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幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

先入観を捨てる~セラピストのあり方④

2013-11-23 08:50:04 |  ├セラピストのあり方

おはようございます。

昨日、久しぶりに大泣きしました。
悲しい涙ではなく、とてもあたたかい涙。

私は完全にコントロール不能になると
足が大きくガタガタ震えるのですが、久しぶりにそんな状態。
びっくりでした。

あそこに行って、衝動のまま心の声に素直になってよかった―――!

悲しい涙は、翌日まで疲労を残すけれど
あたたかい涙は、スッキリ。

泣くって大事ですね。

仕事はまったく異なるけれど
私もうちにセッションを受けに来てくださる方に
こんな気持ちになって帰っていただければ嬉しいなと
改めて思いました(^^)



さて今日は久しぶりに、『セラピストのあり方』について。

セッションをしていて怖いことのひとつが
セラピストやコーチが相手に対して無意識に先入観をもってしまうこと。

 こういう人だろうな…

 この仕事をしているということは、こういうことだろうな…

 こんなタイプかな?

それはその人の持つ肩書きだったり
話し方だったり
ひとつのものに対する意見の持ち方だったり
ちょっとした言葉から感じるものだったり
外見的なものだったり
実に様々な影響による先入観。

でもそう感じたそのものは、事実ではありません。

すべて勝手に、セラピストなりコーチなりが
自分の価値観と解釈で相手をフィルターにかけてしまっている状態です。


たとえば肩書き。

 社長ということは、変わった性格をしてるんじゃないかな?
 看護師って、気が強いって言うよね。
 子育て中の主婦だから、子どもを理由にしてるんだろうな。

などなど。
それまでに自分がどこかで見聞きした架空のものと
現実の相手を一緒にして混同してしまうとこうなってしまいます。


たとえば話し方。

 自分の意見をはっきり言う → 我が強そう
 ○○が嫌だと言っている → 私とは合わなそう
 自分(セラピスト・コーチ)と考え方が違う → 人の意見を聞かなさそう

などなど。
勝手に相手像をつくって、相手をそういう人として扱ってしまったら
クライアントさんは実に不愉快。
悲劇しか生みません。


怖いのは、これを無意識にやってしまうこと。

セラピストやコーチと名乗っていても、最初はみんな素人です。

先入観を持たないことを当たり前のこととして意識してセッションしているか
先入観と「やってあげる」という押し付けのもとでセッションしているか

それによって、プロ意識があるプロのセラピストやコーチなのか、
プロの真似事をしたい素人でしかないのかが変わってきます。


これはもちろん、日常でも言えることです。

自分が抱いた先入観だということを意識して
それを脇に置いて、別物として扱えるかどうか。


たとえば。
以前私は、一見、苦手そうだな…と思う女性に出会いました。

何となくの雰囲気から、
強そうだな… 私とは合わなさそうだな…
と思ってしまったのです。

事実、しばらくの間、彼女と会うとき私は緊張していました。

でもすぐに気づきました。

これは私が勝手に抱いた先入観。
そう思い込んでいるだけです。

彼女が私に何をしたわけでも、悪意を向けてきたわけでもありません。

これって彼女に対して、ものすごーーーく失礼。

ということで、私はとりあえずその自分が勝手に抱いた先入観を
「勝手な先入観で相手を見てしまった」と認識し、手放しました。


すると途端に、彼女がいかに
自分に対して友好的に接してくれているかがわかったのです。

これはもう、本当に頭の下がる思いでした。
同時に、ものすごく恥ずかしかったです。


仕事において、
セラピストやコーチとしてクライアントさんと向き合っている時は
何も考えずともやっていることだったのに。

プライベートだからこそ、抱いてしまった先入観という感じでした。

でもこんなの、全然素敵じゃない!

