中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

三尸(さんし)の虫

2006-12-03 20:21:37 | 身辺雑記
 知人数人と連れ立って奈良に出かけた。近鉄奈良駅の前で待ち合わせ、揃ったところでまず奈良町に出かけた。誰かがもらってきて配ってくれた「ならまち散策マップ」によると、奈良町は行政地名ではなく、元興寺(がんごうじ)の旧境内一帯を「ならまち」と呼んでいるとのことだった。江戸時代の古い街並みを想像していたが、それほど古い感じはしない。それでも何となく古風な商家もあって、細い道をぶらぶらしていると静かでゆったりとした気分になった。

 元興寺。養老2(718)年に飛鳥寺を平城京に移して以来の名称と言うから沿革は古い。かつては極楽房と称して、南都七大寺の一つとして広大な寺域を有していたと言う。



商家




 砂糖傳という、和三盆など甘いものを売る店があり、米飴という水飴を売っていたので、昔懐かしくなり買い求めた。

            

 庚申堂と言う小さな祠があった。庚申の別称である青面金剛(しょうめんこんごう)を祭っている。屋根に庚申の使いとされる猿の像がある。



 甲申は干支の一つ「かのえさる」で、年、月、日にそれぞれにあって、60回で一巡りする。人間の体内には三尸の虫という3匹の虫が棲んでいて、その人が隠している悪事を監視し、庚申の日の夜に人が寝ている間に天に登って天帝にその罪悪を報告すると言う。その結果によっては寿命が縮められることもあると言われていた。古く平安時代に中国から伝わった道教由来のもののようだ。そこで庚申の日には、人々は集まって酒盛りなどをしながら三尸の虫が体から抜け出さないように、寝ずに夜明かしをするようになった。今ではほとんど廃れているようだが、これを庚申待と言い、集まりを庚申講と言う。

 この庚申堂にある説明板によると、三尸の虫はこんにゃくが嫌いなので、庚申待の時にはこんにゃくを食べたと言う。三尸の虫がなぜこんにゃくが嫌いなのか、こんにゃくを食べるとどういう反応を示すのか、そこらは解らなかった。

 庚申堂のそばで中年の女性がこんにゃくを売っていた。丸いこんにゃくが3つ、串に刺してある。温かくておいしそうなので一串買った。100円である。味噌や胡麻、青海苔をつけて渡してくれた。歯ごたえが硬くてなかなか旨かった。



 この辺りの家々には軒先に赤い丸いものがぶら下げてある。



 これは身代わり猿と言うものだそうで、庚申堂にあった説明板には

 「三尸の虫はもう一つ猿が大嫌いだった。猿が仲間と毛づくろいしている姿は、まるで三尸の虫を取って喰べている格好のように見えたので、三尸の虫は恐れをなして逃げてしまったと言う。そこで人々は、いつも家の軒先に猿を吊るして悪病や災難が近寄らないように、おまじないをしているのです」

とあった。庚申堂にも、寄進者らしい氏名を書いた身代わり猿がたくさん吊るしてあった。

 奈良町資料館。巨大な身代わり猿が飾られている。ここでは大小の身代わり猿を売っていたが、結構高いものだった。



 民間の信仰や伝承と言うものは面白いものだ。庚申信仰にしても初めはもっともらしい道教の教義から由来して、後世になるほど猿やこんにゃくなどさまざまな風習が付け加わったもので、堅苦しく理屈っぽく考えると、迷信だと言ってしまえばそれまでのものだが、こういうことが長く続いていることには興味があるし、いにしえの人々の生活や考え方を想像するのも楽しい。庚申待などは、信仰ということはもちろんあったのだろうが、案外集まって楽しむリクリエーションのようなものだったのかも知れない。


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2 コメント

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三尸の虫にはこんにゃく? (sibuya)
2006-12-04 21:55:39
いつもコメント有難うございます。
三尸の虫 面白い話ですね。
私は普段の行いが悪いので いつも三尸の虫が
天に昇って天帝に報告されそうです。
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心配ありませんよ (中国迷爺爺)
2006-12-05 21:16:34
sibuyaさんのような愛妻家で家族思いの方は、三尸の虫も天帝には報告しようがないでしょう。
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