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清代の人妖の秘密:幼くして未亡人に弄ばれ 結婚後に男と見抜かれる

2012年08月22日 18時33分22秒 | エッセイ
昨日読んだ面白い読みものを紹介します。
中国語で「人妖」(レンヤオ)とは今でいう「オカマ」、「オナベ」、「ニューハーフ」のこと。
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【清代の人妖の秘密:幼くして未亡人に弄ばれ 結婚後に男と見抜かれる】
『知識窓』2005年第1期 作者:安広碌 原題:「中国歴上的人妖」より
http://msn.news.ifeng.com/history/tianxia/detail_2012_07/31/16436252_0.shtml

「人妖」という単語が最も早く見られたのは戦国時代の著名な思想家・荀况が書いた「荀子・天論」という書物に「政令不明、挙錯不時、本事不理、夫是謂人襖(妖)」(政令を理解しない、立ち居振る舞いがおかしい、能力がない、このような男は所謂人妖である)と記載されている。この「人妖」という言葉のもともと意味は、逆らうような行動をする者のことを指す言葉だったが、後に人々は男装した女性、女装した男性、生理的、心理的にひどく変態的な人を「人妖」、「妖人」と呼ぶようになった。

女性が男装をする「人妖」(オナベ)という言葉が見られるのは「南史・崔慧景伝」である。
南朝斉朝の時代、東陽(現在の安徽省天長西北部)の女性・娄逞は抜きん出た賢さと才能をもっていた。彼女は一生台所仕事をして終えることに甘んじず、ついに「男装をして」家を飛び出し、多くの公卿のもとを渡り歩いた。彼女は博学で、囲碁にも精通し、人付き合いも円滑で、極めて高い仕事の処理能力があったため、公卿たちから歓迎され、それは揚州の「議曹従事」という官職に就くまで続いた。しかし、ことわざにあるように、「紙で火を包むことはできない」(真相を覆い隠すことはできない)。時が経ち、娄逞は女性だと見抜かれてしまう。斉明帝蕭鸞はそれを知った後、娄逞を官職から罷免し、東陽の故郷へ帰らせた。娄逞はこうして嫌々ながら元の婦人へと戻った。「南史」の作者は娄逞も「これも人妖(オカマ/オナベ)」と考えているが、彼女の場合は自分は学識・才能が豊かであると考えていたため、それで「このまま老婆になるのは、惜しい」と思ったのだろう。



男性が女装をする人妖(オカマ)は歴史上しばしば見られるが、「明史」に明朝嘉靖年間の男装の女性・桑羽という名前の「人妖」(オナベ)が記載されている。

男性が女装した人妖(オカマ)の中で、最も典型的なのが清代の洪という男性である。
清朝乾隆年間の進士(科挙の合格者)であり、著名な詩人でもある袁枚の「新際諧」にある記載では、清朝乾隆年間、貴州貴陽に洪という姓の美男子がいたという。5歳の時に両親を亡くしたため、隣家の付という姓の未亡人に引取られた。未亡人の付は洪が非常に美しく、滅多にいない美少年であったため、心の中に悪い考えが芽生えた。人目をごまかすために、彼女は外で洪は「女の子」だとウソをついた。そして、付は洪にわざと女の子の格好をさせ、黒髪の長い三つ編みを結い、足を纏足にして、刺繍を教えた。針仕事などは女子が必ず習得すべき基本技能である。

洪が12、3歳になった時、未亡人の付は彼に性的な行為をさせ楽しみ始めた。
しかし、洪が17歳の年、未亡人の付は病で死んでしまった。この時、洪はやっと悪魔の未亡人から解放され、男性の服装に戻り、独立して生活することができるはずだったが、残念なことに、17歳の少年は、女性のようになってしまっていた。また、彼の両足は三寸金蓮と呼ばれる纏足で、その足でどんな力仕事ができるというのだろうか?さらに、彼は刺繍と家事以外の仕事はまったくできない。それゆえ、生活の支えがない洪は外に出て湖北、貴州で女性に刺繍を教えることにした。非常に面白いのは、洪が湖北の江夏(現在の武漢市武昌区)にいる時、杜という姓の男が洪の天性の美しさ、色っぽさを見て、一目惚れしてしまい、洪を嫁にしようとしたことである。しかし、洪は弁解するのが難しく、言いなりになるしかなかった。新婚初夜、杜は洪が男であることを知る。恨みと恥ずかしさで怒った杜は、役所に洪を訴えた。




しかし、この案件は非常に特殊なものだったため、法律を管轄する地方官・提刑按察使司按察使(ていけいあんさつししあんさつし)自らが洪の性別鑑定を行った。その結果、洪は「声は高く、喉仏がない、髪は地面に着くほど長く、肌は玉のよう、腰まわりは一尺三寸しかない」ことが分かった。洪が男の体であることが確定した後、洪の罪状をどのように決めるかという時、清朝の法律には明確な規定がなかったため、按察使と巡撫(しゅんぶ/民政・軍政をつかさどる長官)の間でも意見が分かれた。巡撫は洪は女装をして、民衆を惑わせたとして「流放」(流刑、追放)にするべきと考え、按察使は洪は「妖人」(妖怪、あやかし)として極刑にすべきとの考えを崩さなかった。洪は按察使の死罪の判決を断固として受け入れなかった。彼は「自分の罪は和姦に留まり、髪を落とさず(辮髪にせず)人を惑わせたが、誘姦しか過ぎず、法律では死罪にはあたらない」と考えていた。それゆえ、刑が執行された日、洪は刑場の断頭台の上で観衆を指差しながら呪いの言葉発した。「3年後、私を死罪にした者はこの場所で死ぬことになる」、偶然なのか、洪の言葉通り、3年後、この按察使は罪を犯し、正しくその場所で処刑されたという。

(翻訳・若林亜希)





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こういう話を読むと「男装の麗人」の川島芳子やディズニー映画「ムーラン」の主人公の花木蘭とか、「男の娘」(おとこのこ)、「女装娘」(じょそうこ)を想像してしまうし、やはり昔からセクシャルマイノリティ(性的少数派)は存在していたんだと思う。

最近の中国では女装している男子、日本で言う「男の娘」、「女装娘(子)」を「偽娘」(ウェイニャン)と呼び、美しい「偽娘」コスプレ界では人気の的だ。

オカマではないけれど、日本でもヤマトタケルが叔母のヤマトヒメノミコト着物で女装し熊襲兄弟を退治したり、牛若丸が女装したりと美少年が女装した姿はたいそう美しいという話もあるし、歌舞伎役者の坂東玉三郎さん、歌手で俳優の梅沢富美男さん、舞台役者の早乙女太一さんなど、非常に美しい女装と芸を男性を看板にしている人もいる。

特に清代に死罪にされた洪という青年は美男子で、その美しさで男性をもとりこにし、結婚するまで周囲にも夫にも、男と気づかれないほどの「パス率」を誇っていたとは驚きだ。しかも、ウエストが1尺3寸、現在の中国のサイズに換算すると中国1尺=33.333cm、日本1尺=約30.303cmぐらいということになる。(中国の1尺=33.333cm、日本の1尺=約30.303cmで少々違いがある)。彼が小柄だったのかは分からないが、ウエスト超細いぞ!そんなに美しい女装男子だったら、見てみたい☆私の「腐女子心」をくすぐる話だった。



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1 コメント

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面白い話ですね! (トミ)
2012-09-02 22:39:53
面白くて読みふけってしまいました。
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