ゴメンナサイと思うのと同時に、その学びにとても感謝しました。



先入観はとても怖いものです。

何より相手を自分勝手に貶めてしまうものだし、
時に自分の人間性も疑わざるを得ないほどのものを
引き起こしてしまう可能性があります。

だから先入観は捨てて。

ただ、目の前の人と向き合う。

先入観を捨てて相手と向き合えたときが
セラピスト・コーチとして相手の前に立てる第一歩です。

セッションは、そこからです。


種はその辺にごろごろ…

2013-07-22 12:25:34 |  ├セラピストのあり方

おはようございます。

ここ最近、週末はずっと外国語漬けです。

嬉しい楽しい反面、ものすごーく疲れるのは
普段と違う部分をたくさん使うからかな?

昨日は英語やらスペイン語やらインドネシア語やらタイ語やらで
ネイティブの方々とお話しするチャンスがありました。

持てそうでなかなか持てない機会なので
とても嬉しかったです^^

英語はともかく、その他の言語はまだまだ日本では
“話せて当たり前”ではないので、
少しでもその言語で話しかけるととても喜んでくださる。

本当に、とっても。

たとえその先の会話がその言語で続けるのは難しくても
最初の一歩があるだけで相手との距離がぐんと近づくので
その後の会話はあまり苦労しません。

それは、こちらはもちろん、相手の方も
『自分(や自分の国・言語)に興味を持ってくれている』
と感じてくださるからです。


 『相手に興味を持つ』


とても大事なことですよね。


これはセラピストやコーチとしてセッションをしているときも
とても大切なことです。

こちらが相手に対して興味を持って向き合っているかどうか…

クライアントさんはとても敏感。
すぐに見抜きます。

そして、自分に興味を持って受け入れてくれている
セラピストやコーチにしか心は開いてくださいません。

当たり前ですよね。
そうじゃなかったら信頼できないもの。


更に、これは子どもも同様です。
彼らはとても敏感。

敵か味方か
話を聞いてもらえるかどうか
安心して任せられるか
人として自分と本気で向き合ってくれる相手かどうか

そんなことをすぐに見抜きます。

上辺だけで対応していたり
頭ごなしに怒ったり押さえつけたり
話を聞かずに勝手に判断したり
ただ甘いだけで大切なことを伝えなかったり…

そんな大人のことは信用しません。
平気でなめてかかります。


そういう“相手を作り出している”のは、いつも自分。
相手は、自分によって変わりますよね。

本当に鏡のようで、自分自身の現実を突きつけられることなので
「う…っ」と思うこともあるかもしれません。

でもそこから何かが学べれば、それは過ぎ去っていきます。

逆に何も学べずに文句ばっかり言っていると
似気づくまで似たようなことが何度も起こったりします。


こういう目に見えない大きな世界の動きって
自分が感じ取れるかどうかですよね。


そういうことができるようになってくると
比較的つらかったり厳しかったりしたときに
「何に気付けと言われているのかな?」と
思うようになってきます。

それはもちろん、とても大切なことです。

向き合い方が変われば受け取り方も変わる。
そうすると気持ちも変わるので。


でも、その逆も私は大切だと思うのです。

楽しかったこと、嬉しかったことを探究してみるということ。

何があって、こんなにいい方向に動いたのか
自分がどうだったからうまくいったのか

そこを見られるようになると、
自分が楽にいられるあり方が見えてきます。

それがわかっていれば…
それが自分のベースとして確立できれば
とても楽に楽しく過ごせるようになりますよね。


気づきをもたらしてくれる種は
至るところに転がっているな~と思った
昨日の楽しい出来事でしたv





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○○、ただそれだけなのよ

2013-07-20 09:39:57 |  ├セラピストのあり方

おはようございます♪

朝から青空が拝めると気持ちいいですね。
外を眺めながらニヤニヤしてしまいます(*^^*)



