白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

未必の殺意 「軍靴の 近ずく音や 昼寝覚め」

2015-05-26 18:32:58 | 日記

殺人には、確定的殺意と、未必的殺意がある、「確定の殺意」とは、殺してやる、との意思を有する場合。「未必の殺意」とは、殺してやるとまでは思わないが、死んでも構わないとの意思を有する場合だそうです。長崎県北寒蘭会の元山口会計部長は孤独死をされたと聞きました、又、展示会の或る時、奥さんが寝たきりなので昼飯を食べさせに自宅に帰っていたら、その彼に対して誹謗中傷した会員がいたそうです。ところで私が県北寒蘭会の会計係を引受けた理由は、川淵会長の辞任に伴い、県北寒蘭会は解散止む無しの状況にありました、そこで鳥谷幹事長か石鞍会計を会長に擁立する動きが出た、私は鳥谷氏から相談を受けて承諾をしていたが、展示会場借上げの都合があるからと言って会計係の相談がありましたので、平成17年9月30日に会計係を引受けた。その後再三辞任のお願いをし、平成20年5月20日付けで会計部長の辞任願を出しました。その後21年12月9日に体調不良で佐世保中央病院に検査入院、22年3月3日に大腸癌(S字結腸リンパ節三期癌)を摘出、その後一年間抗癌剤の投与をうけました、今年の27年3月3日の観察期間5ケ年間を経過して一応安心しています。私は今年の展示会を最後に事務局長と会計部長の役職を辞任したいと考えています。ところで合併の話も出ていますが、長崎県北寒蘭会の発足は衆議員を始め県議、市長などの政治家が関与した九州一円の会員を有した寒蘭会であり、農水大臣、文科大臣、厚労大臣を始め県知事、佐世保市長、各議長から新聞社等の褒賞を有して発足しましたので、各地域の寒蘭会は、それぞれクラブ単位の品評会を楽しみ、技術が向上した者が県北寒蘭会に加入するほかに方法はないと思われます。写真は、総合優勝、農林水産大臣賞、厚生労働大臣賞、文部科学大臣賞、佐世保市長賞、長崎新聞社長賞、長崎県北寒蘭会名誉会長賞の七冠を受賞した下野清徳氏の想いでの写真です、この年、私は大腸癌を摘出して抗癌剤の投与中でした。

写真上は、農林水産大臣賞、厚生労働大臣賞、文部科学大臣賞を授与される元衆議院議員宮島大典先生と三大臣の表彰を受ける

佐世保市世知原町の「下野清徳氏」です

写真上、農林水産大臣賞は「呑竜」、総合優勝は「豊雪」です

写真上、文部科学大臣賞は「西海の誉」、厚生労働大臣賞は「谷神」です

写真上、長崎新聞社長賞は「日向の誉」、佐世保市長賞は「土佐茜雲」完全無点です

写真上、長崎県北寒蘭会名誉会長賞は「月の誉」です

農林水産大臣賞の「呑竜」

 


「ひいきの引き倒し」と「空気の読めない人」が来て世知原寒蘭会が解散した

2015-05-22 08:22:19 | 日記

世知原寒蘭会の全盛期の展示会風景である。今ここに記載する事は、私が日記として私のブログに記録するもので、決して他人を誹謗中傷するものではありません、世知原寒蘭会が解散した理由について事実を記録したものです。鳥谷副会長は、展示会を殆んど一人で仕切る一方入賞も多く、松田会長が入賞する事はまれであった、そこで他所の寒蘭会長を始め多くの参観者は副会長に群がっていった。また、忘年会に鳥谷副会長が個人付き合いしていたよそもんを、松田会長を無視して招待した事などで、松田信夫会長と鳥谷副会長の確執が始まり、松田会長と会計係が役職を辞任した、その結果会員などの反逆で、鳥谷副会長は世知原寒蘭会を追放された。世知原蘭会の宴会に第三者が参加することを、松田会長も世知原寒蘭会の会員全員が快く思っていなかったのです。松田信夫氏が会長を辞任し鳥谷副会長と次期会長に指名された私(下野)が退会して世知原寒蘭会は解散した。(私のブログは・ツブヤキ日記です)

この上下の写真は、佐世保市と合併する前の世知原町公民館での展示会の風景です、この展示会の取り仕切りの殆んどは当時の副会長(鳥谷不可止氏)でした、元世知原役場の同僚として感謝しています。

この写真の上下は、世知原町の文化祭のメインであった「世知原寒蘭会主催の展示会」を松田信夫会長が独断で脱会した、世知原町の文化祭を脱退したのです。そこで在職中に私が関わった「国見の郷」で実施した。現在は私が推薦した、内海安巳新会長の元で展示会が行われています、以前の会員の半数は亡くなり若手会員で張り切っています、以前出展が多かった副会長は退会し、私も県北寒蘭会のお世話で出展出来ませんが、世知原寒蘭展示会を見てから長崎県北寒蘭会の展示会を見に来るお客さんが多いようです。展示会は同日の11月14日と15日に開催します。昔から世知原寒蘭会にはよそ者は入れないのです


長崎県北寒蘭会も今年を最後に解散止む無しの状況です「硝子窓 ぺたぺた登る 蛙かな」

2015-05-18 09:59:18 | 日記

寒蘭界もバブル崩壊後投資価値がなくなり、又乱獲で寒蘭自生地への立ち入りが制限されるなどで、寒蘭会への加入者が激減しその為役員の高齢化で、運営が困難となりました。全国寒蘭展示会や長崎県単位の展示会等が行われずに衰退の一途をたどつています、過って県北寒蘭会は顧問に衆議員議員、県議会議員、佐世保市長等が顔をならべ、数百人の会員を有していました。当時世知原寒蘭会の30名程の会員全員がこの県北寒蘭会に加入していたが現在は私一人である。最近は、こうした正式な会議に加入する者が少なく、栽培者が老齢化した為に数人の仲間でクラブを作って品評会を楽しんでいる状況です。私も各寒蘭会の合併を促しているが、市町村合併と同じで会長は保身のために合併に反対の様です。このままでは各寒蘭会が崩壊するでしょう、そこで、近隣の世知原寒蘭会、佐世保寒蘭会、県北寒蘭会、佐々寒蘭会等で、寒蘭会の将来を考えている同志に呼びかけたいと考えています。写真は、長崎県北寒蘭会主催の日本寒蘭展示品評大会の受賞風景です。


佐世保市と合併してから10年を迎えた、住民は行政依存の体質から脱皮していないようだ ?

2015-05-16 07:14:27 | 日記

写真は、手本にしている老爺柿の盆栽です、私が退職してから播種した苗が20年程になります、今年は受粉も良くて鉢に植えた雌柿が沢山に結実しているので楽しみです。柿の実の盆栽も完成を目指して20年の歳月を要しました。その大昔、世知原村は450町歩の水田に450戸の農家が住んでいた、そこに炭鉱開発で人口が激増した町です、私は、炭鉱全盛期1万3千人の世知原町が炭鉱閉山で人口2千人の集落に定着すると予想していた。私は78才の老人二人暮し、妻は玄関先の階段でこけて弁慶の泣き所を怪我した、その後続いて関節の痛みで水を抜いた、今日は早朝に大きな百足に咬まれた。これが老人の生活なのです。過って70人程在職していた職員は消え、議員も居なくなった町の庁舎は、佐世保支所に変わり数人の職員が常駐している。これが限界集落の現状なのです。町内会は行政や炭鉱に依存していた体質から脱皮していないし、全く自浄能力はない。今朝早くから雨が降ったいる「散る桜 残る桜も 散る桜」この句を思い出しています。