庄司利音の本棚

庄司利音の作品集
Shoji Rion 詩と物語とイラストと、そして朗読

手紙

2020-04-11 14:13:24 | 短編や物語
長い年月が流れました。

それは、遠い遠いあの日から始まって、

そして、毎日、毎日、途切れることなく続いて

ずっとずっと続いてきたから、だから、今になりました。

あのとき小さな子供だった老人は

今ではもう、子供であった自分のことをすっかり忘れていました。

生まれたときから自分はずっと老人だったと思い込んでいたのです。

ですから、老人の朝は、悲しい朝でした。

老人の夜は、寂しい夜でした。

老人は、悲しさと寂しさの隙間で眠り

悲しさと寂しさの隙間で生きていました。


ある日、老人のもとに一通の手紙が届きました。

薄茶色い皺々の古ぼけた手紙です。

覚えたての文字を一生懸命に書いたのでしょう。

たどたどしい小さな子供の字で、老人の名前が書いてありました。

「おやおや、こんな老いた私に、いったい誰が手紙をくれたんだろうねぇ」

そう思いながら老人は手紙の封を開けました。

手紙には、こんなことが書いてありました。


「ずっとずっと遠くの未来のぼくへ

ぼくは、どんな大人になりましたか?

ぼくは、どんな出来事に出会いましたか?

たくさん友達が出来ましたか?

ぼくは、なにをしましたか?

楽しかったですか?

面白かったですか?

それとも、悲しかったですか?

苦しかったですか?

ぼくは、一生懸命に生きることができましたか?

