相馬の野鳥

相馬から野鳥の四季を綴ります。

第2回目の松川浦でのカワウ調査を行いました。

2013-08-05 11:14:01 | インポート

8月4日(日)夕方、先週に引き続き第2回目のカワウ調査を行いました。先立つこと12時29分宮城県沖地震、震度五強があり、船出を迷いました。8月3日には前震履歴があり、青森、関東付近の弱震の履歴があることがわかりました。(3.11では前日に岩手県沖で前震履歴があり、関東、青森付近の地震履歴、その9~10時間後に三陸沖で大地震が発生しています。太平洋プレートへの広域な潜在応力歪があったのでしょう)想像が膨らみやめようかと思いましたが、浦の中では10分で帰港できるので腹をくくって行くことにしました。今週も「松川 浦太郎」船長にお世話になりました。2名乗船予定でしたが、連絡が取れず、私一人の独占観察状態です。快晴です。出航、まず機械島のカワウは先週と変わりはありませんでした。中洲にはミサゴのファミリー?が3羽ほど目視されました。えさの魚がそこそこ増えているからでしょう。そこで、地盤沈下の中洲に上陸を試みることにしました。震災以降上陸した人はそんなに多くはないでしょう。浦太郎船長の慎重な操船で中洲東側のかつての上陸桟橋に近づきました。(桟橋ステンレス手すりはぐにゃりと曲がり半分水没)上陸しますと中洲南側は太平洋側から浦側に向けて黒松がなぎ倒されています。目を転ずると「奇跡の中州の2本松」ありました。すべて黒松は枯れているのにこの2本だけ青々としています。ハマニンニクやコウボウムギがのびて砂浜の植生は失われていないようです。かつて「ロビンソンクルーソーの冒険」の企画イベントで一泊した時の四阿(東屋)は土台のコンクリートだけが残っていました。まいぎりで火起こしをしてへとへとになったことや、サバイバル料理に挑戦したことなどたくさん思い出されます。井戸は確認できませんでした。早々に帰路につくことにしました。ヨットが停泊していた大洲公園側の古湊(ふるみなと)は決壊して(かつての宇多川河口だそうです)大型クレーンで修復しています。大洲の砂嘴に沿い伸びていた道路は浦側が半分崩落しています。黄色い物体は「はみ禁」のセンターラインの残骸だと船長が言っていました。鵜の尾岬のトンネル付近を見ながら、新地火発と鹿狼山の北に連なる五社壇と地蔵森の遠景です。松川浦からのきれいな景色です。自然の再生の力は失われていないような気がしてきます。見えない汚れは集中と拡散を繰り返すのでしょうが。漁港に並ぶたくましい鉄工船の船尾、潮干狩り場は地盤沈下で浸水しています。大潮では道路まで海水が来るそうです。(いずれの画像もクリックすると拡大します。)

Dscn2122_2Dscn2124_2Dscn2126_2Dscn2127_2Dscn2128_2Dscn2131_2



Dscn2133_2Dscn2132_2Dscn2134_2Dscn2135_2Dscn2129_2Dscn2137_2




Dscn2130_2Dscn2136_2Dscn2142_2Dscn2143_2