★~KIDのあれこれ雑記帳~★

ツイッターのつぶやきと連動中!

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譚小勇さんの温かいもてなし

2006年01月24日 15時35分09秒 | 
12月26日は、アーティストの譚小勇のご好意で、お家に招待して頂き夕食までご馳走になり、譚さんの作品の数々を見せて頂きました。
譚さんのお家は、ちょっとした美術館の様になっており、部屋の中には彼の手掛けた絵本や絵画、自分で作った絵本棚やライトなどが配置されていた。流石に手先が器用なのだと、感心させられました。
一流の芸術家と言うのは、料理を作っても良いセンスをしているものなのでしょうか?この日、譚さんにご馳走になった手料理は火鍋と鶏のスープ、それとオリジナル鶏の姿茹で。四川省風の辛いタレにつけて頂いたが、どれも本当に美味しかったです。
友人をもてなすやり方は人それぞれですが、今回の譚さんのもてなし方は中国人独特のもてなしの仕方だだと、改めて感じました。多くの日本人は家に友人を呼んで手料理でもてなしたりと言うのは少ないので、こう言う付き合い方も日本人には必要な事だと思いました。

心のこもったもてなしがとても思い出に残りました。写真は譚さんの手料理。名前は不明ですが、鶏を茹でてから葱を添えて、豆板醤と醤油で作ったタレ付けて食べました。
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日本アニメーションと私(ピーターパン事件)

2006年01月24日 13時49分52秒 | お仕事日記
12月26日は銀座に在る日本アニメーション株式会社に行って来ました。そして、兼ねてからメールで交流させて頂いている、日本アニメーションのデザイナーでもあり、画家にして漫画家、絵本作家でもある譚小勇さんにも会う事が出来ました。

私のこれまでを語る上で、日本アニメーションのアニメ作品は決して欠かす事は出来ません。何故かと言うと、私はアニメ・漫画好きが高じ色んな事がおきて来ました。中でも、ピーターパン事件は、今でも両親からからかわれる苦い思い出の一つです。
①ピーターパン事件
頃は私がまだ幼稚園児の頃、それは寒い寒い冬に起こりました。私と弟、両親は一緒に母の実家へ行きました。その日は日曜日で、夜7:30~8:00にかけてフジテレビ系列でアニメ『ピーターパン』がやっていました。勿論、アニメ好きの私、毎週、一度も見逃した事はありません。7:45頃、雪が酷くなって来た為、父と母は早めに会津若松市内の家に帰る事にしました。母の実家は会津若松市内から車で一時間ほどの山沿いの片田舎に在るので、雪が酷くなると吹雪で運転もままならない状態なのです。
その時、私はテレビに噛付いて『ピーターパン』を見ていたので、アニメが終るまで家には帰りたくない気持ちも半分あり、母方の祖父が『帰りたくなかったら、一晩泊まって明日帰ったら良いべ』と言った言葉に『うん』と生返事をしてしまいました。その頃は一人で母の実家に泊まったこと等無かったので、アニメが終って周りを見ると、両親が本当に帰ってしまった後でした。急に寂しくなって、コタツに潜って泣き始め、手におえなくなった母方の伯父が私を車に乗せて、実家に連れて帰りましたが、何故か両親より早く家に到着していたと言う事があり、今でも両親にしょっちゅう言われています。


②『ラスカル』で正座三時間事件
あれは、中学二年生の頃の冬休み。大雪が降った日の事でした。中学時代、剣道部に入っていた私は、朝テレビで『あらいぐまラスカル』を観ていました。部活は午前中8:30分に始まるので、遅くても8:00には学校に着いて、稽古場のモップ掛けをして、道義に着替えしなくてはなりません。私は20分も有れば学校に着けるだろうと安易な考えで、7:30頃家を出ましたが、なんと登校通路の除雪が全くされておらず、40センチ以上の雪が有りました。学校までは2キロ以上あり、雪道をえっちら、おちっらと歩いて学校に着くと、すでに8:00を過ぎていました。その日は大雪が降った為、学校に付いていたのは私の同級生のI君(彼の家は学校まで、歩いて5分の近場)とA君、M君だけでした。

