法隆寺
久しぶりに訪れた。30年ぶりだろうか。夢殿の救世観音のご開帳のときだったと思うが、その当時のことは覚えていない。門前はきれいに整備されている。少し前にテレビで門前にある老舗の蕎麦屋の立ち退きのことがニュースになっていた。
法隆寺はよく知られているように世界最古の木造建築で、1400年の時を経ている。1993年には日本初の世界文化遺産として登録された。18万7千平方メートルと言われる広大な境内は塵ひとつ落ちていない清浄さで、就学旅行の中高生が来ていたが静寂だった。
中門と五重塔(飛鳥時代)。ここは西院伽藍と呼ばれる寺域で、南側にある中門から東西に廻廊が延び、北側の大講堂につながっている。廻廊に囲まれた中には東に金堂、西に五重塔がある。
五重塔(飛鳥時代)。日本最古の五重塔。釈尊の遺骨を納めるためのストゥーパ(卒塔婆)で、仏教寺院では最も重要な建物。
金堂(飛鳥時代)。本尊を安置する。聖徳太子のために造られた金堂釈迦三尊像(国宝)は有名。内部壁面の世界的に有名な壁画があったが、昭和24年に失火のために焼損。その時の新聞報道を断片的だがいまだに覚えている。
大講堂(平安時代)。学問を修めたり法要を営んだりする場。元来は飛鳥時代に建てられたが925年に落雷のために焼失し、990年に再建された。
大講堂から見た金堂、中門、五重塔。
聖霊院(鎌倉時代)。西院伽藍の東側に隣接する。僧侶の住居である僧房だった。
綱封蔵(こうふうぞう。平安時代)。宝物庫。
綱封蔵のそばを通り抜けてしばらく行くと平成10年に建設された大宝蔵院がある。飛鳥、奈良、平安、鎌倉の各時代の仏像や宝物などが展示されている。有名な玉虫厨子(飛鳥時代)、夢違観音像(白鳳時代)などがあるが、圧巻はわが国の仏教美術を代表する仏像として名高い百済観音像(飛鳥時代)で、そのすらりとした優雅な姿態には惹きこまれてしまう。館内は撮影禁止。
寺域の東端には739年に建てられた東院伽藍があり、この伽藍の中心が聖徳太子の供養のための夢殿(奈良時代)である。
四脚門と夢殿。
夢殿。堂内の厨子には秘仏の救世観音(くせかんのん。飛鳥時代)が安置されていて、春秋2回に限って開帳される。
夢殿を取り囲む廻廊。
鐘楼。
中国の寺や仏像はけばけばしい色彩のものが多い。我が国の寺院も創建当時は色彩豊かで、仏像も金色に輝いていたのだろうが、歳月を経て黒ずんだものになっているのは、なかなか趣があると思う。色彩はともかくとして、創建当時のこの法隆寺の周辺はどのようなものだったのだろうと思った。今では高い建物こそないが、多くの民家があり広い道路も走っている。1400年前にはおそらく寺の周辺には田圃や草原があり、遠くから伽藍が見渡せるものだったのだろう。タイムスリップができればなどと考えた。
梅雨の合間の1日はなかなか充実したものだった。H君夫妻は近頃はよく食事や遠出に誘ってくれるので無聊が紛れて有難いと思う。
久しぶりに訪れた。30年ぶりだろうか。夢殿の救世観音のご開帳のときだったと思うが、その当時のことは覚えていない。門前はきれいに整備されている。少し前にテレビで門前にある老舗の蕎麦屋の立ち退きのことがニュースになっていた。
法隆寺はよく知られているように世界最古の木造建築で、1400年の時を経ている。1993年には日本初の世界文化遺産として登録された。18万7千平方メートルと言われる広大な境内は塵ひとつ落ちていない清浄さで、就学旅行の中高生が来ていたが静寂だった。
中門と五重塔(飛鳥時代)。ここは西院伽藍と呼ばれる寺域で、南側にある中門から東西に廻廊が延び、北側の大講堂につながっている。廻廊に囲まれた中には東に金堂、西に五重塔がある。
五重塔(飛鳥時代)。日本最古の五重塔。釈尊の遺骨を納めるためのストゥーパ(卒塔婆)で、仏教寺院では最も重要な建物。
金堂(飛鳥時代)。本尊を安置する。聖徳太子のために造られた金堂釈迦三尊像(国宝)は有名。内部壁面の世界的に有名な壁画があったが、昭和24年に失火のために焼損。その時の新聞報道を断片的だがいまだに覚えている。
大講堂(平安時代)。学問を修めたり法要を営んだりする場。元来は飛鳥時代に建てられたが925年に落雷のために焼失し、990年に再建された。
大講堂から見た金堂、中門、五重塔。
聖霊院(鎌倉時代)。西院伽藍の東側に隣接する。僧侶の住居である僧房だった。
綱封蔵(こうふうぞう。平安時代)。宝物庫。
綱封蔵のそばを通り抜けてしばらく行くと平成10年に建設された大宝蔵院がある。飛鳥、奈良、平安、鎌倉の各時代の仏像や宝物などが展示されている。有名な玉虫厨子(飛鳥時代)、夢違観音像(白鳳時代)などがあるが、圧巻はわが国の仏教美術を代表する仏像として名高い百済観音像(飛鳥時代)で、そのすらりとした優雅な姿態には惹きこまれてしまう。館内は撮影禁止。
寺域の東端には739年に建てられた東院伽藍があり、この伽藍の中心が聖徳太子の供養のための夢殿(奈良時代)である。
四脚門と夢殿。
夢殿。堂内の厨子には秘仏の救世観音(くせかんのん。飛鳥時代)が安置されていて、春秋2回に限って開帳される。
夢殿を取り囲む廻廊。
鐘楼。
中国の寺や仏像はけばけばしい色彩のものが多い。我が国の寺院も創建当時は色彩豊かで、仏像も金色に輝いていたのだろうが、歳月を経て黒ずんだものになっているのは、なかなか趣があると思う。色彩はともかくとして、創建当時のこの法隆寺の周辺はどのようなものだったのだろうと思った。今では高い建物こそないが、多くの民家があり広い道路も走っている。1400年前にはおそらく寺の周辺には田圃や草原があり、遠くから伽藍が見渡せるものだったのだろう。タイムスリップができればなどと考えた。
梅雨の合間の1日はなかなか充実したものだった。H君夫妻は近頃はよく食事や遠出に誘ってくれるので無聊が紛れて有難いと思う。
あじさいに菖蒲ときれいどころになびかれて・・・
日本古来の建造物はどっしりとしていていいですね。
あちこちに工夫や知恵が込まれていて長い年月を耐えてきたんですね。
屋根の反りや腰板の木目、柱、あらゆるところに昔の技術が生きています。
宮大工さんって大変だろうな!
お疲れが出ませんように。
12日間の旅はさすがに少々疲れました。友人たちと過ごして楽しかったのですが、毎日動き回りましたから。やはり年ですね。いろいろとありましたので、まだまとめていません。
中国の寺や仏像は古くなると塗りなおすのか、鮮やかな色彩ですが、日本のものは年月を経て剥げ落ちてもそのままにしておくので、私にはこの方がいいと思います。
法隆寺の建造物や仏像を見ていると当時の宮大工(と呼んでいたのかどうかは知りませんが)や仏師たちのすばらしい技術に驚嘆します。
いい教え子をお持ちで幸せですね。
これは人徳のお陰です!
法隆寺は出張の折に、前日が日曜日でしたので
その折りにレンタサイクルを借りて色々周辺を
散策しましたが、20年ほど前になりますか。
懐かしいです。