ツルピカ田中定幸先生

教育・作文教育・綴り方教育について。
神奈川県作文の会
綴方理論研究会
国分一太郎「教育」と「文学」研究会

第533 回 豊島作文の会 2月例会案内

2019-02-06 16:08:06 | Weblog

           豊島作文の会 2月例会案内

  ◆日 時 2019年2月10日(日) 午後2時~午後5時

 ◆場 所 豊島区立駒込地域文化創造館 第4会議室 03-3576-2637  

 《提 案》『作文名人への道』 読み方・授業での活かし方

      ―【小学校34年生】版の活用法― 

                            田中 定幸さん

 *『作文名人への道【小学校3・4年生】』、お忘れなく!

◎お知らせ

 例会の前日9日(土)午前10時30分~11時25分、テレビ朝日で、「第33回民放協スペシャル 想画と綴方 ~戦争が奪った子どもたちの“心”~ 」が放映されます。

 第12回 の池袋・国分一太郎「教育」と「文学」研究会の時にも、山形放送の取材陣2名が来て1日ずっとVTR撮りをしていましたが、いよいよ2年近い取材を終え山形放送渾身のドキュメンタリーが完成!放映という次第になりました。

 民間放送教育協会(民法協)のポスターには、「受け継がれた想画と生活つづり方」「生活を見つめ、表現する教育が、罪に」「転向した特高の心の内を追う」「今教育は……」といった興味深い見出しが載っています。

 詳しくは、田中定幸さんのブログ『ツルピカ田中定幸先生』をご覧ください。

◎1月例会報告

《 参加 》略

『’18 児童文詩集 東京の子』(第44集)のうち、二年生の散文(11篇)のレポートを曽我侑加さんから、「共同作品研究」(散文・詩と2編)に関する報告を日色 章さんから受けた。

話し合われたこと

◆二年生の散文《家族とのかかわりのなかで》では、『ははの日』がいちばん話題に。《思い切り学んだなかで》では『ずこうのつないでつないで』と『ボールがとれた』の作品、《自然や社会に目を向けて》では『コウモリ』の作品に関していろいろな意見が出された。

①『ははの日』に関して

・日記で出てきたものをそのまま投稿したものなのか。

・届いた花はどんな花?母親は、どんなふうに花を持ってきたのだろうか。

・手紙に何と書いたのか、母親はその手紙を読んでくれたのだろうかなど気になる。「どうだったの?」と聞いてあげるような指導はしなかった?

・関わり方が受け身。母の日に積極的に関わっている気持ちが伝わってこない。

・「ちなみに私は手紙を書きましたよ。」とある。指導者がそこに焦点を当てて中身をふくらませるよう求めれば、積極性のあるこの子らしい文章になったかもしれない。

②『ずこうのつないでつないで』について  

・これはいったい何をやっている?おもしろく活動しているというのは分かる。

・気持を表すことば(「たのしかったです」「おもしろかったです」「気もちよかっ

たです」等)を書いているからいいと思ってしまうが、やはりしたことをした通りにていねいに書いてほしい。そうすればいい作品になっていく。

③『ボールがとれた』について 

・最初の方で「ドッジボール」と入れた方が分かりやすいと指導するべきだ。

・1、2年生に一年間をふり返って書かせるのは合わない。日々書かせることを重視しないと。こんなことをさせる教科書の単元に無理がある。

・くり返しあったこと(何日間にもわたってあったこと)の書き方になっているけれど、いつのことかの記述があいまいだ。この書き方の場合は、ある日ある時にこういうことがあったと日時を具体的に書くよう指導をしていかないとダメ。感じたり、思ったりした根拠となった出来事(事実)なんだからいつのことかはっきりさせて書かせていかないと。

④『コウモリ』について 

・カエルを見たことがないとかカマキリにさわれないとかいう子が多いのに、一目見てコウモリと分かったことはすごい。

・「どんな音か今からしょうかいします」という書き方、変。こういう書き方が出てくるのはなぜなんだろうか。

・「そっと外を見たら、きょだいコウモリがいました。よく見ると、むれを一かしょに丸くさせてきょだいコウモリのはねでまもっていました」と説明している。外のどういったところに、どんなふうにいた?イメージできない。

・「こうもりの足あとが土にあって」って、コウモリが歩く?しかも、母親が「アヒルの足あとじゃない」と言って二人でわらったとあるのだが、どういうこと?