昨日、人のコミュニケーションを観察していて
人間の言葉や気持ちって、気をつけないと怖いな…
と思いました。


たとえばカラーセラピーやコーチングのセッションをしていると
「どうでしたか?」という投げかけをすることがあります。

「イエス」「ノー」以外で答えられる質問をしたり
クライアントさんが自分の中を探れるような質問をするのは基本です。

日常生活においても基本的には同じでしょう。

もちろん「楽しかった?」と尋ねることが常に悪いことではありません。

聞かれた側にある第一の大きな感情が「楽しかった」なのであれば
とりあえずその場は収まります。


でも人間は複雑で、
たったひとつの感情から構成されているわけではありません。

「楽しかった」以外にも様々な感情が入り混じっています。
それは「つらかった」かもしれないし
「つまらなかった」かもしれないし
「わくわくした」かもしれないし
「嬉しかった」かもしれないし
「悲しかった」かもしれないし…

無限なわけです。

だから自分の中にあるすべてのものを出さないと
本当に言いたいことや感じていること、
また大切にしたい、気づきたいと思っていることが
自分でもわからなかったりします。

その作業はとても大切。

ただこれは、あくまで本人が「話してもいい」と思える相手と
向き合っている場合じゃないと、とても苦しいことです。

セラピストやコーチの場合、
クライアントさんにそう思っていただける自分でいる必要があります。

そこに必要なのは、『安心』と『信頼』。

…なんだかどこかで聞いたようなフレーズですが^^;


 「この人になら話しても大丈夫。全部受け取ってもらえる」


そういう安心感や信頼がないと
コミュニケーションは成立しません。


友人同士だってそうですよね?

本当に信頼している相手にしか見せられない部分、
言いたくないことって、あるでしょう?


でも私たちを取り巻く環境にはいろいろあって
必ずしも完全に自分が信頼できる人間とだけ会話すれば
毎日過ごしていけるというわけではありません。

そうじゃない相手も含まれている場で話す機会の方が
むしろ多いのかもしれませんよね。

「どうだったの?」と聞く側は、
基本的に自分が知りたいから質問します。

べつにそれはかまいません。
普通のこと。


怖いのは、その続きです。


返ってきた答えが自分の望んでいたものや
予測していたものじゃなかった場合。

言うことによって相手を追い詰めてしまったり
相手が自分の中をきちんと見られなくなってしまったりする言葉が
いくつも存在します。

たとえば


 「それはこういうことなんじゃないの?」

 「こうだからこうで、こういうことだったんじゃない?」


これは、聞いている立場の人間が勝手に想像していることです。

言われた側は
「うーん…そうかな…?」
なんて答えつつも
(そういうことじゃないんだよな~…)
と思っていたりします。


 でもうまく言葉にできない―――


そんな時。

聞かれた側の人は何も言えなくなってしまって、
思考が止まります。

言葉であれこれ言われるほど、わからなくなる。

わからなくなるからヘタをすると、すり替えが起こったり
自分の中で起きていることに蓋をしてしまったりします。

これはとっても危険。

抑圧へとつながり、最悪の場合、何年も何十年も
その人の中でくすぶってしまいます。


質問した側の「こうじゃないの?」というこのセリフは、
一見優しさに見えるかもしれません。

だからこそ、質問される側が言い返さないし言い返せない。


 あなたのことを考えているわよ

 思いやっているのよ

 代弁してあげるわよ

 わからないなら私が答えを教えてあげるわ


意識上、ここまで思っていなくても
裏に隠れているのはこういうことです。

なぜなら、質問者が本当に望んでいるものは
『自分が納得できる答え』だからです。


「どうだったのか?」という問いに対して
自分が望んでいる形での答えがほしい。

だから、望んだ形と違う答えが返ってきたときに
無意識に、質問者が望んでいる側に導くような会話をしてしまう。



そんなやりとりを目の当たりにしたとき
私はドキドキしました。


「やめて~! 今彼女は○○って言ったんだから
 それだけをまずは受け取ってあげて~!!」


どこにも誰にも、意図的な悪意が存在していない。
だからこそ厄介なのがこの手の会話です。


質問に対して○○と言った彼女。

その時、質問者ができること…というかするべきことは
まず『○○なんだ』と受け取ることです。

『○○なんだね』と受け取った時、はじめて
相手は次に進めるから。

誰も受け取ってあげなかったら、彼女はどこにも進めません。


 彼女は今、○○って言ったのよ。

 ○○なのよ。

 だたそれだけよ。





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解釈しない~セラピストのあり方③

2013-07-09 10:15:19 |  ├セラピストのあり方

おはようございます♪

今日も暑くなりそうな札幌です。

おいしいパンを食べたいけれど
お気に入りのパン屋さんはちょっと遠く…
しかも営業日は(火)(木)のみ。

車のない今日、どうしようかな~?



