中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

匿名性

2012-04-02 09:03:08 | 身辺雑記

 長男の家族と食事した時に、長男がこんな話をした。 

 パソコンをいじっているうちに、予期しないサイトに入った。そこはかなり知られたチャンネルの掲示板で、その書き込みを見ていると「死ね!」などのあまりの言葉遣いの悪さにげっそりしてしまったらしい。どうしてあのようなえげつない言葉遣いになるのか、短い言葉で、よくあれだけの性格が悪く口汚いことが言えるものだと心底苦々しそうに言い、もう二度とあそこは覗かないとも言った。私も福島の被災者にひどい言葉をあびせかけていた書き込みを読んだことがあるからそれを話し、しばらくそのことで遣り取りをしたが、息子は「結局匿名性に問題があるのだろうな」と言った、匿名だと何でも言えるという気持ちになってしまうのだろうし、またそのチャンネルではそのような言葉遣いをしないとならないという気持ちになるのではないかとも息子は言った。 

 匿名での言動は何も悪いことばかりではない。世間では匿名で恵まれない人たちのために多額の寄付をする人があるし、そこまで行かなくても街頭募金に応じるのももちろん匿名行為だ。新聞の読者の声の欄などへの投書も原則は匿名だが、時折本人の希望もあり、担当者が誹謗中傷の類ではなく、妥当と判断したものは「匿名希望」として掲載される。だから匿名ということは本来何も悪いことではない。 

 しかし世間には匿名であることをいいことにして、反社会的な、あるいは常識を逸した言を弄する者がいる。先にあげたチャンネルでの書き込みなどはその例だが、他にも何かあると市役所などの公的機関にクレームをつける人間などもその例だろう。市長の発言や職員の応対が気に入らなかったとかいうと、すぐに市役所などに電話やメールでクレームが入る。被災地の木の薪で大文字の送り火をしようとした時のかなりの数の京都市民の反応などもそうだろう。おそらくはほとんどすべてが匿名だ、中には口汚くののしるというのもある。相手に顔を見られない匿名ということで、傲慢さが現れてしまうのではないか。 

 車に乗ると人が変わるということを時折聞く。車に乗るとおっとりした人間でも荒々しくなるのか、本来の性格が車という自分の占有空間の中で露呈してしまうのかは分からないが、このようなことはブログでも感じる。 (続く) 


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