ツルピカ先生教育論⑩
第6回国分一太郎「教育」と「文学」で報告をしてくださる梅津恒夫さんの実践の集大成ともいえる「さよなら授業 『長い回り道―近代と私』」の資料を乙部武志さんから拝借して読んでいました。
そのなかに、国分一太郎の書いた詩が二つ載っていました。また、その詩に井上ひさしさんのコメントものっていました。
子どもたちといっしょに読み合ってみたくなりました。
「胸のどきどきとくちびるのふるえと」(少年詩・国分一太郎)
―古くて弱いものをなくさなければならないー
胸のどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくはなくさねばならない。今日の自治会で
おもわず「議長」とよんで手をあげたとき、
名前をよばれて立ちあがったとき、
ぼくのむねは、やっぱりどきどきとたかなって、
へそのあたりまで、それはつたわっていった。
くちびるはわくわくふるえだし
くちびるに水けはなくなっていた。
ぼくはいいたいことのはんぶんもいえず、
いや三分の一さえいうことはできず、
みんなのうす笑いをさそっただけで、
ことりとすわってしまったのだ。
役人と地主さまのまえではものもいえないと、
よく、おじいさんとおとうさんはいっていた。
ひゃくしょうの子とうまれたぼくの血のなかには、
ぼくのくちびるや、ぼくのむねには、
よわくてふるくて、いくじのないものがのこっている。
学校の自治会のあった帰りみち、
なしの花が白くさいたくろ板べいの下をとおりながら
ぼくは、ほんきになってかんがえていた。
むねをはり、くちびるをなめなめ、かんがえていた。
むねのどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくははやくなおさねばならない。
『少年少女の広場』(1948年5月号)
《臆せずに一所懸命、自分の意見を言いたまえ。》
「東北地方の小都市の中学教師から国分一太郎の少年詩「むねのどきどきとくちびるのふるえと」を読んでもらったときの感動を、三十数年たった今も忘れることができないでいる。言葉は方言でもよい、服装はボロでもいい、そして美少年でなくともよい、大切なのは、きみが自力で考えまとめた意見である。臆せずに一所懸命、自分の意見を言いたまえ。/その少年詩は劣等感で押しつぶれそうになっていた田舎の新制中学生を、以後何百回と励ましてくれた。そして現在でも依然として事情は変わらない。」(井上 ひさし)
「駅にとまった汽車のまどから」
国分 一太郎
あの男の子と
女の子は、
たしかに、きょうだいだと思いますね。
かきねの焼きぐいにのっかって、
こっちをながめている、
ほら、
あの男の子と、
女の子。
顔が似ているだけではありませんよ。
ひとつの大きなリンゴを、
かわるがわる、ほおばっているんですよ。
ほーら、
こんどは、男の子のほうに、わたったでしょう。
ほーら、
こんどは、女の子のほうに、わたったでしょう。
ひとくちずつ、かわるがわるかじっているんですよ。
きょうだいにまちがいありませんよ。
まずしいわたしたちきょうだいも、
小さいときは、ああやってたべあったもんですよ。
ほら、
ごらんなさい。
こんどは、にいさんのほうにいきましたよ。
ほら、
ごらんなさい。
もう、いもうとのほうに、わたりましたよ。
(1951年10月)
第6回国分一太郎「教育」と「文学」で報告をしてくださる梅津恒夫さんの実践の集大成ともいえる「さよなら授業 『長い回り道―近代と私』」の資料を乙部武志さんから拝借して読んでいました。
そのなかに、国分一太郎の書いた詩が二つ載っていました。また、その詩に井上ひさしさんのコメントものっていました。
子どもたちといっしょに読み合ってみたくなりました。
「胸のどきどきとくちびるのふるえと」(少年詩・国分一太郎)
―古くて弱いものをなくさなければならないー
胸のどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくはなくさねばならない。今日の自治会で
おもわず「議長」とよんで手をあげたとき、
名前をよばれて立ちあがったとき、
ぼくのむねは、やっぱりどきどきとたかなって、
へそのあたりまで、それはつたわっていった。
くちびるはわくわくふるえだし
くちびるに水けはなくなっていた。
ぼくはいいたいことのはんぶんもいえず、
いや三分の一さえいうことはできず、
みんなのうす笑いをさそっただけで、
ことりとすわってしまったのだ。
役人と地主さまのまえではものもいえないと、
よく、おじいさんとおとうさんはいっていた。
ひゃくしょうの子とうまれたぼくの血のなかには、
ぼくのくちびるや、ぼくのむねには、
よわくてふるくて、いくじのないものがのこっている。
学校の自治会のあった帰りみち、
なしの花が白くさいたくろ板べいの下をとおりながら
ぼくは、ほんきになってかんがえていた。
むねをはり、くちびるをなめなめ、かんがえていた。
むねのどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくははやくなおさねばならない。
『少年少女の広場』(1948年5月号)
《臆せずに一所懸命、自分の意見を言いたまえ。》
「東北地方の小都市の中学教師から国分一太郎の少年詩「むねのどきどきとくちびるのふるえと」を読んでもらったときの感動を、三十数年たった今も忘れることができないでいる。言葉は方言でもよい、服装はボロでもいい、そして美少年でなくともよい、大切なのは、きみが自力で考えまとめた意見である。臆せずに一所懸命、自分の意見を言いたまえ。/その少年詩は劣等感で押しつぶれそうになっていた田舎の新制中学生を、以後何百回と励ましてくれた。そして現在でも依然として事情は変わらない。」(井上 ひさし)
「駅にとまった汽車のまどから」
国分 一太郎
あの男の子と
女の子は、
たしかに、きょうだいだと思いますね。
かきねの焼きぐいにのっかって、
こっちをながめている、
ほら、
あの男の子と、
女の子。
顔が似ているだけではありませんよ。
ひとつの大きなリンゴを、
かわるがわる、ほおばっているんですよ。
ほーら、
こんどは、男の子のほうに、わたったでしょう。
ほーら、
こんどは、女の子のほうに、わたったでしょう。
ひとくちずつ、かわるがわるかじっているんですよ。
きょうだいにまちがいありませんよ。
まずしいわたしたちきょうだいも、
小さいときは、ああやってたべあったもんですよ。
ほら、
ごらんなさい。
こんどは、にいさんのほうにいきましたよ。
ほら、
ごらんなさい。
もう、いもうとのほうに、わたりましたよ。
(1951年10月)
井上ひさしについては、私の高校時代、系列の孤児院にいたことをよく聞かされました。
過酷な幼少期、少年期を過ごした井上ひさしは、宮城県仙台市のラ・サール孤児院でのカナダ人修道士たちの児童に対して献身的な態度、生き方に感動し、洗礼を受けます(上京後、棄教)。これは、「子どもの権利条約」の生命、生存及び発達に対する権利、命を守られ成長できることに関わってきますが、意見表明権もまた、子どもの生きる力を励ます、いかにかけがえのないものであるかを、井上ひさしの国分一太郎の詩への感動は示していると思います。「人はパンのみにて生きるにあらず」です。