承前
□この日記が生まれた背景
・ふな水くんが「大きさくらべ」の授業に積極的にかかわっていたこと。授業で、認められていること。西尾君の発言があったこと。
・「大きさくらべ」を題材にして日記に書くこと担任にすすめられたこと。
・教室へ入ってくる時の先生の「スケッチ文」を書いたりして、したこと見たことの順にかけばよいことを学んできていること。
・書くことを「苦」にはしていないこと。
・放課後、「思い出し直し」をする時間を与えられて、ていねいにふりかえったこと。
・その出来事を、自分がしたこと、考えたこと、友達の発言、その人の様子などをよく見たり、聴いたりしていたこと。
・書き加えのしかたを教えてもらい、励まされたこと。
・書いた文章が学級文集『でんでんむし』に、のることが予測できたこと。
前回紹介した『授業のなかで子どもをどう励ますか』の「2 授業で大切にすべき五か条」の(3)では、さらにこの作品にふれながら次のように書きました。
(3)集団で学び合うことのすばらしさを感じさせる
授業の終わりの方で、西尾君が、「船水のおかげで、頭がよくなった。」といっている。このことばのとおり、授業は、集団で学び合うことによって、一人で学ぶよりも、より多くのことを学ばせなければならない。子どもたちにも、一人で学ぶより、みんなで学ぶことの方が、楽しいし、より多くのことを学べるのだということに気づかせなければならない。だから、すかさず、教師が西尾君の発言のあとに、「船水君がまちがえたおかげで、とっても勉強になったね。」といっているのである。こうしたことは、授業の終わりや、途中で、常に教師が意識して、「今の、○○君の発言は、みんなに新しい問題を提案してくれたね。」といったりもしながら、友だちから多くのことを学んでいる事実に気づかせるのである。
友だちから学べることは、知識やものの本質にせまるような見方、考え方だけではない。集団で学び合う場で、あるいは生活する中で、子どもたちは心を育てあっているのである。
さきほどの「大きさくらべ」の作文の、後半の部分で「さっきの羽場さんのやり方で、26と27を比べられますか。」とたずねたとき、みんはは、「できない。」と答えてします。その時の羽場さんの行動を船水君は、「まえのせきのはばさんが、みんなができないといいそうだから、口をとんがらせて、みんなのかおをみました。」と書いている。このときの羽場さんの行動や気持ちを意識させることは、他人の気持ちをおしはかることのできる大切な目となる。
こんなふうに書いたときには、この文章の部分をとり出して、このときの羽場さんの気持ちがどうだったかを考え合わせるとよい。そして、授業の中で、ときには心配しながら、ときには、お風呂に入ったような気持ちになったりしながら、いろいろと勉強のことや、自分のこと、友だちのことで、喜び、いかり、悲しんだりしながら、人としても成長していくのだ。授業の中でいろんな人が、いろんな意見や心の動かし方することから、ものごとには、いろんな考え方があるものだ。人は、その時どきで、いろいろな考え方や行動をするものだということに気づかせて、人間性豊かな人に育てるための土台をつくっているのだということを、教師はより意識して指導し、子どもにもそれをわからせなくてはならない。
□今になって、この文章を読み返すと、最後の方は、少し大上段にかまえすぎている感じもします。でも、子どもは、生活や授業の中の一つひとつの「もの」「こと」「ひと」の行動から学んでいるのです。学校で過ごす時間の多くが「授業」なのです。算数の学と合わせて、授業とはどういうものかを、わかってもらうために、授業のことを日記や作文に書いてもらってきたのです。
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