白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

昭和30年代の世知原町の繁華街「炭住の残りし路地や猫の恋・岳陽」

2015-02-25 13:53:17 | 日記

写真左の手前から親和銀行支店、その先が世知原町の郵便局です、次いで成田薬局でその先に女郎宿があった。その女郎宿の前が世知原町の役場でした、或る時役場から道路越しに見ていると、若い米軍兵が三人居て股間から大きい物を出して立ち小便をしていた事がある。戦後10年後の昭和30年に私はこの役場に就職して42年間奉職した。この頃の冬は必ず雪が積っていた、人口は13,000人でした。電柱に産婦人科の看板が見えるように人口が激増していた。役場は四役に職員が私を含めて14名だったと思う。 


「着ぶくれて 仕草に見ゆる 妻の老い」 下野岳陽

2015-02-22 14:06:41 | 日記

私も最近老いを感じるようになった。現在世知原老連のクラブ会長を仰せつけられているが、来年度は11クラブの内半数が辞退するようだ・・この頃の若い会長は先輩に敬語で話さないし、また小学校の子供えの昔話で戦争の話をした先輩を批判してその会長は早々に辞任された。会議でも上から目線で答弁するありさまだ、全く誰が議長なのか解らない、議会事務局長を務めた私には、老人を誹謗するクラブ会長が存在する会議には馴染まないのでクラブ会長を辞任しようと思っている。78才になった今、私は元気でバイクを乗り回しているが、この他に趣味の会をお世話しているので結構毎日多忙な日々を送っている。処で、寒い夕方等には、人生の師である、元農協組合長他有数の重要職責を全うされた、中村春光師の面影を懐かしく思い出す時がある。御無沙汰をお許しください。写真は、昔の万国旗が張られている世知原老連の演芸会の風景です。