Hg君、Hr君、邵利明(明明)と大阪城公園に行った。戦後関西に住みつき、大阪市内には何度も行っているが、大阪城には行ったことがなかった。Hg君もHr君も30年ぶりとかでもちろん明明は初めてである。
現在の大阪城の天守閣は3代目で、豊臣秀吉が1583年(天正11年)に築城を開始したのが、最初のものである。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡した。その後、1620年(元和5年)から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、1629年(寛永6年)に完成した。これが2代目大坂城である。江戸時代にはたびたび火災に遭い、天守も焼失した。昭和に入って天守の再建が計画され、1931年(昭和6年に完成した。太平洋戦争では米軍の空爆を受け、櫓など多くの遺構は焼失したが、天主は被災を免れた。
南外堀と六番櫓(国の重要文化財)


大手門(右)と千貫櫓(いずれも国の重要文化財)

明明が乗りたいと言ったので、ロードトレインという乗り物に乗り、外堀周辺を回って天守のある区域まで行った。

桜門(国の重要文化財)

城壁遺構

現在の天守は鉄金鉄骨コンクリート造りで、5層8階。天守の土台も含めて54.8m、2~7階は展示室、最上層は展望台になっている。初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁だが、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描く。1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録されている。




現在の大阪城の天守閣は3代目で、豊臣秀吉が1583年(天正11年)に築城を開始したのが、最初のものである。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡した。その後、1620年(元和5年)から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、1629年(寛永6年)に完成した。これが2代目大坂城である。江戸時代にはたびたび火災に遭い、天守も焼失した。昭和に入って天守の再建が計画され、1931年(昭和6年に完成した。太平洋戦争では米軍の空爆を受け、櫓など多くの遺構は焼失したが、天主は被災を免れた。
南外堀と六番櫓(国の重要文化財)


大手門(右)と千貫櫓(いずれも国の重要文化財)

明明が乗りたいと言ったので、ロードトレインという乗り物に乗り、外堀周辺を回って天守のある区域まで行った。

桜門(国の重要文化財)

城壁遺構

現在の天守は鉄金鉄骨コンクリート造りで、5層8階。天守の土台も含めて54.8m、2~7階は展示室、最上層は展望台になっている。初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁だが、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描く。1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録されている。