ずっとずっと遠くの未来のぼくへ

ぼくは、こんど、生まれてくるときも、きっと、自分に生まれます。

だって、ぼくはきっと毎日毎日、一生懸命に生きていくと思うからです。

どんな悲しいことも苦しいことも、きっと乗り越えられると信じているからです。

だから、ぼくは、こんど生まれてくるときも

きっと、ぼくに生まれます。」


そうなのです。

その手紙は、子供だった遠い昔の自分からやってきた手紙なのでした。

その手紙を読んだ老人は、しばらくじっとその手紙を見つめたまま、ぼんやりとしているようでした。

けれど、しばらくすると、老人の瞳のなかには、コンペイ糖のような輝きが生まれたのです。

「あぁ・・・そうだねぇ。楽しかったよ。苦しいこともあったけど、でも、楽しいことがいっぱいあったよ。

あぁ、そうだとも。一生懸命生きて来たよ。

あぁ・・・そうだねぇ。思い出したよ。

明日はきっと良いことがあるかもしれないんだよねぇ。

そうそう、良いことがあるかもしれないんだ。

そうだったよ。そうなんだ。」


老人は、心があたたかくなって、元気になっていく自分を感じていました。

そして、明日が来ることが楽しみになりました。

明日の朝が楽しみになりました。

明日の夜も楽しみになりました。

老人の心は、子供の心になっていました。

そして、その夜、老人は、最後の眠りにつきました。

夢のなかで、老人は、野原を走り、小川と飛び越え、空をかかえて、笑っていました。

どんなことでも自由自在のだたっ広い未来がそこにはありました。



明日を楽しみに

大きな希望をもって

老人は、

最後の眠りにつきました。



長い月日が流れたのち、

あなたにもいつか、子供だった自分から手紙が来るかもしれません。

その手紙を読んだ時、きっと、

あなたの瞳にも、コンペイ糖のような、輝きが生まれることを、

心から願っています。


ポニーの朝

2020-02-11 16:56:18 | 短編や物語
朝でした。

目を覚ますと、ガラスのコップに満たされたミルクの中へ落ちてしまったように、

私の周囲は、まっ白い朝なのでした。

けれど、しばらくすると、ぼんやりと、ぼんやりと

白い画用紙に、白い絵の具で描かれていくように、

まっ白い山が見えてきたのです。

確かにそれは、山の頂上でした。

ソフトクリームの一番上を、小さなスプーンで ひとさじぶん、

誰かが掬って舐めてしまったように、そこだけが平らです。

そして、そこには、一頭の小さな白い馬が立っていました。

ポニーです。

白い山の頂上に、白いポニーがいました。

陶磁器のお皿に描かれた絵のようです。

ポニーは短い草を食べています。

三日月よりも細くて尖った草が、一面に生えています。

ポニーは、その草をゆっくりと食べていました。

まるで、ガラスで出来ているように、草は透明です。

その透き通る草の重なりを抜けて、地表すれすれに、なにもかもが、

音もなく通り過ぎていくのでした。

草たちには、なにも留める力がありません。

ただ、黙って見送るだけです。

草たちは名残惜しそうに、ただ、見送るのです。

そして、

草たちは、一人一人

何か考え事でもしているように、

あっちへ揺れて、こっちへ揺れて・・・

ゆっくりと風になびいています。



そして、草の少し上には、たくさんの光のシャボン玉が飛んでいます。

光のシャボン玉の群れは、くるくるとポニーのまわりをまわって、

土星のわっかのように輝いています。

この真っ白い世界に、シャボン玉だけが、様々な色に輝いています。

どれひとつとて、同じ色はありません。

すべてがそれぞれに違って、それぞれに輝いています。

けれど、どのシャボン玉も、儚くあっという間に消えていってしまいます。

だから、消えてしまったシャボン玉がどんな色をしていたのか、

誰も思い出すことはできません。


誰かが瞬きをする一瞬です。

目をひらいた そのときに、光のシャボン玉が生まれます。

そして、ワルツを踊るように、ポニーに寄り添いながら、ほんの刹那、輝くのです。

次に目をひらいたときには、さっき見たシャボン玉は消えていて、

別の、違うシャボン玉が、ポニーのまわりでワルツを踊っているのです。


あふれるほどたくさんのシャボン玉が、色鮮やかに光り輝き 育まれた・・・

そういう世界が、どこかに、

きっと、どこかに、

あったのでしょう・・・。



穏やかな風が、お母さんの手のように、山の頂上を優しく撫でて吹いていきます。

「いい子、いい子、いい子だね・・・。あなたはいい子、ほんとにいい子・・・」

風はそう言いながら過ぎて行きます。

ふぅっとやってきて、くるりくるりと巡って、すうぅと消えていくのでした。



ポニーは、美味しそうに草を食べていました。

その首には、フサフサと白く輝く たてがみが生えています。

白いたてがみを、さっきの風が揺らしていきます。

たてがみの白い色が、その風のなかへ、水彩絵の具のように溶けていきます。

そして、この世界を白い刷毛で塗っていきます。

白く、白く、この世界を白くしていきます。



ポニーは、私に気づきました。

そして、私を見上げました。

ポニーの瞳は、深い青をしています。

白いその顔に、二つの夜空が輝いているようでした。

ポニーは、眩しそうに私を見上げました。


「こんにちは、ポニーさん」

私はできるかぎり優しく言いました。

ポニーはとても驚いているようでした。

「まぁまぁ、なんとまぁ・・・。」

けれど、私を怖がることもなく、嬉しそうに言いました。

「まぁまぁ、なんとまぁ・・・」

ポニーは繰り返して そう言いました。

だいぶ年をとっているようです。

長いこと、誰とも話をしていないのでしょうか?

