この8月に入って、思い立って、文教堂書店で「暗夜行路」(志賀直哉、前編・後編合本、新潮文庫、
平成26年45刷)を買い求め、このほど読み終えました。
今週金曜日(8月21日)から、山陰の大山(伯耆大山)行が 6月下旬に決まったからです。
伯耆大山には、55年前に高校同級だった3人で、大阪から山陰周遊無銭旅行をした時に登頂したことが
ありました。 ちょうど20歳くらいの、今から思えば、まだ精神的にも安定していたとは思えない
無謀ともいえる旅行であったかもしれません。 周遊切符の他には、2,000円の現金とチーズ1箱、
着替えなどの軽装そのものでした。 その、周遊の丁度真ん中あたりが大山登山でした。
登山らしい装備は何もなく、水筒さえ持たず、皮靴ではなんだからということで、わらじ2足
(1足は予備)で登ったのでした。 その前日も、予約した宿があったわけでなく、大山寺を歩いている時、
たまたま目に止まった宿屋を訪ねるというありさまでした。 確か、1泊2食で600円余であったような
記憶があります。
暗夜行路
暗夜行路は、それ以前に 読んでいたのでしょう。 主人公の時任謙作がこの大山に登ったように、
当時の我々も登ろうという形で、3人は粋がって小説のように行動したのでした。
しかし、暗夜行路というのは、どのような内容で、なぜ時任謙作は大山に登ることになったのかなど、
恥ずかしながら皆目覚えていなかったのです。 今回、大山行が決まって不思議なことに、すぐに
主人公である 時任謙作 の名前が出て来て、そして、55年前にそのように大山を登ったことも・・。
この小説を読み終わって、主人公が、そもそもの自身の出生の秘密(母と伯父の子)の悩みをどうする
ことも出来ないうちに、妻の過失がまた、それと類似であるなど、直接憎むべき対象が無いままに、
混沌とした苛立つ気持ちに苛まれ、それらを払しょくするための別居に似た旅行として大山に過ごし、
大自然の中に自己を見出す・・そして、病に倒れ妻が駆けつけたとき、ようやく和解に似た落ち着いた
心境を得るところで終わるのです。 600ページ弱の最後の100ページ足らずが、この大山に絡んだ部分で、
しかも主人公は、登山途中、腹痛がひどく頂上までは登っていないのですね。
50年以上も経って、こんな想い出に浸る・・そんな日常を過ごしているといえば、全く隠居身分と
失笑されるかもしれませんが、この大山行が決まって、若い頃の自分の行動や当時どんなことを考えて
いたのか、詳細は不明ですが、その一端が見える思いがしています。
今回は、十分事前計画された行程で、装備もそれなりに整え、宿泊はなだたる温泉旅館ですから安心です。
あの時は、頂上まで行きましたが、今は、頂上付近は崩落が激しく、19m下の弥山(1710m)を目指す
予定です。 当時と全く異なる部分は、55歳ある年齢差です。