シリーズでアップしている三池炭鉱。
文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は三池鉄道の保存機関車群です。
三池炭鉱が閉山した時に、
四輛の炭鉱電車が大牟田市に寄贈され、
現在も三池の化学工場の一角に保存されています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b2/f5d996596ee2e8265e3062d02138fb41.jpg?random=2aad0a7970f91e5ce98261d625966bce)
4つの車輛はどれも今では珍しい貴重な車輛ですが、
中でも目を惹くのは、最も古いL字型をした15tB形の5号機関車です。
その特徴的な形状と運転速度の遅さから、
大牟田の方言で亀をあらわす「ガメ電車」と呼ばれたそうで、
明治43年(1910)にアメリカから輸入されたものです。
ずんぐりとした低い車体と、
バランスが悪いほど大きなパンタグラフは、
とても愛嬌のあるルックスですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4d/a774f5af09b60715880ceedf939ef545.jpg?random=27ee908f789b03b49ef5eeaf4e2576cb)
ガメ電車の運転席部分の外観。
扉の構造がみあたりませんが、
なんと窓から入るのだそうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8c/597402b8fbbc158ff266557bac6469c0.jpg?random=392bb84e9a73e185b3c6e5bcc9db9ce2)
限りなくシンプルな運転席。
左側中央のとってのついた青い部分が、
荷物入れ兼用の運転席のようですが、
ただの鉄板なので、さぞかしおしりも痛かったのでは。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/81/8f001566f495a108bb37d19f12642f9c.jpg?random=6cde9660b48b65dd019de843c077de86)
ガメ電車の後ろにある、
少し重量が大きい凸型をした20tB形の1号機は、
明治44年(1911)にドイツから輸入されたもので、
その後の三池機関車のレファレンスにもなったモデルです。
さらにその後ろには凸の底辺部分がより長い、
昭和に入ってから芝浦製作所で製造された、
45tBB形の17号機が鎮座していました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/5c/d0e58780cf237a0fe2753a4d4b94fb0b.jpg?random=092c315e15057645ed758b2e3b5d8b5b)
この運転席は、上述の20tB形の1号機を模して、
日本車輌と三菱造船所で大正4年(1915)に製造された、
20tB形の5号機のもので、
国産機関車としては国内最古クラスのものだそうです。
ガメ電車のそれと比べると、かなり複雑な構造ですが、
それでも現代の運転席と違って、
産業遺産の雰囲気出まくりですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/0e/74062f002fe95dfedc441f6371fb128a.jpg?random=c8d0cd9b9907252518132e66e0cd968f)
上記の4車輛は、三池の機関車の中でも
ある意味重要な機関車なので保存されているのだと想いますが、
実は炭鉱時代の機関車は、現役で動いているものもあるんです。
この記事最下段の地図の上部にある、
修理工場と書いた建屋の中とその周辺のヤードに、
幾つもの車輛が停まっています。
画像は修理構造内に停車する、
20tB形の11号機(手前)と45tBB形の18号機です。
ご存知の方も多いと想いますが、
凸型の小さめのが20tB形、
凸型の底辺が大きいのが45tBB形ということですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3b/773f635b2cb3fc6061a7406f34c6a83d.jpg?random=dffa2cafeddd94abc1f79a00b417ad97)
なので修理工場の一番奥に停まっていたこの車輛は、
20tB形の9号機関車ということになります。
この他20tB形の12号機と45tBB形の19号機をあわせて、
現役で動いている電気機関車は全部で5輛あるそうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3e/f5a648b54f4c77d2d1ca31e4146f443c.jpg?random=a50d3147dea95881d375f1038662cca4)
20tB形11号機の後ろには電源車輛が連結されていますが、
これは、化学工場内では架線による運行が危険なためだそうです。
それにしても機関車よりもはるかに大きい電源車。
機関車を動かすのも容易ではないんですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/1f/e7e91f4eeb28f465e1ed79323f309c4c.jpg?random=5108c80a5d915a5d0394204717ecd236)
電源車に搭載されたバッテリーボックスの中には、
小分けされていくつものバッテリーが埋め込まれています。
三池炭鉱の電気機関車はいずれも、
なんの文化財にも登録されていないようですが、
これだけの状態で保存されているのはとても珍しいと想います。
是非とも保存して、後世に伝えて行って欲しいと想います。
◆
【三池鉄道の保存機関車群】
修理工場と保存基地は、
いずれも11月最初の週末の一般公開の日に、
同時に公開される様です。
私も、この記事の撮影は、他の方々と一緒に、
一般公開の日に撮影させて頂きました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/28/1deeba8cd7d8975990eb0b8e9d1077cb.jpg?random=ea8643b35b88041126e7099b076a3f10)
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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文化財等には指定されていないものの、
三池炭鉱の足跡を後世に残す意味で重要な残存施設。
今回は三池鉄道の保存機関車群です。
三池炭鉱が閉山した時に、
四輛の炭鉱電車が大牟田市に寄贈され、
現在も三池の化学工場の一角に保存されています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b2/f5d996596ee2e8265e3062d02138fb41.jpg?random=2aad0a7970f91e5ce98261d625966bce)
