幸せのカケラ

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病気と笑い①~笑わなかった「健康時代」

2014-12-05 11:40:31 | 幸い病気のおかげさま

「笑い」は体にいいとか
NK細胞が増えるとか
病状が良くなったとか
価値観が変わって快方に向かったとか
そういった話はしばしば耳にする。

体験があるからこそ、それは語られるのだと思うし
自然療法を少しかじれば
「笑い=NK細胞の活性化→免疫力が高まる」
という図式は当たり前だとも思えてくる。


ところで『笑い』って何だろね?

昨日の公開講座『患者学』のテーマは『笑い』だった。


自分の体験を振り返ってみると
私が「最近笑ってないな…」と気づいたのは倒れる数年前のことだった。

それまではおかしいこと、楽しいことがあったら
床を転げ回って大笑いしていたはずなのに。

生きることに必死で
生活することに必死で
押し寄せる不安や不信感に必死に抗って
「仕事しなきゃ」「稼がなきゃ」「何とかしなきゃ」と足掻いていた頃。

気づくと、私は笑わなくなっていた。
楽しさも、嬉しさも、おいしさも、今思えば全然感じていなかったのではないかな。
おそらく、疲れ果てていた。

そんな数年を経て、倒れる半年ほど前。
私は、自分が色のついた洋服を着られなくなっていることに気がついた。

白や茶色を着ると安心する。
「あー…疲れてるんだな~…」とは思ったけれど、
それが体からの最後通牒だとは気づけずにいた。

頭の中は常にごちゃごちゃしていて、爆発しそう。
生きるのはシンドイ。
いっそ死んでしまいたい…なんて、当たり前のように思っていた。

笑わなくなっていた私は、「何だかな~…」とは思いつつも、
それがとんでもなく危険な状態であることには気づけずにいた。

もっと言ってしまえば、
それが危険な状態であったのだということに気づけたのは、今だ。

今、自分の心や体の変化を改めて探究したり、
患者学に出て自分の内側を見ながら体験をシェアしたりすることによって、
『日常生活で笑っていないことの危険性』を改めて感じたから。

「笑いは人を健康にする」とか「笑いが病気を治す」と言う。
医療現場でもそれは注目されているし、
そんな講演を行っている大学病院の先生もいらっしゃる。
私も確かにそうだと思う。

けれど、“自分は健康なつもりの多くの社会人”は、
日々の生活に謀殺されてしまうと“笑っていない自分”にすら気づくチャンスがない。

 大丈夫なつもりでいる。
 または、大丈夫な自分でいなければゆるされない。

“自分は健康なつもりの社会人”
それは実は、命がけで綱渡りしている予備軍なのだということに、気づけない。
または
気づくことにストップをかけている。

気づいたら、何かが変わってしまう…
もしかしたらそんな漠然とした不安が、
無意識に「気づくこと」にストップをかけているのかもしれない。


  >『病気と笑い②』につづく





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