蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

古事記から(3)  (bon)

2015-05-07 | 科学・生物

天の岩屋戸

 アマテラスオオミカミは恐ろしくなって、天の岩屋戸の中に隠れてしまいました。

 そんなわけで、高天原(たかまがはら=アマテラスオオミカミが支配する天の国)も真っ暗になり、
葦原の中国(あしはらのなかつくに=高天原と黄泉の国の中間、すなわち地上の世界)も闇に
つつまれました。 こうして永遠の暗闇が続き、あらゆる邪神の騒ぐ声は夏のハエのように世界に満ち、
あらゆる禍が一斉に発生しました。

 このような状態となったので、八百万(やおよろず)の神様たちは、高天原の安の河原に次々と
集まって来て相談をしました。 まず、思金の神(オモヒカネノカミ=思索、思慮の象徴神)に考え
させて、不死鳥である長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせ、次に安の河の川上にある堅い岩を取り、
天の金山から鉄を採ってきて、鍛冶師の天津麻羅(アマツラマ)という人を尋ねて洗練させ、
イシコリドメノミコトに命じて鏡を作らせ、また、多くの神々に命じてたくさんの勾玉(まがたま)を
貫いた玉の緒の飾りを作らせ、天の香具山の牡鹿の死体から抜いた肩の骨を、採ってきた樺(かば)
の木で焼いて占わせました。

 こうして神のお告げにより、天の香具山から枝葉の繁った五百本以上の賢木(さかき)を根こそぎ
抜いて、上の方の枝には、先ほどの玉の緒の飾りを取り付け、中には八尺の鏡(やたのかがみ)を
取り付け、下の枝には白と青の御幣(ごへい)を垂らしました。フトダマノミコトが、これらの品々を
神聖な幣として捧げ持ち、アメノコヤネノミコトが、荘重な祝詞(のりと)を唱え祝福しました。
その時、タジカラオノミコト(手力男命)が、天の岩屋戸のわきに隠れて立ちました。
そうしたところに、アメノウズメノミコト(天宇受売命)は、天の香具山の日陰の蔓(ひかげのかづら
=シダ系の植物)をたすきに懸け、マサキの蔓を髪にまとい、笹の葉を束ねて手にもって、
天の岩屋戸の前に桶を伏せて、それをドンドンガラガラ踏み鳴らし踊りだし、神懸かり(かみがかり)
になりました。女神のダンスはエスカレートし、乳房をかき出し、裳の紐を陰部まで押し下げたのです。
その様子に、高天原はとどろくばかりに、見ていた八百万の神様たちは、どっと大声で笑いだしました。

 岩屋戸の中のアマテラスは、外の大騒ぎを不思議に思って、岩戸を細めに開けて言いました。
「私が、ここにこもってしまったので、高天原も葦原の中国も闇につつまれ暗くなったというのに、
どうしてアメノウズメは、舞楽をし、八百万の神様たちは大声で笑っているのだろう。」 
そこで、アメノウズメが申すには、「あなた様にも勝る貴い神がいらっしゃるので、われわれはみな
喜び笑い、歌舞しております。」と申し上げている間に、アメノコヤネノミコトとフトダマノミコトは、
鏡を差し出してアマテラスに見せると、その姿が鏡に映ったので、ますます不思議に思って、
そろそろと岩屋戸から出て鏡の中を覗こうとしたところ、戸の側に隠れていたタヂカラオノミコトが
アマテラスの手をとって引き出し、すぐにフトダマが、注連縄(しめなわ)を天の岩屋戸の入り口に
引き渡し、 「もう、ここから中へは、帰ることはできません。」といいました。

 こうして、アマテラスが、天の岩屋戸から出てこられたので、高天原も葦原の中国も自然に太陽が
照り明るくなったのです。(神の死と復活再生の信仰が伺われるという。)

 そこで、八百万の神様たちは一同相談して、この事件の原因を作ったスサノオに罰として貢ぎ物を
出させ、ヒゲを切り、手足の爪を抜き、高天原を追放してしまったのでした。

 

ヤマタノオロチ(八岐大蛇)