年をとったお婆さんの声でした。

「まぁまぁ、なんとまぁ・・・。

ようこそ、お越しくださいました。

ありがとうございます。

あなたにお会いできて、私は とても うれしいですよ。

・・・・なんとまぁまぁ。」

年おいたポニーは、とても礼儀正しく首を垂れ、会釈をしました。

「あなたは、ここにお一人で暮らしていらっしゃるのですか?」

私は、失礼にならないように、丁寧に尋ねました。

「ひとり? そんなことを言ったら この子に叱られますよ。

ほらほら、出ていらっしゃい。」

すると、彼女の白い たてがみから、一匹の白い蝶が、花が一輪散るように、

ひらひらと姿を現しました。

蝶は、そのまま草の上を飛んでいきます。


「あぁ、失礼いたしました。

あなたのたてがみと同じ、真っ白な蝶々さんがそこにいらしたのですね。」


「お友達なんです。でも、ちょっと、はずかしがりやさんで・・・。

あらあら、あの子、あんなに遠くまで 飛んで行ってしまったわ。

でも大丈夫、すぐに戻ってきますよ。」

そう言いながら、彼女の瞳は、蝶を追って、

そうして、もっと遠くの何かを見つめているようでした・・・。


そして 彼女は、語り始めました。


「昔のことですが、まだ若かったころ、

私はこの山のふもとにある村に住んでいたのですよ。」

彼女はうれしそうに微笑みながら言いました。

「山のふもとに? 村があったのですか? そうなのですか・・・。」

しばらく彼女は黙っています。

それから彼女は、話を続けました。

「私は、この山のふもとにある村で、一人の人間と一緒に暮らしていたのです。

もうずいぶん前のことですわ。

どのくらい前なのか、私にも、もう わからなくなりました。」

そのとき、白い蝶が、ふたたび戻って来て、彼女の耳の先にとまりました。

彼女はそれを気にすることもなく、話をつづけました。

「私の飼い主は、とても優しい人間でした。

私と 私の飼い主は、とても仲良しでした。

気持ちがいつも寄り添っていましたもの。

私が生まれたとき、彼は若い青年でした。

彼は、雪のように白い美しい髪をしていました。


生まれたての私を見て、彼は強く、自分の馬にしたいと思ったそうです。

私と一緒に走りたいと・・・。


牧場で働いていた彼は、とても一生懸命に仕事をしました。

毎日、日が昇る前に起きて、日が沈んで最後の一人が帰っても、

彼は働き続けました。

生活を切り詰めて、やっと貯めたお金で、私を牧場主から買いました。

その日から、私は、彼の唯一の家族になりました。



彼は、小さな鞍を、私に作ってくれました。

仕事から帰ったばかりで、疲れているのに、休みもしないで・・・。

夜遅くまで、一生懸命、ひと針ひと針縫って 作ってくれました。

その鞍をつけて彼を背に乗せて、初めて歩いた日

あの日のことは忘れません。

私たちは、ゆっくりと村を一周しました。

私たちは、まるでずっと前から、そうしてきたように、

心を一つにすることができたのです。

最初は走らずにゆっくり歩きました。

それから日を重ね、時間をかけて、少しずつ速足になって・・・。

彼の手綱さばきは、とても優しかった・・・。

彼は、私をとても大事にしてくれました。

やがて私は大人になり、そして、彼を乗せて草原を走るようになりました。

小柄な彼は、細身で軽かったので、私は全速力で走ることができました。

あぁ、あのときの清々しい気持ち。

彼と私の心が一つになって、時空を超え

いくつもの時代を突き抜けて走っているような、そんな気がしました。



村には、年に一度、収穫祭がありました。

そのとき、馬のレースがありました。

私は彼と一緒にレースに出走しました。

村の馬たちは、大きな馬ではありません。

普段は力仕事をしている馬たちです。

けれど、私ほど、小さな馬もいませんでした。

どの馬も、私よりは大きな馬でした。

村人は彼をばかにしましたよ。

「こんなちびっ子馬で走る気か?よせよせ、やめとけ!」って。

でもね、レースは、ね。

どうなったと思います?

私と彼は、それは息のぴったり合った素晴らしい走りをしたんです。

秋の空に流れる白い雲と風のように、私たちは走りました。

他の馬を追い越しました。

そして、誰も私たちを追い越せませんでした。

優勝しましたよ。

ちびっこいポニーが、優勝したんです。

あのときの彼の笑顔、太陽の光を浴びて、きらきらと美しかったこと!