さて。
いろいろな方と出会ってお話していると楽しさもある反面
いろいろなことに気づきます。

聞いているつもりで全然聞いてない人はかなり多く
自分はそうなっていないかと、常に自問自答。

少なくとも昔の私は
あの“悪い聞き方”をしていたんじゃないかな…
と最近思います。


よく日本人は自分たちのことを『日本人は察するからね~』
と言いますが、本当に察してるのかな?

勝手に自己解釈して満足してしまっていたりしないかしら?

“察しているつもり”

でも相手にとって全然違う解釈をして
コミュニケーションを成立させようとしてしまったら
そこでは悲劇が起こります。


 “わかったつもり”

 “理解しているつもり”

 “きっと自分のあの体験と一緒”


その解釈は、とてもとても怖いものです。



セラピストであったとしても、その間違いは
往々にして起こしてしまう可能性があります。

むしろ、セラピストだからと気合いが入りすぎてしまったら
クライアントさんに“セラピスト自身”を押し付けてしまうという
とんでもないことが起こってしまいます。


この『解釈』とは何なのか…


ちょっと例を見てみましょう。
例えばこんなお話。



AさんとBさんは、ともにホームステイボランティアをしています。
Bさんは年齢も経験も、Aさんの大先輩。
ホームステイの後、AさんはBさんに聞かれました。

 Bさん「どんな子だった?」

 Aさん「文学がすごく好きな子で…(まだ話し始め)」

 Bさん「ああ!オタクなのね!」

 Aさん「…あ…」

Aさんが否定する前に即

 Bさん「そんな感じに見えるわね~」

Aさんが何か言う前に

 Bさん「言葉は?」
 
 Aさん「えっと…日本語は話せなくて、英語はちょっと。
     英語は勉強したけど話すチャンスがあまりなかったみたいです。
     すごく積極的に自分から話すタイプではないかな」

 Bさん「ああそれって気を遣うわよね~。
     日本人ってついつい、こっちがしてあげなきゃと思うじゃない?
     自分から話してくれないと大変よね!
     何かを聞いてもすぐにそこで会話が終わっちゃうんでしょ?
     うちもね~、私が気を遣っていろいろ話すんだけど…
     (自分の体験が延々と続く)」

 Aさん「あ、でも音楽や文学が好きな子なのでそういう話を楽しくしたり…
     (ゲストを悪く言われたくないから必死)」

 Bさん「ああ、オタクだからね~。
     日本人より詳しい子って山ほどいるわよね!
     マンガなんかも、日本だとマンガ読む人はみんなオタクだけど
     海外だとそうじゃない人もいるみたいだしね」

Aさんが口を挟む隙がない

 Bさん「うちに来た子はこんなでね~…(また延々と続く)」

しばらくして

 Aさん「あの、でもいい子でしたよ?」

 Bさん「そう。ご飯は?」



いかがですか?

Bさんは一見、Aさんの話を聞いて相槌を打っているように
見えるかもしれません。

でも、本当の意味でAさんの話を
そのまんま受け取っているかというと、違いますよね。

まずBさんは、“Aさんの話を最後まで聞く”ということを
ほとんどしていません。

Aさんが話し終わる前に
自分の思ったことを口に出しています。

しかも一見、Aさんに同調しているような言い方で。

そして、Aさんの体験を自分の体験とすりかえて
反応を返しているのです。

何も受け取らず、『反応』のみで返してしまっている。
しかも『自分の体験とすりかえて』。


これはとても怖いことです。


似た経験を持っていたとしても、
日時も人も環境もまったく同じなんていうことはありえません。
そこで起こることはすべて異なります。

なので、ひとつとして“自分と置き換えられること”など
ありえないのです。


さらにBさんは、聞いた話を勝手に解釈した上で
その印象をまた解釈し、Aさんにモノを言っています。

なのでBさんからAさんに届く言葉は
Aさんが体験した“事実”とはまるで違ったものにされて
返されてしまっているのです。


こんな反応を返されたAさん。
その都度、どんなことを思っていたのでしょう?


