アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

祖母の教えからみる,東京市庶民の倹しい生活?

2016年11月22日 | 日常生活
祖母(ばばちゃ)の還暦の年に生まれた私。
干支も血液型も同じだ。
母たちには厳しかったそうだが,祖母となり,角の取れたばばちゃは,私とは本当に仲が良く,色んな知恵を与えてくれた。
ずっと「18になったら結婚するから長生きして!」と約束していたのだが,私は約束を果たせず,ばばちゃは79まで生きてくれた。
ばばちゃは12人兄弟の下から2番目だったそうで,従兄である祖父(じいちゃん)と結婚してすぐに札幌に行き(正確には,ついて行き)大正時代には東京の,今で言う新宿区に住まい,7人も子を生したが,残ったのは病弱の母と,13も違う元気な叔母の二人だけだったそう。

もちろん,当時の東京だから,長屋だ。
そんなばばちゃの倹しい生活には,色々と知恵があった。
代表的なことでは...

・揚げを買わずに油を垂らす。
揚げとは酒田では薄揚げ,稲荷さんにならい「皮」などと言っているもの。
お汁に揚げを入れたいけれど,倹約しなけれどならないので,油をちょっとだけ入れる。
当初,意味が分からなかった。
今は「なるほど揚げでなくとも代用できるのだな」と思う。

・野菜の端っこを集めた野菜コンソメスープ。
これも今なら分かるし,実は料理の出来ない私もたまには作るし,その心を皆に教えている。
今の贅沢になった時代,野菜の不要な部分は生ゴミになる。けれどそれは,エコではない。
そして小さい頃から教えてくれ,作ってくれたのが,このスープ。
種類はほぼ何でも良い。
グズグズまで煮てコンソメを適量,あとは塩か,塩こしょうで仕上げ。
(注)野菜を捨てるなら,庭を掘って埋めるのも吉です。
肥やしになるし,土質もホクホクです。

・ズボンの前。
母が病弱で,家事を全てやっていたばばちゃ,炊事のイメージが強いけれど,実はしょっちゅう縫い物をしていた。
普通の衣服はもちろん,布団,枕,どてらに,はんちゃ(半天)
たぶん保育園(6歳)の頃,ズボンが切れてばばちゃに直しを頼む。
手際よく,すぐに直してもらう。
けれど,便所に行ったら「前」が開かない。
さすがに参ってばばちゃに苦情を言うと,笑って謝ってくれる..にしても縫い物早過ぎ!

これらを,どうやって知識を得て,知恵にしていったのか。
60年の差と,東京市と,酒田市のはずれ,何にも知識のない私は,首をひねるばかりだ。

戦後も十数年して生まれた私は知らないのだが,姉たちが小さい頃のばばちゃと母は「●●よね,■■ちゃん」などと標準語だったそうだ。
戦前に疎開して酒田に戻ったばばちゃたち,ひきかえ東京市も戦争も知らない総領息子の私だった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。