私は今もはっきりと憶えています。

絹糸のような風が、彼の髪を幾筋も通り抜けて行きました・・・。


幸せというものは、誰かと一緒に感じるからこそ、幸せなのかもしれません。

あのとき、私たちは、幸せを感じていました。


私たちは少しの賞金と、そして収穫されたばかりのジャガイモや、

美味しい干し草をたくさん もらいましたよ。

彼はその賞金に自分の貯えを足して、新しい鞍を買ってくれました。

村の職人が作った立派なものです。

刺繍飾りが付いていて、とてもきれいでしたけれど、

私は、彼が作ってくれた鞍のほうが、ほんとうは好きでしたよ。


もう、「ちびっこ馬」なんて言う村人は誰もいませんでした。

彼を乗せて村を歩くと、村人は、私たちに 「よぉ、優勝馬!」 って声をかけてくれました。


次の年も次の年も、私たちは優勝しました。

他の村から、私を買いたいという商人がやって来たことがありました。

その商人は彼の前にお金をたくさん置いて、

当然、私を買うことができるだろうと思っていたようでしたが、

彼は、首を縦には振りませんでした。

私たちは家族でしたから。




ある年のことです。

なぜか、その年は、収穫祭は行われず、馬のレースもありませんでした。

そう、ジャガイモの畑には、花も咲かなかったし、蝶も飛ばなかった・・・。

次の年も次の年も。

そして、ずっと・・・。


初めて優勝した日の記憶が、少しずつ、影絵のように ぼんやりとして、

本当にあったことなのか、夢のことだったのか、

くねくねとした山の稜線を辿るような、そんな時間が流れていきました。




気が付くと、彼の美しい真っ白な髪は、いつの間にか、銀色になっていました。

すでに彼は、若者ではありませんでした。

もちろん、銀色の髪をした彼を、私は大好きでした。




夏の夜でした。

月が輝き、草原の草たちがサワサワとおしゃべりを始めたころでした。

あの日、彼は草原に座って、星空を見上げていました。

星たちが藍色の夜空から、ほろほろとこぼれ落ちていく様子を、

彼は黙って見上げていました。

そのとき、彼が何を思っていたのか、私にはわかりません。

彼は何も言わず、なぜか少し寂しそうでしたけれど、でも、ときおり微笑んで、

そして幸せそうでした。

夜の風が彼の銀色の髪をすぅっと梳いていきました。

姿のない風が、目に見える一瞬でした。

風は嬉しそうに過ぎていきました。


やがて、暗くて長い廊下の向こうからやって来る部屋の明かりのように、

月の光が彼の髪を照らしました。

けれど、彼の心のなかまでは照らすことはできません。

すると、たくさんの星々が、彼のところへ我先にと集まってきました。

西の空からも、東の空からも。

そわそわと、心を弾ませながら集まってくるのです。

彼の周囲を囲んで星たちはキラキラと輝きました。

彼はまるで、万華鏡の中心に閉じ込められてしまったように見えました。

けれど、彼は優しく星たちを見上げていました。

そして、星たちは、滑り台で遊ぶ子供たちのように、

その銀色の髪を次々に滑り降りていきました。

誰もが楽しそうに、笑っていました。


星たちを追いかけて、私たちは、走りました。

私たちと星たちは、みんなで笑いながら走ったのです。

あぁ、楽しかったこと・・・。

彼を乗せて一緒に走るその瞬間が、私の幸せのすべてでした。


やがて星たちは夜空へ帰っていきました。

一つ、また一つ・・・。

そして、最後まで残っていた星も、振り返り振り返り、夜空へ帰っていきました。

みんなが帰ってしまうと、夜空は湖の水面ように静かになり、やがて夜が明けました。


夢のような日々でした。

夢の日々でした。


でも、楽しいときはあっという間に過ぎるものです。

そうでしょう・・・。



ある日、彼は、とても無口でした。

「おはよう、今日はちょっと山をのぼるよ、がんばっておくれ」

それだけ言うと、彼は手綱を引いて、馬小屋を出ました。

あのとき、彼は、私の背には乗りませんでした。

私は、鞍を付けて、彼を乗せて行くのだとばかり思っていましたが、

