白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

菊池寛原作「藤十郎の恋」 ・ 「お梶」 を熱唱するパピヨンのママさん

2014-04-30 11:51:37 | 日記

世知原町の第三老人会で伊万里の温泉白磁の湯に日帰り宴会をしました。「藤十郎の恋」お梶を熱唱するこのママさんは、帰ったら自分のお店パピヨンのママさんとして働きます、本人は、宗山流胡蝶さんに成りきっての熱演です。世知原に来たらママさんの店「パピヨン」に寄って下さい、私も在職中には大変にお世話を掛けたお店です。

替え歌を熱唱する私の親友です

 


世知原栗迎第三老人クラブが 「伊万里温泉白磁乃湯」 で気勢を上げる

2014-04-29 11:36:19 | 日記

私たちの老人クラブを組織する地域は、その昔、駅通り、駅一、駅二、と云う集落で世知原町の中心地にある繁華街でした。今は炭鉱が閉山して駅も無くなっていますが、老人会の皆さんは女性が中心になって元気で働いています、その職種は、西肥バスの停留所からクリーニング店主、飲食店のママさん等の現役老人クラブ会員です。また工事屋さん、学校の先生に元公務員や元朝日新聞の退職者等と老若男女が働いている地域です、グランドゴルフをして遊んでいる人はいません。なんとここの会員は101才を先頭に90才以上の会員が8人で、昨年も亡くなった人はいません。この会のモツトーは、総会では全会員に幕の内弁当をお配りします、老人会の演芸会には多くの会員が参加します、日帰り温泉旅行では、三千五百円の会席料理、入浴料、飲物、カラオケ、舞台付部屋代、バス代全て含んで、個人負担は2,000円です。働く老人クラブはストレス解消で長生きしています。(会長は、不肖下野清徳です)


・・・ 人生なんて何処かで帳尻が合うように成っているもんですね (その7) ・・・

2014-04-21 19:19:26 | 日記

私が在職中の話です。市町村合併について町長に対するアンケートが、県知事から町長宛てに送付されてきた。町長からこの書類の作成について私に依頼された。私は調書を作成して知事に回答した記憶がある。この時の陣野町長の回答は金子町長の政策を尊重して「世知原町は佐世保市との合併を希望する」との回答でした。この陣野町長が四期目で辞任するとの表明をしたことで、その頃議会では安永美佐男派と世知原周次派に二分しており、建設業社長の議長安永美佐男氏の選挙運動が潜行していた、ところが突然に安永議長が立候補を目前にして重病のために入院し、安永氏は後任に町議二年目の市瀬健爾を指名した、前町長の陣野氏も市瀬議員を支援したのである。安永議長の代理町長として市瀬健爾氏が見事に町長に当選した。当選後の市瀬町長は建設業者の同窓生仲間と結託して「談合三兄弟」の噂すら立っていた。そこで安永議長は政敵の世知原周次氏を二期目の町長選挙に立候補させたが完敗した。市瀬町長は安永建設に対して公共工事の指名停止を行ったのである。

その頃、議長の安永美佐男氏と元町議の鴨川善光氏と私の三人で密談した事がある、私と鴨川善光氏は安永議長に立候補を要請したが彼はこれを強く拒否した。そこで、松田郡四郎元町長の長男で、私が事務局長時代の農業委員会長を推薦した。応援には世知原周次氏、元建設課長で安永建設に天下りした吉居君と大野君を付ける事を助言した。結論に至らず安永議長に検討を要請して私一人が安永豪邸を出た。いよいよ選挙戦が始まった、事務所は元スーパーが倒産した店舗跡である、私が事務所を片付けていると、世知原周次町議、野口市長候補、宮島衆院議員候補等の選挙事務所を常に仕切っている女性が来て準備を始めた。そこに鴨川善光氏と松田候補が現れ、吉居正雄、大野実君等数人が集まって事務所開きの準備が整ったので私は帰宅した。

いよいよ選挙戦が始まった、市瀬健爾候補の後援会で安永議長はこう挨拶した「世知原の町長には市瀬健爾候補のほかには居ません・」と言い放ったのです。松田氏の立候補を擁立した安永美佐男氏が市瀬健爾候補を支援した、その結果松田候補は無残にも完敗したのです。市瀬町長は当選後に安永建設を世知原町の公共工事の業者に指名した。

その後鉱害復旧工事で富を得た安永議長は急死して叙勲を霊前に飾りました。元町長の陣野氏は退職後事故を起して車椅子で余生を送っている、現職の市瀬町長は「強姦未遂で逮捕され」テレビ新聞でその醜態を全国にさらしたのです。元議長の世知原周次さん、元農業委員会長の松田さん「抱き捨つる 石に眼くらむ 畑打ち」この俳句のように地を這いずり廻って生きましょう。人生なんて何処かで帳尻が合うように成っているもんですよ。・・このブログは個人を誹謗中傷したものではありません、その人の運命の無常さを思い出すままに披歴しました、憎まず、恨まず、全てを許して余生を送りたいものです、一休さんの遺言書にも「どうにかなるさ」と書いてあったそうです。