 何故『文学が好き』と言っただけでオタク扱いになってしまうんだろう?
 オタクじゃないのに。

 ゲストを悪く言われたくないなぁ

 私、悪く言ってるつもりはまったくないんだけどな…

 あ、またオタクって言われた。
 好きなものが文学やクラシックだとオタク??
 とっても好きなものがあるって素敵なことなのに。

 『マンガを読む日本人=全員オタク』?
 私もマンガ読むけどな…
 
 楽しかったし、いい子だったんだけどな…

 全部悪く受け取られてしまってるみたい。
 大変で嫌な思いをしたんだと思われちゃってたら嫌だな…


Aさんが感じていたのは、通じない不快感。
勝手な解釈による不快感。

すべての会話がBさんの『解釈』の上に成立してしまっているので
Aさんには不快感・不信感・疲労感などだけが残ってしまいます。

でもBさんには、まったく悪気はないのです。
というよりむしろ、Aさんのことをとてもよくわかっているつもりになっています。

そこが、この会話の恐ろしいところです。



・話をすべて聞かない
・解釈する
・相手より自分が喋る
・自分の体験と相手の体験を同じものとして扱う
・そのまま受け取らない
・否定する
・聴かない
・先入観を持つ
・断定する
・相手の気持ちを決めつける

これらはすべて
セラピスト、コーチとして最悪のNG行為です。


そしてもちろん、そんな職業に就いている人ではなくても
普段の生活の中でやってしまったら何が起こるか。

答えは“Aさんの誕生”です。

相手に不快感・不信感・疲労感しか与えない会話の恐ろしさ…
感じていませんか?

そして
相手に感じさせてしまっていませんか?


自分の会話を観察してみると、いろいろなものが見えてきます。

“察しているつもり”って、怖いですよね。





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ただ聴く~セラピストのあり方②

2013-06-21 09:16:48 |  ├セラピストのあり方

おはようございます。

最近は曇り空で肌寒い日が続いている札幌。
スカッと抜けた青空が恋しいな~v



セラピストやコーチという仕事をするようになって
人の話を聴くことの大切さをひしひしと感じます。

聞いているつもりでも、実は聞いていない…
そういう人が残念ながらとても多いのが現実。

そこでは
聞き手の勝手な解釈が入ったり
自分の価値観で事実を捻じ曲げて認識したり
アドバイスのつもりで意見を押し付けていたり…
と、様々なことが起こっています。

もっとひどくなると
話の途中で違う話を始めたり
どこかへ行ってしまったり
茶々だけ入れて話の腰を折っただけで終わってしまったり…
と、もはや『聞く・聴く』のカケラもなくなってしまい
「人としてどうなの?」と不信感を持ってしまうことも。


みなさんの身の回りで、そうならない会話が成立する相手は
どのくらいいるのでしょう?


カラーセラピーやコーチングというものを知らない、
または少し知っているという方が誤認しやすいのが

“セラピストやコーチはアドバイスする人”

ということ。
また、

“もっといいアドバイスがしたくて勉強する”

なんていう方も時々いらしゃいます。


でも、セラピストもコーチも、アドバイスをする人ではありません。


あくまでも答えを持っているのは本人。
本人のみ、です。

そこには、聞く側の価値観も意見も、もちろん解釈も関係ありません。

ではセラピストやコーチは何をしているのか。


 まず『聴く』

 そして『受け取る』


です。

もちろんそれで終わらず、会話は続きますが
実はそれだけで、かなりのものが解決し前進してしまいます。

では「うんうん」と表面的に聞いていればいいのかというと
当然そんなわけはなく…


 きちんと聴く

 ちゃんと受け取る


のが大切です。


いかがですか?