手作りの鞍も、初めて優勝したときに職人が作った鞍も、

どちらの鞍も、馬小屋の壁に吊るされたままでした。



彼と私は、一緒に山道を歩いたのです。

山道は、私の知らない道でした。

歩きながら私は思いました。

山の樹木や草や石ころや、小さな虫や、私たちの周囲のものすべてが、

年をとって、時間が急に早足で進んでしまったような気がしたのです。

空や雲や風も。

みんな、年をとってしまったような気がしたのです。

そして、それは、ほんとうだったのかもしれません。



私は、とても不安でした。

彼の後ろ姿は、とても悲しそうでした。

山道は、急に、険しい道になりました。

傾斜がきつくなってくると、小柄な彼の体は前のめりに丸まって、

顔が地面に付きそうでした。

その体はとても重そうでした。

一歩登るたびに、彼はとても苦しそうに何度か息を吸って、

途切れ途切れに吐いていました。

彼の首筋には汗が流れていました。

彼はときおり私を振り向いてくれました。

「大丈夫かい?無理をさせてすまないね」

そう言った彼の額には汗がいっぱい光っていました。

その雫は、頬をつたって、ぽたぽた落ちました。

まるで彼は泣いているように見えました。


私も、一生懸命に踏ん張って登りましたが、一足登るのがとても大変でした。

私は疲れている彼を背に乗せて、山道を登ってあげたいと思いましたが、

とうてい、できることではありませんでした。

私は初めて、自分の体が、鉛のように重くなっていることを知ったのです。

もしかしたら、私は、彼よりもずっと年をとっていたのかもしれません。


時間は、追いかけることも、追い抜くこともできません。

ただただ、一緒に、行くのです。

私たちは、一緒に登っていきました。


彼はときどき私の後ろにまわって、私のお尻をとんとんと優しくたたき、

ぐいと押してくれました。

「ほうれ、もう少しがんばっておくれ。お前なら、登れるさ。」

だから私は、がんばって、山を登りました。

そして、頂上に着きました。

ここです。

なんとまぁ、美しいところでしょう。

疲れが、すぅっと消えていくようでした。


「よしよし、おまえは良い馬だ。よくがんばったね。」

そう言って、彼は私をねぎらってくれました。

私をあの小さな池まで連れていき、私に水を飲ませてくれました。」


そこまで話すと彼女は、少し離れたところにある、小さな池を懐かしそうに見つめました。

あの白い蝶が、池のほとりを飛んでいます。


「あの水は、冷たくて美味しい水ですよ。

私が水を飲み終わると、彼も水を飲みました。

ごくごくと彼は美味しそうに水を飲んでいましたよ。

そして、空を見上げて、それから両腕をいっぱいに伸ばしました。

子供みたいに、手の平をひろげて、背伸びをしていましたよ。

ここは、空が間近に迫っていて、まるで空の天井に手が届きそうなところでしょ。

彼は、空の天井に触ってみたかったのかもしれません。

星たちや月や、風や、みんなに触れてみたかったのかもしれません。


そんなふうに思うことって、ありますものねぇ・・・。

でも、

近いようでも遠いものです。

遠いですものねぇ・・・。」

彼女はそう言って、私に微笑みかけました。


「そうそう、彼は、しばらくのあいだ、あの岩に腰を掛けてじっと遠くを見ていましたよ。」


池のすぐ近くには、形の良い、小さな岩がひとつありました。

彼女の飼い主は、あの岩に腰かけていたのでしょう。

私には、年おいた彼が体を丸めて、その岩に腰掛ける姿が見えるような気がしました。



彼女は、ちょっと浅い深呼吸をすると、また話を続けました。


「彼は、その岩に座って、しばらく黙っていましたよ。

その横顔には、深い皺が何本もみえました。

彼がそれほど年をとっていたなんて、私はなぜ気づかなかったのでしょう・・・。」


彼女は、ともて悲しそうに少し下を向いて、そして目をとじました。

目を閉じた彼女の横顔は、白い石像のように ひんやりとして動きませんでした。



彼女の飼い主がその岩に座っている間、彼女はどんな気持ちだったのでしょう。