何故か一年生の生徒が全然来なく、私たちだけで掃除をしていると、顧問のK先生がやって来てメチャクチャ怒られました。K先生は美術の先生で普段はとても温厚で生徒達からはシャブ先生(先生には内緒でこう呼んで居ました。理由はヤーさんに似ていたから)と呼ばれ親しまれている先生なのですが、二年生しかいない事に激怒した先生は『お前等、一年生になめられてるぞ!上級生としてのケジメをつけろ!』と言い、二年生を三時間の正座を命じました。そして、それでも怒りが収まらない先生は『お前等の中で、8時以降に学校に付いたのは誰だ!』と言うと、私の同級生達はチラチラと私の顔を見るので、先生にバレしまい、『何で遅れたんだ。』と言う問いに馬鹿な私『アライグマラスカルを観ていて遅れました!』と言ってしまい、先生の逆鱗に触れてしまいました。きっと『雪道のせいで遅くなった』と答えていれば、嘘をついた訳でもなければ、真っ当な理由として許して貰えたと思うのに…。先生の逆鱗に触れた私は、『そんなに漫画が好きなら、剣道なんか辞めっちまえ!』と怒られた生生しい記憶があります。

あの時はショックで本気で剣道を辞め様かとも思いましたが、結局は高校生の時、右膝の手術をして剣道が出来なくなるまで続けましたが、今はもやもや病の手術の為に頭を開いたので剣道はもう辞めましたが、今でも時々剣道の夢を見ます。しかし、私は何て馬鹿だったのかと、ガッカリしますね。
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美麗拳王(ビューティフル・ボクサー)

2006年01月13日 16時49分59秒 | お勧め
http://www.beautifulboy.jp/
随分、前の話になってしまうけれど、去年の10月はこの映画を10回以上観た。本当に良い映画だと感じているからこそ、10回以上みてもまだ飽き足らず、うちのミン様にも宗教の勧誘の様に何度も観せたものだ。もう、マインド・コントロール以外の何者でもない。
この映画は日本でも公開されたと思うが、トニー・ジャーの『マッハ!!!!』を初め、最近のタイ映画には面白い作品が多々ある。特にタイと言えば、ムエタイ(タイ式キックボクシング)とニュー・ハーフという事で、この要素を取り込んだお話は香港映画と言えど真似しがたい部分だ。あと、独特の仏教の思想感も中国の道教などを取り込んだストーリーにも通じる部分がある様に思えた。

そして、この話は日本でも知られている、オカマボクサーこと、トゥン・パリンヤーの伝記映画でもある。そう、この映画の主人公は実在の人物である。そこが味噌だ。香港映画や中国映画界にも、本当に武術ができるアクションスターは多い。しかし、中国勢に劣る所…、オカマのカンフーマスターを演じる様な人はいない。
(昔の成龍映画にはいた様な気がする)、しかし、可愛くて、それでいて本当に武術ができる人と言えばかなり限られてくる。しかも、中国のアクションスターはそんなに若いスターがいない。JET LIやDONNIE YANだって42歳、今年で43歳だし、若くは無い。彼らは大スターなので、いまさらオカマの役なんて演じないだろうし
なので、この映画はかなり斬新な映画に感じた。その中で主役をはるアッサニー・スワンは元ムエタイボクサーだった。この映画のオーディションに合格した為に02年に現役を引退、芸能界に転身した。しかも、チャンピオンになった経験もあり、本当にボクシングが出来る人なのだ。おお!何とも素晴らしい人材がタイにはいたのね!っと感激してしまったその、引き締まった体から溢れる闘志やボクサーとして女の心との間での揺らぎ、葛藤。幼い笑顔から溢れる優しさ…、彼は良く表現していた。特にトイレに隠れて化粧をしたり、ムエタイ訓練所の仲間との生活などの様子は、そのコソコソ感が非常に面白く、本当に可愛らしいの一言に尽きる。そして、本当の自分の姿を追い成長して行くパリンヤーの姿には感動を覚えた。誰にも理解されない苦しさを自分の力で跳ね除けようと必死で突き進む姿に心が熱くなった。
この映画は是非、是非お勧めしたい映画です

