そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

大相撲

2010-02-04 20:21:27 | 雑感
朝青龍が引退したんで少しだけ「大相撲」について。

「大」の付かない「相撲」は元々、(日本の)神様をお祭りする「神事」で、健康に恵まれた男性がその力を神前で披露し、敬意と感謝を示す儀式。古事記にまでルーツが遡るんだそうです。

それが「プロスポーツ」として定着したのは17世紀。相撲を「プロスポーツ」としてプロモートしたのが「大相撲」。当然「プロ」なので、スポンサー(商人や公家など)が付いて「エンターテインメント」の色も帯びることになります。

ところが明治維新が成り、西欧諸国に文明国家であることを示す必要性から「裸体禁止令」が発令されたあおりで、当時の力士達は罰金および鞭打ちの刑に処せられちゃったこともあります。
「裸で取っ組み合うなんざ、文明開化にそぐわない野蛮で見苦しい風習だ!」
と。相撲が「反体制」だった珍しい時期ですね。

ただ、明治天皇自身が相撲を取る趣味があったことと、初代内閣総理大臣・伊藤博文も相撲をやっていた(長州征伐戦で伊藤が率いていたのは「力士隊」でした)こともあって、「天覧相撲」が実現。天皇のお墨付きという箔が付いた相撲は、本来もっている娯楽性から、庶民に愛されるスポーツとしての位置を確実なものとしました。

・・・と、さらりと大相撲の歴史を書いてみましたが、「大」の付く「相撲」はその成立期から「エンターテインメント」の面を持ち、なおかつ明治天皇や伊藤博文が相撲好きだったという幸運に恵まれたために「反体制」から「国技」と認識される(←本当は国技と認定されているわけではない)までに逆転できたにすぎません。

なので、「大」の付く「相撲」に伝統だとか品格だとかを求めるのは筋違いだと思うんですよ。本来はプロレスと同じ系統のもんだと。

それなのに現在の大相撲は、「神事」であることと「プロスポーツ」かつ「エンターテインメント」であることが未分化で、よくわかんない権威付けがなされちゃっている様な気がします。「相撲」はともかく、「大相撲」を高尚な神事と権威付けることで、その周りにタカる人間が利権と名誉を捏造している。・・・こんなこと書いたら権威主義の人に怒られそうですが。

ワタシは朝青龍が登場したとき、テリー・ゴディと同じように見ました。強すぎるぞ、コイツ!!

相撲はもっとシンプルに、スポーツ、エンターテインメントとして楽しめばいいんですよ。日本人だけじゃ既に成り立たなくなってるんだし。

P.S.
朝青龍が引退したのは妥当だと思います。刑事事件起こしましたから。そこは弁護しません。