この竹は四角です、この竹が欲しい人には無料で差し上げます、堀に来てください。詳細はメールで問い合わせ下さい。
メールは、kanran@i-next.ne.jp
昭和43年2月15日 豪雪による被害甚大
炭住街も停電
猛吹雪の中で組合旗だけが立っている
濁流が渦巻く佐々川 ・ 長生橋の下流
水も引いて避難先からの帰宅・・・長生橋が流されて無くなっている
新しく架けられた長生橋と右下の写真は流された木造の長生橋
渡り初め、左が金子助役、右が前田町長
山林も被害甚大・炭鉱も二日間の臨時休業
カプタンで炭堀り 肩エンジン
柱打ち 穴くり
材料卸
夕日に沈む第一選炭場ポケツト(現在は、世知原町が閉山後炭鉱から払下げを受け造成して分譲した栗迎四区になつている)
飯野炭鉱の鉱員住宅、新築当時の春日台
戸樋口 月に2回の代表検炭
八天坑中継ぎ場
早朝から坑内下がりの人車
CBCも上機嫌
炭壁に挑む
炭塵で化粧も男の魅力
三番方の朝帰りは辛かった
風呂で疲れもさっぱり
足どりも軽く我が家へ向う鉱員。正面が世知原駅で現在の「躍進の泉」、その手前が新坑の炭鉱住宅でした
世知原町の役場、現在は改築されています。その後佐世保市に合併して世知原町行政センターになっています
世知原町立世知原中学校です、改築前の校舎です
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世知原町立世知原小学校です、正面右は木造の講堂です、左が木造の東校舎です。手前左の鉄筋コンクリート校舎に改築された当時の写真です、現在は耐震式校舎に改築されました
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当時は県立国民宿舎「国見山荘」横のシンボル「三本松」でした。現在国見山荘跡は「公共の宿・山暖簾」 させぼ世知原温泉くにみの湯に変身しています。この山暖簾は、建築家 黒川紀章氏が総合プロデュースして建築したものです、是非御来館下さい
吉井町始発~世知原町終点の世知原駅です、当時田平方面への海産物の買い物、高校通学、石炭の搬出に賑わっていました
世知原駅手前の踏切です、周辺は松浦市から佐世保市(菰田経由)への西肥バス停と世知原駅周辺の商店街として賑わっていました
世知原町役場前です、左が松月旅館(現在は閉館)と右が親和銀行(移転)です、現在は人影が殆どありません
役場前の商店街です、現在は全て閉店して人影もありません
県立国民宿舎「国見山荘」です、左に上の原の「三本松」があります、現在は枯れてこの風景は見られません。元運動場の羽付に有った世知原町の植物園からこの周辺に移植したのが現在の「世知原温泉・やまのれんの植物園」です(当時世知原町農林課の職員として私が担当)。北川内地域発展のために「県立少年自然の家」を建設しました
世知原町内の寺院の建替えの際に、古材を残したいとして移転しましたが、全く利用価値がありませんでした
昭和45年3月10日に佐世保市(旧)世知原町の飯野炭鉱が閉山した、飯野労組が記念に発刊した「いいの・思い出と仲間」を紹介します。・・・かなかくに 世知原の街は恋しかり おもいでの山 おもいでの川 ・飯野炭鉱専務取締役 菊池琢郎・・・
私の庭先の「万両」が真っ赤に燃えていました、又金柑の木陰に良い話だけを聴く「寒菊」が咲いていました。