ビューティフルボーイ APS-91
ビューティフルボーイ APS-91

■内容:ビューティフル ボーイ
タイの農村で生まれた少年・トゥムは、自分は女の子だと信じる男の子だった。弱虫でいじめられっ子のトゥムだったが、しかし、たまたま出場したムエタイ大会で勝ってしまう。家族のために苦しいムエタイの道を選んだトゥムだったが、勝てば勝つほど、女性としての自分を抑える辛さは耐え難いものとなった。そしてある日、トゥムは化粧をしてリングに上がることを決意した…。
実在したキック・ボクサーで、日本でも試合を行って"オカマちゃんボクサー"として話題となったパリンヤー・ジャルーンポンの半生を描く。主演はチャンピオン経験もある元キック・ボクサー、アッサニー・スワン。そのほか、日本からは女子プロレスラー・井上京子が出演。ド迫力の試合シーンを展開する。性同一性障害を持つムエタイ戦士としての苦悩を描ききった、涙と愛のストーリーである。



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美麗凍人(美麗動人)

2006年01月10日 16時15分43秒 | エッセイ
明けましておめでとうございます。
ここ暫く、ブログを更新してなかった居なかったのですが、実は出張と正月休みを兼ねて12/25に日本へ戻って来ました。
しかし、今年の冬は尋常じゃない大雪!こんなに雪が降ったのは、私が高校三年生の頃依頼でした。私が高校生の頃、2000~2001年にかけて会津若松市では21年振りの大雪が降った年でしたが、あれから早、5年…。久々に帰って来た会津では、また大雪に見舞われてしまいました。
さて、今日は美麗凍人について。
中国語には美麗動人(メイリードンレン)と言う言葉が有ります。意味としては、「美しさで人の心を動かす」と言った所ですが、こちらの美麗凍人は発音は同じでも「美しさで人を寒くさせる」と言う意味を持っています。これは、真冬にミニスカートを履いて、素足で居るような、最近のオシャレ好きな若者を風刺して言う言葉なのですが、今日の会津にも居ました美麗凍人的な女の子達が!!今日は会津の伝統行事、「十日市」の日なので母と弟と一緒に市内の神明通りまで縁起物の風車や起き上がり小法師などを買いに行ったのですが、女子高生や若いお姉ちゃん(私と同年代の女の子達)はこのクソ寒い中、ミニスカートにフェイクファーのコートを着込み、厚底ブーツやピンヒールブーツを履いて、雪道を歩いておりました。もう、足なんか真っ赤を通り越して紫色です。見ているこっちが寒くなりました。しかも、そんな格好してる女性に限って見事な大根足です。そして、短い足。ブーツのせいで凍結してツルツルになった雪道で転ぶ奴も続出…。
でも、そんなのは「かわいそう」だなんて、同情する気にもなれません。皆、「そんな靴、はいてっからだろ」と氷柱の様に冷たい視線を彼女達に突き刺しているのでした。こんな時期に出歩くのだから、転んでもアホに見える靴は履かない事が大事だと思うのです。
ただでさえ滑る雪道を歩くのだから、安全確認を怠ってはいけないし、万が一転んでも他人に同情して貰えるような真っ当な冬支度をしていくべきでしょう。転んで怪我をした上に他人から馬鹿女呼ばわりされるのは、精神的に辛いもの。あ、でもそんな娘達は寒さ(色んな意味での)にも鈍感なのだから、そんなに他人の目は気にしないのかな??
う~ん、どにみち私は真似出来ないわ。寒い時には寒いなりの格好をしないと、自分の健康管理にだって良いことは一つもない。冷えは血液の循環を悪くして、足が太くなるは、お腹は冷えて痛くなるは、それならまだしも風邪なんか惹いたら最悪です。風邪は万病のもとと言いますが、ただでも夜更かしや暴飲暴食等の不規則な生活を送る人にとっては体を悪くする第一歩でしょう。
中国には医食同源、薬食同源と言う言葉があります。寒さで、体を冷やさない事も大事ですが、冷えた体を温める食べ物を摂って、健康に過ごしたいものですね。まさか、健康を祈願する縁起物を美麗凍人な服装で買いに行って、病気になったりしたら、何しに行ったのか分からないですよね。私も23年ほど生きて来た中で、大きな病気や怪我で四回以上手術や長期入院をした経験が有ります。詳しくは、もやもや病のエッセイを読んで欲しいと思いますが、大きな病気をすると健康の大切さをつくづく考えて生活しています。20歳まで生きられないかも知れなかった私も、今年で24歳になり、厄年を向かえます。今年も良い一年である事を願うばかりです。
写真は12/24のクリスマス火鍋の様子。
ちなみにこの日は、うちのミンミンと一緒に広州の天河に映画「無極」(真田広之主演)を見に行き、北京ロードでステーキを食べました。
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