わかりづらい?


これは、聴いてもらったり受け取ってもらったりしたことがあるという
“体験”をセラピスト自身が持っているかどうかが重要なキーになってきます。

その体験がないまま、セラピストやコーチになっても
相手の話を“聴き”“受け取る”ことはできません。

クライアントさんの話の内容は人それぞれ違うので
それをいちいち体験することはできないし、する必要もありません。

でも『聴いてもらう』『受け取ってもらう』体験は
プロとして持っていたいところです。

それがあれば、クライアントさんの体験内容が何であれ
こちら側も『聴く』『受け取る』ができるようになります。



ちょっと例を見てみましょうか。
例えばこんなことがあったら、どう感じるでしょう。



とある講演会に出席したAさん達。
その講演会の感想を何人かでシェアすることになりました。
その場には、老若男女さまざまな人がいます。

場を仕切るのはBさん。

Aさんは感想を言うのがあまり得意ではありません。
でもどんな感想でもいいから言ってほしいというBさん。

そこでAさんは、素直に感じたことを言うことにしました。


Aさん「講師の方は大人が○○をやってもうまくいかないと仰っていたけれど
    それは何だかとても不思議でした。
    私は年齢的に大人です。
    でもあれこれ考えずに子どものように楽しんでやってみると
    けっこううまくいくなぁと思っていて…(まだ話している最中)」

Bさん「ああ、講師は左脳派で理屈好きだからね~…
    あの人は今までもこういうことをやっていて…(しばらく自分の理論を展開)」

Aさん「…(気を取り直して)…大人でもできるんだな~と実感しているので、
    講師の方は私とは感覚が違うんだなと思って…(話し途中)」

Bさん「あ~『私はできているのにムカムカ、イライラ…』…(苦笑)」


いかがですか?

話のほんの一部分ですが、ここにはコワイ要素がたくさん詰まっています。


まずBさん。
すべて自分の価値観のもとに解釈していますよね。
そしてそれを全部口に出している。

そのつもりはないのかもしれませんが、
Aさんの気持ちを真っ向から否定しています。
しかも大勢の前で。

一見Aさんの話を聞いているようですが、
実は何も“聴いて”いないし
Aさんが発信している一切のものを“受け取って”いません。

またAさんに感想を求めているのに、その時間と場を奪って
自分の意見を言いたいだけ言っています。

そしてさらに怖いのが、自分の勝手な解釈を口に出すことによって
その場で聞いている他の人たちの耳に
Aさんの感情と錯覚させるような刷り込みをしてしまっていることです。

Aさんはただ、『講師の言っていることは自分の体験とは異なっていた』
という話をしているだけです。

それに対して、ムカムカしたりイライラしたり…
なんていうことはひとことも言っていません。

それはすべて、Bさんの解釈です。

でも、さもAさんがムカムカイライラしたかのように
Aさんの話にかぶせてその言葉を発しています。


もしかしたらBさんが、自分と違うと感じたときに
ムカムカイライラするタイプなのかもしれません。

でもそれは、Aさんにもこの場にも、何の関係もありませんよね。


一方Aさんの中では、このとき何が起こっているのでしょうか。

 自分の言っていることを全然聞いてもらえない
 言えば違う意見をぶつけられる
 否定される
 言っていないことを自分が言ったかのように語られている
 こんな風に言われてしまって、他の人に私は嫌な人間だと思われるんじゃないか…
 この人(Bさん)、信用できない
 やっぱり感想なんて言うものじゃない
 感想なんて二度と言いたくない!


Bさんにそのつもりがなくても
『聴いて受け取る』ができないと
これだけのものをAさんに負わせてしまうことになるということです。

怖いですよね…


・自分の価値観で解釈する
・アドバイスする
・受け取らない
・否定する
・自分の意見を押し付ける
・聴かない

これらはすべて
セラピスト、コーチとして最悪のNG行為です。

だからこそ『聴く・受け取る』の基本が大事。
セラピストのあり方の基本です。


そしてそんな職業についていなくても
本当はこれは、人として人と向き合うことの基本だと思います。

家で、職場で、仲間内で、友人間での会話がこうだったら…

だれも幸せじゃないでしょ?





