庄司利音の本棚

庄司利音の作品集
Shoji Rion 詩と物語とイラストと、そして朗読

「蜘蛛とわたし」 その3

2015-04-24 13:22:15 | 短編や物語
「蜘蛛とわたし」は、その1、その2、その3、その4で完結する短編です。
はじめてのかたは、その1からお読みください。


「蜘蛛とわたし」その3 つづき 

・・・本文・・・

さて、事の成り行きというものは、なってみないとわからないものである。

奇跡は存在した!

蜘蛛が、なんと、くるりと向きを変え、開いたドアから廊下へ進み出たではないか!

「ありがとう!あ~りがとーっ! 」

これは蜘蛛に言った「ありがとう。」

で、心のなかではもう一人に感謝。あぁ、徹子様、あなたはすごい!

さてさて、そうして彼は、つまり、蜘蛛さまは、廊下の中央に出たところで立ち止まり、どちらへ行ったらよいのかわからないのだが、というように私のほうを振り向いた。

「右よ、そっち、そっち。そっち行って」

私からみて右の方角に我が家の玄関があって、私はその玄関へ蜘蛛さまを誘導することとした。

今や、蜘蛛には、私の言葉は「なんだって通じるわぁ」と思っている、わたしである。

疑うことを知らないという純真な心は、ときに、大きな強みとなる。

どっかの格言に割り込ませたいね。

さて、彼のオールのような脚たちは、無駄のない、しなやかな動きで彼自身の黒い身体を移動させていく。

私は、彼の後ろ・・・正直言って、どっちが前だか後ろだかわからなかったけど、ま、彼から50センチほど間隔を置いて付いていくこととした。

いいわぁ、いいかんじ。

あ、さっき、飼い主を見捨てたキナコはどこにいるんだろう・・・

今、この瞬間、彼が彼を、つまり、キナコが蜘蛛を襲ったら、せっかくここまで築き上げた彼との関係が元も子もなくなってしまう。

今や、蜘蛛とわたしの関係は、さっきまでの私たちとは違っているのだ。

蜘蛛の糸で繋がっているようなものだ。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」では切れてしまったが、私はカンダタになるわけにはゆかぬ。

どうやら、キナコはよほどの安全圏まで逃げたらしい。今のところ、キナコの気配は感じられない。

「はい、そうです。そのま~んま進んで。ありがとー。あーりがとーっ」

人間より多目の脚をリズミカルに動かしながら、我が家の廊下を移動する彼の様は、威厳を感じさせ、かつ、優雅ですらあった。

さて、そろそろサロンのドアに突き当たる。たいして長い廊下ではないのに、なんだか、望遠鏡を逆さまに見たようにに遠く感じる。

さて、彼は、その突き当たりちょっと手前で、私のほうを再び振り向いた。

緩んできたバスタオルの端を脇に突っ込み直しながら、へっぴり腰で彼のあとを付いていく頼りないナビゲーターを、彼は待っていてくれる。

「あ、そこを再び右でございます」

「あ、その先が、我が家の玄関」

彼はゆるくカーブを切って迷うことなく私の希望する方向へ脚を進め、そして奇跡的に玄関の踊り場へあと一歩というところへ到達した。

すごい! 拍手!

やはり、蜘蛛には私の言うことが通じていた!というのは、もはや、疑う余地はない。

そろそろ、ここまで読み進めてくださったあなたも、そんな気持ちになってくれているのではあるまいか? ん?


さて、我が家の玄関は、20センチほど下がってタタキになっている。

あっ!

玄関には、下駄箱がある!

作り付けになっていて、その下の隙間なんかに彼が入りこんでしまったら、それこそ、あとはどこへなりとも、彼の行方は知れなくなる、ということに今、気付いた私・・・。

あぁ、政治家の献金なんかと同じ類で、質がわるい。

彼はといえば、タタキに下りる手前の角っこで、じっと動かない。

何を考えているのだろう。

逃げようと思えば、今は彼にとって絶好のチャンスである。彼としては、「アッシは、ここらで失礼いたしやす」なんて言ってそれこそクモ隠れできるのだ。

そうは言っても、ここまでの道程を二人で進んできた理由をしっかりと思い起こせば、彼は下へ下りて玄関ドアのほうへ進むのが、私との信頼関係に対して誠実と言える。

信頼関係?そんなもの、いつできたのかしらん?