・「コウモリ、見た」「どこで見た」「二かいで見た」「すごいじゃん」。親たちとこどもの会話が、会話になっていない。本当は、もっといろいろなことを話しているはずだが。

・指導者はこういった点に気がつかないといけない。アレッ(おかしい)と思わなかったのだろうか。

・貴重な経験をしている。これを大事にしていくためには、あったこと・見たことをきちんと書かせる指導が必要だ。

◆神山さんから次のような発言があった。質問等にはこたえきれなかった点が多々あると思われるので、今後のために要旨を記録しておく。

(1)二年生の子は、まだそんなに書くことになれてないと思うが、授業でどういう動機づけがあって、この文章(注:「ははの日」のような作品を指している)が生まれてきているのだろうか。

(2)「ははの日」の作品の話し合いの中で、子どもが自発的に書いてきたもの(日記等)に関して、指導者が指導すべき点を見つけてそれをこの子にもう一回投げ返す。そして、もう一回その子から返ってくるのを待つという話があった。そういうキャッチボールのようなスタイルがあると受け取ったのだがそれでいいか。

(3)(「日記」には「かまえがない」、指導が入ると「かまえがある」といった話に関連して)、「テーマはこれにしよう」とか「こういう構成でいこう」とか、そういうこともあらかじめ指導することがあるのかどうか。あるとすれば、どういうものがあるのだろうか?

(4)私たちは「山に登る」とか「川で遊ぶ」とか「何かを作る」とかいうアクションをやった上で、それについて書こうというふうにやっているのだが、先ほど言ったように、「ここの部分はもうちょっと読みたいな」とか「これはどうだったのか」といった問いかけをしていって、ブラッシュアップしていくことがあるということだった。 私たちの場合は、何かやったあとに、あと3時間で書かせなきゃいけないとか、3枚とか4枚とか5枚とか、書きおわらせるだけでも精一杯といったところがある。もう1回ブラッシュアップといったことはなかなかできないのだけれども、それができるかできないかでは、やっぱり大違いだなあと思う。

(5)素材として出てきたもの(日記等の作品)に関して、指導者と子どもとのそれまでの関わり合いというのが重要だと思うのだが、もしそれがあるとすれば、例えば、「お母さんに手紙を書いたというのを中心にして書き直してみよう」などとアドバイスをして、こんどはこの子がそこにフォーカスして書いてくる可能性もあると……(以下、みんなの声が重なって聞き取れず)。

◆『東京の子』について、または現在の作文教育について

選評に関連して

・こうした方がいいという指導がなくて、ほめてばかり。あれこれ気を使ってほめるのではなく、もっと文章に即してほめるところはほめ、指導すべきところは指導していくというようにするべきではないか。

・「この作品は、日記からのものです」とか「○○の授業で書かせたものです」など、「先生(指導者)のひとこと」みたいな欄があるといい。

作品に関して

・日記そのままのように思える作品や書き足りなさを感じる作品が目立つ。

・こう指導した結果、こういう作品ができたという指導の跡が伝わってこない。

要するに詳しさの足りない作品が多い。

・ちょっと声かけをして思い出し直しをさせていくだけで、子どもたちの作品、ぐんと良くなっていくと思う。

現在の作文指導の状況

・以前は、5月や10月あたりに作文の単元があって、10時間とか20時間をかけての指導ができた。表現意欲の喚起、題材・取材指導、取材、構想と記述の指導、記述と推考、書きあげた作品の鑑賞等、一まとまりの文章を書くための指導をやってきた。今、現場では、そういう実践はほとんどないのではないか。

・(やはり「以前は」の話になるが)参考作品を読むなどしながら、「はじめ」「中」「終わり」の書き方の指導をし、指導目標にみあった題材探しをさせる(=取材)。「いい題材を見つけて書いていきましよう」と指導してきた。そういった指導を受け、子どもたちはそれなりにかまえを持って題材を探し、書いてきた。今は、教科書にはそういうものがないので、指導がむずかしい。

・学校の中で生活文を扱うというのはかなり前からなくなっている。しかも、先生たち、忙しすぎて、日記などとてもという状況にある。

・日記(子どもたちが書いた文章)の扱い方(「推考指導」または「膝下指導」について)。これは深めた方がいいなと思った時には、呼んでアドバイスをし、その場でまたは持ち帰らせるなどして、叙述をふくらませる作業をさせる。そこで大切なのは、指導者と子供たちの信頼関係。日記指導をやらずに、この信頼関係の構築はむずかしい。

・『東京の子』は、テーマの立て方、題材の選ばせ方等、生活綴方の精神を引き継いで頑張っている。子どもたちに、文章表現力をきちんとつけていくためには、丁寧に事実を書かせていくこと、あったことをあった通り書いていく中で、何に気づき、何を感じたかを書かせていくことが大事だ。このへんができていないことが課題だろう。

◆日色さんの提案。前半が盛り上がりすぎ、残り時間15分でスタート。十分な話し合いの時間が取れないでしまった。

・「共同研究」(論評)の次の部分が「分からない」という意見。〈 「常体」の「…もん。」という表現……こういった表現から、この学級で詩の指導が二年間通して行われていたということがうかがわれる。 〉二年間続いた詩の指導と「…だもん」という表現とどうつながるのか?「関係ないよ」「そこまで結びつけるのは無理がある」という声。

・もう一つ。3回もまちがえているのに気がつかないで「ぜんぶごうかくです」と校長先生。この子は、この作品で3回もまちがえているのになあと批判しているのではないか、という意見が出たあたりで、終了時刻。

                         (文責:工藤 哲)   


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