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あたまでっかち

2013-05-08 17:17:08 |  ├セラピストのあり方

あ~~~…ちょっと、どうしようかな~とグルグルしていた私。

「おねこは頭でっかちだからさ…」

と、妹に言われました。

考え込んでグルグルしちゃって
本当はちゃらら~と動いてみちゃったら
たいしたことなかったり
うまくいっちゃったり。

本当にその通り。

ココロやカラダが拒否しているのでないならば
大抵は動いてしまった方がいい。

(ちなみに病気病気のときは、
 ちゃんとココロやカラダが拒否します。)

自分1人でわからないときは
誰かと話してグルグルを吐き出して
そして動けばいい。

そういうこと。

まさか妹に言われる日がこようとは…

あの子も大きくなりました(笑)





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北海道に来た理由

2013-04-19 15:23:58 |  ├セラピストのあり方

久しぶりの再会が3人も!
嬉し楽しい、ついでに涙の昨日を過ごしました。

3人とも、倒れて以来初めての再会だったので、
「大変だったね~…」から始まり^^

「こんなでした」
「今こんなことを感じています」
「これからどうしていこうかな…」
なんていうお話をしたらあっという間に時間は過ぎ去りました。

ありがたかったのは
お3方ともそのまんま受け止めてくださるということ。

3人とも、それぞれの分野のセラピストさんたちなのですが
これって本当にありがたい。

そのまんま受け取ってもらって、そのまんま返してもらって。
がんばらずにそのままの自分でいられるのは本当にありがたい。

それを認めていただけて、受け入れていただけるのは本当に本当にありがたい。

セラピストになって、彼女達と出会うことができて
本当によかったな~と思っています。

「どうしてるかずっと気になってて」
という言葉が本当に嬉しくて。

そう言ってくださるみなさまへの感謝を伝えると
「それはひろさんの人柄よ」
という更に嬉しいお言葉をいただいたのですが…

でもね。

そういう私でいさせてくださっているのは、間違いなく彼女達だと思うのです。



北海道に来てからの
セラピストになってからの私は、自分のことが好きだもの。

過去の自分より、今の自分の方が、ずっとずっと好きだもの。

それは、出会えたみなさまのおかげだと思うの。

だから、本当にどうもありがとう。



東京で生まれ育った私が北海道に来た理由。

それは、
本当の自分を取り戻すためだったと思っています。

自分の心と体に溜まった…溜まりに溜まりまくった毒素を排出して
ナチュラルで自分らしい自分を取り戻すために北海道に来たのだと思っています。

それは健康とか、美容とか、お肌のきれいさとか、見た目の若々しさとか
自己演出方法とか、メイク方法とか、似合う色とか、似合うファッションとか
そういうフィジカルな…物理的なこともそうだし、

自分らしい生き方とか、夫婦のあり方とか、心のあり方とか
自分の時間の使い方とか、病気との向き合い方とか
家族との関係とか、人付き合いとか、仕事とプライベートのバランスとか
手放すこととか、受け入れることとか
そういうメンタルな…言葉で表すには的確な表現を探すのが大変なことまで。



この10年を具体的に見れば見るほど、
それは決して楽しくて楽なものではなかったと思います。

いつも悩んでいたし
いつも戸惑っていたし
苦しい時間も多かったし
病気と共存している時間も長かったし
シンドイと思っている時間はたくさん。

でもじゃあ、結婚して北海道に来たことが自分にとってどうだったかというと
やっぱり、よかったと思うのです。
必要なことだった、って。

そして取り戻しつつある自分自身と共に私が手に入れたものが
ここに来て出会えた人たち。



今日、雪が降りました。
でも、春はすぐそこ!

