今日から4月に入りました。
昨夜の上野公園は多くの花見客で賑わったそうです。
京都の春を象徴する観光行事として、毎年4月1日~30日にかけて、京都の祇園甲部歌舞練場で開催される
祇園甲部の舞踊公演です。
都をどり公式サイトから、その歴史を抜粋しますと、
「明治維新による東京への遷都は、京都の人々にとり、衰退していくという危機感を抱かせる出来事で、
明治4年、京都府が設置され知事らが任命されると、彼らは京都再建に奔走しました。
京都の町の伝統を保持すると同時に新時代に即応した近代都市を建設しよう、というものであり、
その方法の一つとして、 博覧会開催の計画を立てました。このとき槙村副知事は、博覧会に娯楽性を
添えることを思いつき、春季の博覧会の附博覧(つけはくらん:余興の意)として、祇園の芸舞妓のお茶と
歌舞を公開することにしました。」
そして、翌 明治5年(1872年)、祇園新橋小堀の松の屋という貸し席で、『都』を名とする「都をどり」が
開催されたのでした。 時の京都府知事、槇村正直が作詞を、当時新進であった井上流家元、井上八千代
(三世 片山春子)が 伊勢音頭の総踊りを参考に 振付を担当し、舞台の両側に花道を設え、今までの
お座敷舞という舞台形式とは一味違う集団での舞を取り入れた革新的で、花道からおそろいの衣装を着けた
踊り子たちが登場して観客を驚かせたそうです。
(ウイキペディアより)
翌明治6年からは、新築の歌舞練場で単独に演ずるようになり、戦時中の6年間を中断した以外は毎年春の
京都の年中行事として今日に繋がっているのですね。
幕開きに必ず、「み・や・こ・をどりは~ ヨウイヤサア~」の掛け声で花道を繰り出す舞妓たちの群舞が
人気を呼んでいるとあります。
上演前、祇園甲部歌舞練場の2階でお茶席が設けられていて、一日交替制で点茶をする芸妓は京風の
島田髷を地毛で結い、衿を裏返す黒紋付の正装姿で登場し、控えは舞妓が担当をするそうです。
時代によっては舞妓、当時甲部にいた太夫が点茶を担当したり、複数の芸妓が時間によって交替することが
あったり、外国人にも人気が高いそうです。 点茶の形式は従来の形式ではなく「立礼式」というスタイルで
これは外国人を接待する為に裏千家により考案されたものだそうです。
(ウイキペディアより)
外国観光客には、チェリー・ダンスと紹介されていますが、ちょっと風情がりませんね。
もう30年ほど前になりますが、京都国際会議場で、ファクシミリの国際標準化に向けた最終会議が行われた
おり、夕食後に 主要な外国のメンバー何名かを、歌舞練場にお連れしたことがありました。この時は、
10月でしたから「都をどり」はありませんでしたが、楽しい雰囲気で大変喜ばれたのでした。