4つの車輛はどれも今では珍しい貴重な車輛ですが、
中でも目を惹くのは、最も古いL字型をした15tB形の5号機関車です。
その特徴的な形状と運転速度の遅さから、
大牟田の方言で亀をあらわす「ガメ電車」と呼ばれたそうで、
明治43年(1910)にアメリカから輸入されたものです。
ずんぐりとした低い車体と、
バランスが悪いほど大きなパンタグラフは、
とても愛嬌のあるルックスですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/4d/a774f5af09b60715880ceedf939ef545.jpg?random=27ee908f789b03b49ef5eeaf4e2576cb)
ガメ電車の運転席部分の外観。
扉の構造がみあたりませんが、
なんと窓から入るのだそうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8c/597402b8fbbc158ff266557bac6469c0.jpg?random=392bb84e9a73e185b3c6e5bcc9db9ce2)
限りなくシンプルな運転席。
左側中央のとってのついた青い部分が、
荷物入れ兼用の運転席のようですが、
ただの鉄板なので、さぞかしおしりも痛かったのでは。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/81/8f001566f495a108bb37d19f12642f9c.jpg?random=6cde9660b48b65dd019de843c077de86)
ガメ電車の後ろにある、
少し重量が大きい凸型をした20tB形の1号機は、
明治44年(1911)にドイツから輸入されたもので、
その後の三池機関車のレファレンスにもなったモデルです。
さらにその後ろには凸の底辺部分がより長い、
昭和に入ってから芝浦製作所で製造された、
45tBB形の17号機が鎮座していました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/5c/d0e58780cf237a0fe2753a4d4b94fb0b.jpg?random=092c315e15057645ed758b2e3b5d8b5b)
この運転席は、上述の20tB形の1号機を模して、
日本車輌と三菱造船所で大正4年(1915)に製造された、
20tB形の5号機のもので、
国産機関車としては国内最古クラスのものだそうです。
ガメ電車のそれと比べると、かなり複雑な構造ですが、
それでも現代の運転席と違って、
産業遺産の雰囲気出まくりですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/0e/74062f002fe95dfedc441f6371fb128a.jpg?random=c8d0cd9b9907252518132e66e0cd968f)
上記の4車輛は、三池の機関車の中でも
ある意味重要な機関車なので保存されているのだと想いますが、
実は炭鉱時代の機関車は、現役で動いているものもあるんです。
この記事最下段の地図の上部にある、
修理工場と書いた建屋の中とその周辺のヤードに、
幾つもの車輛が停まっています。
画像は修理構造内に停車する、
20tB形の11号機(手前)と45tBB形の18号機です。
ご存知の方も多いと想いますが、
凸型の小さめのが20tB形、
凸型の底辺が大きいのが45tBB形ということですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/3b/773f635b2cb3fc6061a7406f34c6a83d.jpg?random=dffa2cafeddd94abc1f79a00b417ad97)
なので修理工場の一番奥に停まっていたこの車輛は、
20tB形の9号機関車ということになります。
この他20tB形の12号機と45tBB形の19号機をあわせて、
現役で動いている電気機関車は全部で5輛あるそうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/3e/f5a648b54f4c77d2d1ca31e4146f443c.jpg?random=a50d3147dea95881d375f1038662cca4)
20tB形11号機の後ろには電源車輛が連結されていますが、
これは、化学工場内では架線による運行が危険なためだそうです。
それにしても機関車よりもはるかに大きい電源車。
機関車を動かすのも容易ではないんですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/1f/e7e91f4eeb28f465e1ed79323f309c4c.jpg?random=5108c80a5d915a5d0394204717ecd236)
電源車に搭載されたバッテリーボックスの中には、
小分けされていくつものバッテリーが埋め込まれています。
三池炭鉱の電気機関車はいずれも、
なんの文化財にも登録されていないようですが、
これだけの状態で保存されているのはとても珍しいと想います。
是非とも保存して、後世に伝えて行って欲しいと想います。
◆
【三池鉄道の保存機関車群】
修理工場と保存基地は、
いずれも11月最初の週末の一般公開の日に、
同時に公開される様です。
私も、この記事の撮影は、他の方々と一緒に、
一般公開の日に撮影させて頂きました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/28/1deeba8cd7d8975990eb0b8e9d1077cb.jpg?random=ea8643b35b88041126e7099b076a3f10)
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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三池炭鉱関連の近代化遺産について、分かりやすくまた数多くの遺産がよくまとめられていますね。また、日頃は公開されない場所や目にすることができない古い写真など、貴重なものが沢山掲載されていることも魅力です。
非常に貴重で魅力的なレポート、ありがとうございます。
三池炭鉱は、ずっと気になっていたのですが、このシリーズの最初にもアップしたとおり、
大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブの方々との出会いで、ファンクラブの方にご案内頂いたので、
普段見ることのできない施設も、沢山見学することができました。
せっかくなので、ささやかな三池の記録として、ご覧になって頂ければと想い、アップさせて頂きました。
それよりなによりed731003さんのブログ『炭鉱電車が走った頃』をさらっと拝見させて頂きましたが、
貴重な写真の数々とともに、なかなか一般的には知り得ない情報も満載で、
感激しました。
記事が沢山ございますので、ゆっくり拝見させて頂きます。