ま、そういうもんは知らないうちに出来ているもんなんだろう。そう、信頼関係は出来ている。ような気がしている。

彼は蜘蛛としては、なかなか出来たほうの蜘蛛じゃぁないのか。

この蜘蛛が人間に変身したら、あの「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルのような風貌になるんじゃぁないか。

あのバトラーみたいに、悪ぶってはいるが、いざとなれば頼れる、それでいて一途に一人の女性を愛する・・・、おお!なかなか良い奴だ! うん、そうだ!

・・・はぁ?

私がこんなことを考えている間に、気がつくと、蜘蛛はタタキへ下りていた。あらら、すみません。

アポロが月面に着陸したときを思い出した。彼はやるべきことをやったのだ。

ここからは、以外に事は簡単に運ぶように思われた。

というのも、彼は玄関のドアのほんの手前、ぎりぎりまで進んでくれたのだ。

「ほいじゃぁごめんよ」と、

あ、そうじゃないな、

「お嬢さん、ごきげんよう。しばしの別れだ」とシルクハットをちょいと頭の上で浮かせてお辞儀をし、かろやかに出て行きそうな、猫紳士のバロンみたいな、あぁ、素敵!


しかし、ここで大きな問題が起こった。

そもそも私がこんな時間にシャワーを浴びていたのは、今の季節が夏だからで、これは随分説明が遅れて恐縮するばかりだが、こんな時間という今の時刻は、まだ午後の5時そこそこなんだな。

夏の日は長い。外は明るい。我が家の玄関は、人通りの多い通りに面している。

考えてもらいたい。ドアひとつ隔てて、そこには日常の生活が進行中なのだ。

誰も、蜘蛛とお話なんかはしていない。

そして、私はバスタオル一枚巻いただけである。

ドアを開けるには、かなりのグッドなタイミングが要求される。

言い換えれば、運を天に任せる、大きな大きな開き直りが必要だ。

しかし、百歩譲って、私にその大きな開き直り精神があったとして、どうやって、ドアのノブに手を近づけるのだ?

どうやったって、彼と私はかなりの接近を試みなければならない。

ドアの手前には彼がいる。

バスタオルから出ている私の二本の脚は、もちろん裸足で、ゴム長なんて履いていない。

だから、互いの皮膚にお互いの息遣いが感じられるほどの距離を覚悟しなくてはならない。

「エイリアン」という映画を見たことがあったけど、あのなかでは、かなりの豪傑な女性の主人公が頑張っていたっけ。

「・・・シガニー・ウィーバーだっけ?」

映画の女優の名前が浮かんできた。

こんなときに、私は変に記憶力が良い。

「私、パンツも履いてないわけねぇ。あぁ、でもドアは開けなくちゃあなたは出ていかれないし。」

彼がサンダル履きの私の裸足の足に乗って、ぞわぞわ太もものあたりまで這い上がる映像が浮かんだ。  

妙にリアル。

シガニー・ウィーバーの、左右に素早く動くあの眼球をちょっと真似してみる。

緊迫感、MAXってかんじね。

口の中がカラカラしてきた。私、無言。

どうやら、徹子さまも去ったらしい。

私は蜘蛛さまを見た。

「なにか良いお考えはございますか?」

二人そろってシンキングタイムである。

外では自転車が走っていく音やら、近所のおばさんたちがおしゃべりしながら歩いていく声がしている。

人通りの多い時間なんだな。

と、突然、蜘蛛は意を決したようにドアの側面を這い上がった。

え?ど、どうするの?



「蜘蛛とわたし」その4へ続きます




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