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前期量子力学

2010-04-10 23:25:28 | 雑感
と、いうわけで量子力学のお話、始まり始まり。

量子力学は黒体輻射問題から始まりました。金属を溶鉱炉に入れて加熱すると赤く光ります。さらに温度を上げると白っぽい光になります。日本語の「赤熱」とか「白熱」の語源ですね。そんな熱い物体の光り方に関する問題です。

熱い物体の発光スペクトルは、どうやら物体の温度のみに依存していることはわかったのですが、19世紀までに築き上げられてきた古典物理学で説明しようとすると、無限大に発散して上手く説明できなくなってしまいました。

そこで1900年にマックス・プランクが、
「エネルギーは、ある最小単位(プランク定数)の整数倍の値しか取れない」
と仮定すれば、実験結果を上手く説明できることを提唱しました。エネルギーは飛び飛びの値しか取れないんだ、というアイデア。エネルギーの量子化仮説と言われるものです。

しかし当然、エネルギーが飛び飛びの値しか取れないなんて、突拍子もないことは当時の学会で猛反発を受けます。寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞと。

しかしそんなプランクの仮説を踏まえたうえで、1905年にアルバート・アインシュタインが、金属に光を当てた時に電子が飛び出す現象を、
「光が粒子として振舞う」
と仮定すれば、実験結果を上手く説明できることを発表しました。光量子説と言われるものです。

ニュートンの時代には光が粒であると唱えていた人もいましたが、反射、屈折、回折、干渉など光は波特有の性質を示し、誰がどう考えても波であることは動かしようのない事実です。そこへもってきて光量子説がなんだか本当っぽい、っていうことで学会が揺れ始めました。

ちなみにアインシュタインが1905年に発表した論文は、特殊相対性理論に関するもの、ブラウン運動に関するもの、そして先に挙げた光電効果に関するものと、「奇跡の年」と呼ばれる輝かしい業績が一挙に揃いました。相対論、量子力学、統計力学と、20世紀の物理学、のみならず科学や思想までが1905年のアインシュタインの論文で方向付けられたと言っても過言ではありませんね。

やがてニールス・ボーアが電子の角運動量を量子化することによって電子軌道の考え方を見出し、原子のモデルを確立しました。また、ルイ・ド・ブロイがアインシュタインと逆の発想をすることで、電子などの物質も波動として振舞うことを予言しました。

そうした理論をヴェルナー・ハイゼンベルクの行列力学、エルヴィン・シュレーディンガーの波動力学、ポール・ディラック、マックス・ボルン、パスクアル・ヨルダンなどが数学的体系を与えました。量子力学を数学で扱えるようになったのです。
(その数学は、量子論の父となったプランクでさえ理解できないものになっていましたが。)

こうして量子力学の基礎付けが出来上がっていくわけですが、そんな量子力学の流れに
「信じられるか!」
と文句を付ける人間が現れました。その人こそ、アインシュタインだったのです。

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