★~KIDのあれこれ雑記帳~★

ツイッターのつぶやきと連動中!

【PR】

暮らすって物入り…。

2004年12月21日 15時23分02秒 | お仕事日記
昨日、広州市天河区に引越しました。

会社の事務所が広州市に在るので、会社の近くのマンションへ引越ししました。マンションは家電、家具が一式揃っていて、ベッドもダブルベッドとセミダブルのベッドが有ります。庭には運動場やテニスコート、プールまでを備え…とか言うと、素晴らしい環境のようですが、私の引っ越した先は広州開発区の中に在り、結構辺鄙な場所です。昨日は引越しの為に半日費やしました
ベッドや家具は有っても布団も無いので、昨日はスーパーに行って布団、枕、包丁、食器などを買って部屋に運びました。私の同僚二人が手伝ってくれましたが、生活用品を運ぶだけで大人3人がかりでした。二人の中国人同僚には感謝しています。

私のダーリンですが、まだ東莞市に在る工場で働かなくてはいけないので暫くは別居しなくてはいけません。一緒に住めたら最高なのになー。多分、彼も半年ぐらいは東莞で仕事をして、広州で仕事を探すつもりのようですが、半年も離れて暮らすのは寂しいです。
クリスマスは週末なので、ダーリン一緒に過ごせたらなぁ
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

上海浦東空港のキョン!と激マズ上海料理。

2004年12月20日 00時34分45秒 | お仕事日記
12/12~18日まで仕事の為に上海に行って来ました。

上海に行ったら写真を沢山撮るつもりでデジカメまで持参して上海に行ったのに、仕事が忙しくて街に出て遊ぶ暇も写真を撮る時間も有りませんでした。朝、会社に出勤して12時から13時まで昼休み。17時40分まで仕事をしてホテルに帰り、夕飯を食べたら部屋に戻って寝るだけ…、そんな一週間でした。まあ、遊びに行った訳ではないので、遊ぶのは別の機会でも良いんですが、この一週間、上海にいた感想と言えば食事の事が一番に上がります。上海料理…と言えば上海蟹が有名ですが、あれは庶民の食べ物ではないので、さすがに毎回食べる訳にもいかないのですが、日本人があんなに有り難がる程美味しい物ではありません。それに、上海蟹は食べる部分はほとんど有りません。庶民的な料理の事で言えば、上海料理『激マズ』!…これが正直な感想です。普段、広東料理の薄味に慣れている為、上海料理の脂っこくて甘くて、何味だか分からない料理では、ご飯のオカズにならず、どの料理も油と砂糖が大量に使われているので、この一週間、胃痛と腹痛に悩まされました。味はどの料理を食べても、“きんぴら牛蒡”を脂っこくした様な味ばかり。しかも、最悪な事に上海にいる間、私の体重は○㎏増してしまいました。あのまま上海にいたらと思うとゾッとします。

上海人はお洒落には随分凝っていますが、食べ物は広東人の方がずっと凝っている事が良く分かりました。さすがは『食在広東』(食は広東に在り)ですね。やっぱり、広東料理が一番美味しい!

今回、上海浦東国際空港から飛行機に行きましたが、12月と言う事で空港にはクリスマスツリーが飾られていました。画像のクリスマスツリーを見てみて下さい。何か変な所は有りませんか?よーく見て下さい
サンタさんの顔が変だ、とかじゃないですよ。ソリを引いている動物をよく見ると…、トナカイじゃない!!
しかも、普通の鹿がソリを引いている!中国人はトナカイを知らないのか、そこいらに在るクリスマスの飾りのトナカイは、全部鹿!鹿!!鹿!!!
今日もスーパーに買い物に行って、外に飾ってあるトナカイの張りぼてを見たら、やっぱり鹿でした。これも、中国と日本の文化の違いなのでしょうか??
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

明日から上海に行ってきます♪

2004年12月11日 16時25分27秒 | お仕事日記
明日から一週間ほど仕事で上海に行って来ます。

広東省は冬場でもそれ程寒くならないので、雪国育ちの私にとっては暖かくて快適な場所です。現在も半そで、短パンも日中は寒くない時もあります。
でも、上海は寒いんだろうな…、行くのが億劫になります。せめて春なら言いのになぁ、春の蘇州を見物するのも楽しいだろうなぁ、とか色々考えたりしますが、上海で風邪をひかない様に気をつけないと。KIDは上海に行くのは今回で3回目です。以前、2001年2月と4月に2度行った事があるんですが、上海は『ホヘー!!!』と思わず溜息が出るほど都会でした。

昨日、手配していたチケットも無事取れたので、明日は飛行機に乗り遅れないように早起きして深セン空港に行かないと…。暫く、ブログに記事は載せられないかも知れませんが、上海から帰ったら報告します。
コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