こうしてスサノオノミコトは、高天原を追い払われ、出雲の国の肥河の川上、鳥髪という場所へ降り
立ちました。 この時、箸が川を流れ下って来たので、上流に人が住んでいるに違いないと思い、
たずねて行くと、老人と老婆が、少女を間に置いて泣いていました。 スサノオが、「あなた方は、
だれか。」と尋ねると、その老人が、答えました。「わたしは、この国のオオヤマツミ(大山津見)
という神の子で、名をアシナヅチ、妻の名はテナヅチ、娘の名は、クシナダヒメと申します。」
「あなたたちは、どうして泣いているのか。」  「わたしたちの娘は、もともと8人いましたが、
ヤマタノオロチが毎年襲ってきては、娘を食べてしまいます。今年も今、その大蛇がやってくる時期と
なったので、泣いているのです。」

                ヤマタノオロチ
                      (ネット画像)


 スサノオは、「そのヤマタノオロチというのは、どんな形の動物なのか。」と尋ねると、
「はい。それはもう恐ろしい怪物です。その目は、ホオヅキの花のように真っ赤で、胴体一つに
頭と尾が八つづつある大蛇です。そのからだには、コケや杉やヒノキの木などが生え、その長さは
八つの谷と八つの山ほどもあり、その腹は、一面にいつも血が滲んで、ただれています。」と
老人が説明しました。 スサノオノは、少し考えて老人に言いました。「あなたの娘を私の妻に
下さらないか。」 「恐れおおいことですが、しかし、あなた様はどなたでしょうか。」 
「わたしは、アマテラスオオミカミの弟です。今、高天原から降りてきたところだ。」 老夫婦は、
「なんと、それは恐れおおいことです。わたしの娘を差し上げましょう。」と答えました。

 こうして、スサノオは、その娘を爪形の櫛に変身させ、髪に刺しました。そして、アシナヅチ、
テナヅチの老夫婦にこう命じました。「あなたたち、幾度も繰り返し醸した濃い酒をたくさん造って
ください。そして、家の回りを垣で囲んでその垣に八つの門を作り、その門すべてに、桟敷を作り、
その上に酒桶を置いて、そこに濃いお酒をたっぷり入れて待ち受けなさい。」

 老夫婦は、命じられたとおりに準備をして待っていると、やがてその言葉通りヤマタノオロチが
やって来ました。大蛇は八つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで、酒を飲み始めました。
大蛇は、とうとう酔っぱらって、その場に大きな音とともに倒れて寝てしまいました。このとき、
スサノオは、身に着けていた十拳剣(とつかつるぎ)を抜いて、大蛇をずたずたに切り刻んでしまった
ので、肥の河が血の川となって流れていきました。そして、大蛇の中ほどの尾を切り裂く時に、
剣の刃が少し欠けました。不審に思って、剣の先を刺し、切り開いてみると、一本の立派な太刀が
現れました。スサノオは、これは珍しい変ったものだとお思い、アマテラスにこの事を話し、
これを献上しました。
これが、後にヤマトタケルが、敵から火ぜめにあったときに、草をなぎはらったということで有名に
なる「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)なのです。


 こうして、スサノオは、自分の宮殿を作る場所をこの出雲の国に決め、須賀の地にたどりついた時に、
「私は、この地にやってきてから、心がたいへん”すがすが”しい。」といって、ここに新居(宮殿)を
建てました。それで、そこを今でも「須賀」というのです。そして、初めて宮殿を建てられたときに、
その地から雲がもくもくと立ちのぼったので、次のような歌を詠まれたのです。


 や雲たつ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻隠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を
 (たくさんの雲がわき立つ わたしの宮殿 妻と一緒に暮らすための宮殿を造ろう その見事な宮殿を)


 そして、アシナヅチの神を呼んで、「あなたは、わが宮殿の首長に任じましょう。そして、稲田の
宮主(いなだのみやぬし)須賀の八耳(すがのやつみみ)の神と名乗りなさい。」と命じたのでした。

(クシナダ姫が、大蛇に呑まれるというのは、年ごとに雨期になると肥河が氾濫して流域の稲田が
壊滅する恐怖を、神話的に語ったものであるとされる。)

 スサノオは、妻のクシナダと寝所で夫婦の交わりを始めて、生んだ神の名はヤシマジヌノ神といい、
この神の五世の孫として大国主命が生まれるのです。大国主命は、またの名をオホナムヂノ神といい
この他計五つの名があります。 
(大国主命は、スサノオの六世の孫にあたるのですね。)         つづく


 

 

 

 

 

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