ちょっと遅いけどね^^;

北海道、好きだけど、季節感だけは10年いても馴染めない…
東京の春秋が大好きな私なのでした(笑)

おうむ返し~セラピストのあり方①

2013-04-11 14:15:17 |  ├セラピストのあり方

ことばの持つ力ってすごい。
コミュニケーションというだけではなく、世界が広がっていくという意味でも
ことばはものすごい力を発揮します。

それは
人と人が向き合うコミュニケーションという意味でも
人間しか話せない「言語」という意味でも
「学習」ではなく自然に「習得」してきたことばという意味でも
プロのセラピストやコーチやカウンセラーが用いる「会話」というツールでも。

私自身、セラピストやコーチという仕事を通して、また長い闘病期間を通して
自分との向き合い方、人との向き合い方、クライアントさんとの向き合い方など
いろいろ学びました。

そして「多言語」という趣味(?)を通して
人間とことばという不思議で魅力的な世界から、
人の心をオープンにナチュラルにして自然に生きていくこと学んでいます。

そんなわけで、このたび「ことば」にフォーカスしたブログを書き始めました。

「ことば」というものに注目したとき
ここには、セラピストとして、コーチとして、カラーコーディネーターとして
クライアントさんと向き合うときのヒントが満載な気がしています。

興味を持ってくださる方がいらしたら、ぜひアクセスしてくだされば嬉しいですv

http://ameblo.jp/kotoba-com/



さて。
それと関連して、セラピストが用いる「会話」。
「ことば」というものにフォーカスして見てみようと思います。

カラーセラピストのみならず、コーチングやらカウンセリングやらNLPやらに触れると
いろいろ、名前のついたテクニック的な『やり方』を学びますよね。

本当に大切なのは「やり方」ではなくて「あり方」なのだと実感していますが
確かに、「やり方」も知っていて損はありません。

ただ、「あり方」が明確じゃないままテクニックのみに走ると、
相手には『偽者の会話』という不快感を感じさせてしまいます。
そこはとっても大事なポイント☆

さて。
そこで述べられる「やり方」ですが、実は私達は
子どもに対して意外と無意識にやっていたりするものなのです。

セッションをしていく中で大切なのはクライアントさんの言葉に対して
否定も肯定もしないこと。
ただ、ありのまま受け取ること。

そんなときに使えるのが『おうむ返し』です。

「もう嫌なんです」
「嫌なんですね」

「こんなことを言われたんです」
「そんなことを言われたんですか」

とかね。

これ、変に意識しすぎると不自然な言い回しになったりする場合があるのですが
そんなに難しく考えなくても私達は生活の中で自然にこれをやっているときがあるのです。

それが子どもと向き合っているとき。

「楽しかった~!!」
「そう。楽しかったの。よかったね!」

「痛い~!!」
「うんうん。痛いね。痛いの痛いの飛んでけ~!」

とかね。

心当たり、あるでしょう?

大人は自然に、子どもが伝えてくることを一度受け取っています。
そしてそれをそのまま返してる。

受け取ってからそのまま返すことで、子どもたちの中にも
『ありのままを受け取ってもらって認めてもらえた』
という感覚が生まれます。

そうやって育つ子は、感情を抑圧する必要もなくなるし
自分をオープンにしていられます。

結果、のびのび自主性が育っていくから
自分で選んで自分で決めて、行動することができる子になります。

これはもちろん、大人にも有効です。
それが、『おうむ返し』です。

おうむ返しは、ただ相手の言っていることを受け取って認めているだけなので
セラピスト自身の考え方や価値観は反映されません。
だからもちろん、クライアントさんとセラピスト・カウンセラー・コーチの考え方は
違っていていいのです。

おうむ返しをすることによって、クライアントさんは否定感を感じず
まず受け取ってもらえた安心感を得ます。
そして受け取ってもらえたことによって開ける、その先の新たな道が見えてくるのです。


もちろんこれ、セッションではなく日常生活でもとっても円滑なコミュニケーションに繋がります☆
だって子どもたちとやってるでしょ♪