久々に更新、心と言葉を考えるシリーズ。今回は「心は実在か?」ということを考えます。
さて問題。「心って何?」と尋ねられたら、あなたはなんと答えますか?
「魂」とか「精神」のように答える人、要するに「心」というものがお皿やパソコンのように実際に存在すると考えている立場ですね。プラトンのイデア論は魂、デカルトなんかは精神を実際に存在すると主張する考え方。こういう「心は身体と独立して存在する実体だ」という主張は実体二元論と呼ばれています。
もう少し風呂敷を広げますと、唯心論というのがあります。一元論的な唯心論というのは、言わば「この世の中は心が見せる『幻影』にすぎない」という主張。自分に手足があると思い込んでいるのは心がそう錯覚させているだけだ!というわけ。
・・・もちろんそれぞれの主張は偉大なる思想家たちが説得力のある説明をつけていますけど、ここでは乱暴ですけど紹介しません。とにかく「心は実体として存在する」と主張する人は少なくないのです。
しかし科学が進歩してロボットという「物体」を考えるようになると、心は実体であるという主張はなかなか難しいかな、と。
鉄腕アトムやドラえもんのような「心を持ったロボット」の「心」は、プラスチックや金属なんかでできた「物体」ですよね。物質を組み合わせただけで「心」が出来上がる。「心」は「物体の状態」に還元できる。こうなると「心は実体である」という考え方は間違っているわけです。
「ロボットの『心』なんて、所詮人間の『心』とは別のニセモノだ」という主張をされる方は、どこがどう違っているのか説明する義務が発生します。金属やプラスチックの塊であるロボットの「心」はニセモノで、肉の塊である人間の「心」はホンモノだ、とはこれいかに?その違いにこだわるのは単なる思い込みや偏見の類であって、そういう考え方がアトムを泣かせているのです。
以上のような考え方で、ワタシは「心は実体ではない」と考えます。次回は
・「心」は無限に分割して解説することは可能
という点を説明したいと思います。
さて問題。「心って何?」と尋ねられたら、あなたはなんと答えますか?
「魂」とか「精神」のように答える人、要するに「心」というものがお皿やパソコンのように実際に存在すると考えている立場ですね。プラトンのイデア論は魂、デカルトなんかは精神を実際に存在すると主張する考え方。こういう「心は身体と独立して存在する実体だ」という主張は実体二元論と呼ばれています。
もう少し風呂敷を広げますと、唯心論というのがあります。一元論的な唯心論というのは、言わば「この世の中は心が見せる『幻影』にすぎない」という主張。自分に手足があると思い込んでいるのは心がそう錯覚させているだけだ!というわけ。
・・・もちろんそれぞれの主張は偉大なる思想家たちが説得力のある説明をつけていますけど、ここでは乱暴ですけど紹介しません。とにかく「心は実体として存在する」と主張する人は少なくないのです。
しかし科学が進歩してロボットという「物体」を考えるようになると、心は実体であるという主張はなかなか難しいかな、と。
鉄腕アトムやドラえもんのような「心を持ったロボット」の「心」は、プラスチックや金属なんかでできた「物体」ですよね。物質を組み合わせただけで「心」が出来上がる。「心」は「物体の状態」に還元できる。こうなると「心は実体である」という考え方は間違っているわけです。
「ロボットの『心』なんて、所詮人間の『心』とは別のニセモノだ」という主張をされる方は、どこがどう違っているのか説明する義務が発生します。金属やプラスチックの塊であるロボットの「心」はニセモノで、肉の塊である人間の「心」はホンモノだ、とはこれいかに?その違いにこだわるのは単なる思い込みや偏見の類であって、そういう考え方がアトムを泣かせているのです。
以上のような考え方で、ワタシは「心は実体ではない」と考えます。次回は
・「心」は無限に分割して解説することは可能
という点を説明したいと思います。