バイリンガルで失語症…④坊主友の会

2004年12月03日 17時54分07秒 | エッセイ
2002年5月、私は病院に外出届けを出して実家に戻った。手術までの数日間、
約一年ぶりに実家の料理の味にした鼓を打った。そして、着物を着て、少し
早いが成人式の写真も撮った。
それは、私自身、『もしかしたら、もう二度と振り袖は着る機会が無いかも知れない』と
死を覚悟しての事だった。もし、手術が成功したとしても、頭を丸刈りにしなくてはいけない
のだから、1月の成人式までに髪が伸びると言うのは期待できなかったからだ。かくして、
振袖を着た私は撮影を終え、病院にやって来た。看護婦さん達に、私の振袖姿を見せ、
当時、同じ病棟に入院していた、私の祖父にも着物姿を見せる事ができた。祖父は寝たきり
だったが、私が誰だか分かったらしく、涙を流して喜んだ。もし、あの時、振袖姿を見せなければ、祖父は一生私の振り袖姿を見る事は無かっただろう。そう、祖父はその二ヶ月後、7月28日に
息を引き取ったからだ。享年85歳だった。
2002年6月某日、とうとう手術の日、前日になってしまった。午後、看護婦長が私の所に来て、
『じゃあ、髪の毛を刈りましょう。』と言った。私を坊主頭にしたのは、2人の看護実習生だった。男の子の方は高校で野球部だっただけあって、バリカンの扱いには慣れていたが、女の子はバリカンを使うのは初めてで、髪の毛がバリカンに挟まって、とても痛かった。なんとか坊主になった所で、私は母に言って、写真にこの記念すべき坊主頭を収めた。実は、以前、映画で『GIジェーン』を見て以来、カッコイイ坊主頭に憧れていた。私は頭の形が良かったので、坊主頭は事のほか似合った。頭を洗いに病院内の温泉に行くと、そこにいたオバちゃん達は、『お兄ちゃん、男風呂はあっちだよ!』と言って、私を追い出そうとした
それでも構わず、風呂に入ろうとしたら、看護婦さんに通報されて、焦った
風呂から上がって戻ると、同じ病室の人たちが、『可愛い坊主だ』と言ってくれた。そう、脳外は坊主は坊主友の会なのである。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

バイリンガルで失語症…③手術の決心

2004年12月02日 13時08分55秒 | モヤモヤ病
2002年5月、日本に戻った私は、主治医からモヤモヤ病と言う脳動脈の奇形がある事を告げられた。

血管撮影、血流の検査など検査の結果、やはり手術をするより方法は無かった。
ただ、脳の手術という事で、失敗すれば命の保証は出来ないし、手術したところで絶対に成功する保証もモヤモヤ病を根本的に治す事は出来ないと、主治医に言われた。でも、手術をしなければ、今後、また、モヤモヤ病の発作が起きて、身体が麻痺してしまったり、下手すれば脳梗塞や脳内出血を起こして、死んでしまう可能性も大きいと言われた。正直言って、迷っていた。当時の私は、まだ19歳で、20歳の誕生日も迎えていなかったし、まだまだ、やりたい事も山ほど有った。何よりも、死ぬのは嫌だったので、例え手術が成功と言えなくても、手術しようと決心した。このまま何もしないのも、選択の一つだったが、この先、病気が悪化して、長生き出来ないと言われて、そんな不安を抱えたまま、この先の人生を送るなんて、そんなのは私のポリシーに反していた。
それに、中国にいるダーリンが、私が元気になって戻って来るのを心待ちにしていた。それは、私にとって何よりの心支えだった。私はあんまり利かなくなった右手で、ダーリンに手紙を書いた。
『私は自分でやると決めたら、絶対に途中で音は上げない。』
私は、そう言う女で、性格は極めて男勝りである。しかも、何でも体験だと考えている所が有り、人に騙されようが、怪我しようが、何だろうが、他の人が体験していない事や、めったに体験出来無い事を経験した時、『良い勉強になった』、『良い体験をした』と思いながら、生きている。だから、この、モヤモヤ病の手術だって、私の見聞を豊かにしてくれたと信じている。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

バイリンガルで失語症…②

2004年12月01日 14時45分31秒 | モヤモヤ病
2002年5月、故郷、福島県会津若松市の病院に転院した。この時の私は、まだ自分がモヤモヤ病の患者である事も知らされていなかったし、この世にモヤモヤ病と言う、難病があることすら知らなかった。
余計な知らないと言うのは、本当に幸せな事だ。私は幼い頃から、学校の体育の授業などで、思いっきり走ったり、急に跳び上がるような運動をすると、目の前が真っ暗になったり、吹奏楽部でトランペットを吹いたりすると頭がボーっとする様な事が良くあった。気分が悪くなると、学校の先生は『肺活量が足りないからだ』と、言っていたので、私も自分が運動不足のせいだろうと考えていた。学生時代は剣道部に所属し、自分の体を鍛えるように努力した。もともと、丈夫ではない体に鞭打って、運動をした。体は丈夫とは言えなかったが、体育の成績は良かった。
特に持久走や長距離走、水泳、サッカー、マット運動が得意だった。しかし、私がモヤモヤ病をもって生まれた事は、私自身はおろか、両親さえも知らなかった。その位、ほかの患者とは違って健康な状態を19年も維持していたのは、医者も驚いた程だ。若年性のモヤモヤ病の発病は、親が子供をテンカンの発作や知能障害と勘違いし、大きな病院で受診して発見されるケースや、私のように脳内出血を起こして発見される事が多いそうだ。ただ、この場合、知能障害や運動障害などが出る事が、多いらしく、私の様なケースは稀だとも言われた。ただ、病気の重さで言えば、左右両方の脳動脈に奇形があり、脳内血流も健康な人に比べると、ずっと悪い。
ただ、前方の血流の悪さを補う為に、後部の血管が非常に良く発達している、と言うのが医者の私の脳ミソに対する、診断結果だった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

【PR】

広告