おはようございます。
昨日、久しぶりに大泣きしました。
悲しい涙ではなく、とてもあたたかい涙。
私は完全にコントロール不能になると
足が大きくガタガタ震えるのですが、久しぶりにそんな状態。
びっくりでした。
あそこに行って、衝動のまま心の声に素直になってよかった―――!
悲しい涙は、翌日まで疲労を残すけれど
あたたかい涙は、スッキリ。
泣くって大事ですね。
仕事はまったく異なるけれど
私もうちにセッションを受けに来てくださる方に
こんな気持ちになって帰っていただければ嬉しいなと
改めて思いました(^^)
さて今日は久しぶりに、『セラピストのあり方』について。
セッションをしていて怖いことのひとつが
セラピストやコーチが相手に対して無意識に先入観をもってしまうこと。
こういう人だろうな…
この仕事をしているということは、こういうことだろうな…
こんなタイプかな?
それはその人の持つ肩書きだったり
話し方だったり
ひとつのものに対する意見の持ち方だったり
ちょっとした言葉から感じるものだったり
外見的なものだったり
実に様々な影響による先入観。
でもそう感じたそのものは、事実ではありません。
すべて勝手に、セラピストなりコーチなりが
自分の価値観と解釈で相手をフィルターにかけてしまっている状態です。
たとえば肩書き。
社長ということは、変わった性格をしてるんじゃないかな?
看護師って、気が強いって言うよね。
子育て中の主婦だから、子どもを理由にしてるんだろうな。
などなど。
それまでに自分がどこかで見聞きした架空のものと
現実の相手を一緒にして混同してしまうとこうなってしまいます。
たとえば話し方。
自分の意見をはっきり言う → 我が強そう
○○が嫌だと言っている → 私とは合わなそう
自分(セラピスト・コーチ)と考え方が違う → 人の意見を聞かなさそう
などなど。
勝手に相手像をつくって、相手をそういう人として扱ってしまったら
クライアントさんは実に不愉快。
悲劇しか生みません。
怖いのは、これを無意識にやってしまうこと。
セラピストやコーチと名乗っていても、最初はみんな素人です。
先入観を持たないことを当たり前のこととして意識してセッションしているか
先入観と「やってあげる」という押し付けのもとでセッションしているか
それによって、プロ意識があるプロのセラピストやコーチなのか、
プロの真似事をしたい素人でしかないのかが変わってきます。
これはもちろん、日常でも言えることです。
自分が抱いた先入観だということを意識して
それを脇に置いて、別物として扱えるかどうか。
たとえば。
以前私は、一見、苦手そうだな…と思う女性に出会いました。
何となくの雰囲気から、
強そうだな… 私とは合わなさそうだな…
と思ってしまったのです。
事実、しばらくの間、彼女と会うとき私は緊張していました。
でもすぐに気づきました。
これは私が勝手に抱いた先入観。
そう思い込んでいるだけです。
彼女が私に何をしたわけでも、悪意を向けてきたわけでもありません。
これって彼女に対して、ものすごーーーく失礼。
ということで、私はとりあえずその自分が勝手に抱いた先入観を
「勝手な先入観で相手を見てしまった」と認識し、手放しました。
すると途端に、彼女がいかに
自分に対して友好的に接してくれているかがわかったのです。
これはもう、本当に頭の下がる思いでした。
同時に、ものすごく恥ずかしかったです。
仕事において、
セラピストやコーチとしてクライアントさんと向き合っている時は
何も考えずともやっていることだったのに。
プライベートだからこそ、抱いてしまった先入観という感じでした。
でもこんなの、全然素敵じゃない!
ゴメンナサイと思うのと同時に、その学びにとても感謝しました。
先入観はとても怖いものです。
何より相手を自分勝手に貶めてしまうものだし、
時に自分の人間性も疑わざるを得ないほどのものを
引き起こしてしまう可能性があります。
だから先入観は捨てて。
ただ、目の前の人と向き合う。
先入観を捨てて相手と向き合えたときが
セラピスト・コーチとして相手の前に立てる第一歩です。
セッションは、そこからです。