊万里に通ずる鉄道を敷設して、石炭産業と地域振興のために鉄道運営に貢献された。この世知原線は昭和46年12月26日に廃止された。