白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

  ・・・・・笥瀬田原の古戦場には白馬に乗った若武者が夜ごと幻のように現れていた・・・・・

2011-08-29 17:39:57 | 日記

佐世保市世知原町の笴瀬田原古戦場は、原城主(島原)の有馬勢が、天正九年八月十三日(1581)直谷城を夜討ちにかけた帰り道、笴瀬田原で平戸勢方(世知原、都蔵寺)が迎かえ討った激戦地である。この笴瀬田原の古戦場には戦死者の霊を祀る「千人塚」が立てられたが、白馬に乗った若武者が、夜ごと幻のように現れるというので、天正20年(1592)この場所に「十二薬師、大林寺」を建て、薬師如来および十二神将像を奉納された。

・・炭鉱全盛期の(旧)世知原町、北松炭田の繁華街を通る県道と現在の風景・・

2011-08-27 12:32:26 | 日記

砂漠の遠くに白い物が見える、近づいて見ると人の骨だ、先人がここまで歩いて来たのだろう、この先何処へ行こうかと人の通った道を探していると・ふと目が覚めた。今日は昔の写真を出して見た、昭和30年代、長崎県北松浦郡世知原町(旧)の本通りを西肥バスが通っている。この写真は、右側の「中川商店」前から世知原町役場(現行政センター)の方向を撮影されている。写真手前に子供が歩いている、この左側の板塀の真下に「新坑の入り口」がある、ここから松浦市志佐町まで石炭掘削の坑道が走っていたと云われている。或るとき、落盤で死亡した鉱員を乗せてトロツコで上がってきた、出口で、帰ってきたぞーと大きな声で死者の魂を呼んでいた声が今でも耳に残っています。