場所は、現在の松浦病院の前です、写真は、炭鉱閉山前の「吉井・世知原線」です


     ・・・ 白西平一の谷産の 「蘭王」 です ・・・

2014-04-20 14:07:39 | 日記

長崎県白西平産の更紗について。昭和三〇年頃、肥前地方の白西平の坪から採取した寒蘭苗から大円舌無点の素晴らしい寒蘭の花が咲きました。地元の西彼町、西海町又、佐世保地区の先達の方たちによって早咲きの秋蘭として栽培をされていましたがその後、寒蘭ブーム到来と同時に人気高騰して県北地区の「秘蔵の寒蘭」として少し遅れて世に出た絶世の銘花の展示会用の大株です。後年、県北地区では各地の蘭会で白西平産の更紗無点花が多数命名登録をされていますが谷を挟んで左右の「一の谷」と「二の谷」から採取をされた更紗花は大別して二通りに分かれます。一の谷からは「泰翔」「日本一」「力王」「天彦」などが知られています。二の谷からは「憧心、大雄、西誉、明神、寿心、王心、悠鳳、大隆、大神、眞心、誠心、無心、千鶴の舞,大美の華,西寿、西鷲、大幸望、紅鳳翼、西海の誉、白西錦」と、大変多くの花が各会で登録をされています。端的にその特徴を言うと「一ノ谷」の坪の花は花弁に厚みがあり葉性ともにチャボ風の特花で魅力に富んだ今尚、流通数の少ない超高級品種となっています。「二ノ谷」の花の特徴は古典的な切れの良い展示会向きの銘花です。こちらは現在増殖株も増えてはいますがその割に大株の流通は殆ど無く、全国更紗系の中の一級の人気種となっています。写真は、一の谷の「蘭王」です

 


「 抱き捨つる 石に眼くらむ 畑打 」 ・ 陣野翆城月 昭和二年の俳句です

2014-04-17 08:51:14 | 日記

大正十三年の「ホトトギス」高浜虚子選に、「遠野火や よびかわしつつ 相別れ」陣野翆城月の俳句があります、翆城月翁の業績は偉大で三千句が読まれており、今なお郷土の俳人によって継承されています。私下野岳陽も今日の天気に浮かれて俳句を読んでみました、「腕太き 老人が居て 耕せり」下野岳陽、失礼しました。 陣野翆城月翁は世知原町の木浦原の出身です、俳句に寒蘭・えびね・山野草と多趣味でした。


・・・ 小さな農山村の小さな政治屋達の生きた道 (その6) ・・・

2014-04-13 14:45:17 | 日記

退職後間もない、大昔の話である、農協関係の首領から、明日自宅に来てくれんねと電話が掛かった。尊敬している恩師からの呼び出しである、心当たることもなく出かけた。応接台の上には携帯電話が三個か四個置いてあったと思う、私を前にして彼は突然に市瀬健爾町長に電話を掛け始めた(要点のみ記載する)・・下野さんを社会福祉協議会の事務局長に使ってはどうね」と話していた。電話が切れてから彼は私にこう告げた「いま市瀬町長に話したら、下野さんは世知原週次派だから使わんと言ったよ」と話した。私は、彼に就職の事を依頼したこともなく、以前に陣野町長から「退職したら社協に勤めたらと」言われた時にも、退職後は何処にも働かないと辞退していた通り、彼の仲介もはっきりと辞退した。彼の好意なのか市瀬との芝居なのか、私には全く興味がなかった。その後、市瀬健爾町長は「強姦未遂事件を起して逮捕」されて、テレビ、新聞でその醜態をさらした。≪情け掛けるやつを間違えたら、命なんぼあってもたまらんで、(ヤクザ映画のセリフ)≫

「 散る桜 残る桜も 散る桜 」佐世保市世知原町・弦掛公園の桜

 


私の寒蘭舎です  (この蘭舎の実績は、大臣賞9回、総合優勝6回、天賞26回他) 

2014-04-04 19:16:57 | 日記

天井は高い方が良い、屋根板は「畜産波板」が良く遮光と保温が良いからです、鉢は首掛け方法です

底には植え替えた蘭石を撒布しています、25年の春植えの鉢から新根が出ているのが見えています

基礎は、ブロック20cmを二段、その上に10cmの枕木、鉢掛桟木5cmで55cmの高さから鉢をさげます、周囲はサッシに網戸を施して害虫防止をしています