私は、彼女の深い悲しみを思うと、何も言葉をかけることができませんでした。


そして彼女は、再び目を開きました。

あの青い瞳が見えました。



「私は、彼の横顔をじっと見つめていました。

どのくらいそうしていたでしょう。

どれほど時間が流れたでしょう。

今まで過ごしてきた私と彼との時間・・・

それよりもずっと長い時間、私は彼を見つめていたように思います。


そして、とうとう彼は立ち上がりました。

彼の細い腰が、ゆっくりと岩の上から離れました。

そして、私のほうへ歩いてきました。

私のたてがみを撫でて、鼻を軽くたたいて、それから私の首を抱きしめてくれました。

あのときの彼の匂いを、私は今もおぼえています。

干し草の匂い、陽だまりの匂いです。

「おまえは良い馬だ。ありがとう。私はお前と一緒に暮らした日々を忘れないよ。

お前のおかげで、私は幸せな日々だった。

ありがとう。

大丈夫だよ。大丈夫だよ。ここなら大丈夫だ。

お前だけは、このまま、ずっとこのままでいておくれ。

なにも変わりはしない。ここは、大丈夫だから。」

そう言うと、彼はくるりと背を向け、私から離れていきました。

彼が私から離れていきました。


すでに私には、わかっていました。

そうなのだと思いました。

突然、彼との別れのときがやって来てしまったのです。

彼は、二度と振り返りませんでした。

私も、彼を追うことはしませんでした。

あのときの彼の後ろ姿を見送りながら、私は思ったものです。

「なんとまぁ、寂しい哀しい後ろ姿をしているのだろう。

こんな後ろ姿を私は知らない」と。

私のために、世界中でたった一人、私のために哀しんでいる後ろ姿でした。



そして、彼の後ろ姿は、

夕陽が落ちるように、ぽとりと消えていきました。

まるで、彼は、別の世界へ溶けていってしまったようでした・・・・。


あのとき、

あのときは、夜だったのでしょうか?

それとも朝だったのでしょうか・・・。

私は何度も思い出そうとしたのですが、なぜか、思い出せないのです。

あの日の彼の髪のがどんなふうに輝いていたのか

最後の後ろ姿の彼の髪の色を

私は思い出せないのです。


あの日から、ずいぶん時間が経ちました。

そして今、私はここに、いるのです。」

彼女はここまで話をして、ずいぶん疲れた様子でした

彼女はふたたび遠くを見る目をしました。


白い蝶が、その視線のほうへ飛んでいきます。

彼女の見る遠くには、きっとあのとき、彼女から去っていく飼い主の後ろ姿が、

見えているのでしょう。


そうして、あの青い瞳で再び、私を見上げました。

包まれるような、優しい視線です。

そして、静かにこう言いました。

「私と彼が過ごした日々は、ほんとうに夢のような日々でした。

どこから夢が始まって、どこから夢が終わっていたのか、私にはわかりません。

今も、夢の中なのかもしれません。」




私は彼女になにかを言おうとしましたが、結局、言葉にはなりませんでした。

私は、黙りました。

彼女も黙っています。

私たちは、お互いに、ただ黙ったまま、

少しのあいだ、一緒に時を過ごしました。




気が付くと、彼女の姿が少しずつ、小さくなって、小さくなっていきます。

私は、彼女から遠ざかっているのです。

彼女は私を見上げています。

真っ白い世界で、海のような青い瞳が私を見上げています。


彼女が私になにかを言いかけました。

「あぁ、私、私・・・

思い出しました。

あのときの彼の髪の色を・・・あのとき・・・」

「何色だったのですか? 何色だったのですか・・・」

私は問いかけました。


透明な草の上を白い蝶が飛んでいます。

色とりどりに輝くシャボンの輪が、彼女の周りをまわっています。

白い山の頂上が、どんどん小さく遠ざかっていきます。

涙の一粒が頬から落下していきます。

小さく小さくなって、それを見送るように

彼らが小さな点になっていきます。


あぁ、あんなに小さくなっても、まだ、彼女は、私を見上げているのです。

白い刷毛が、白い絵の具で、私と彼らを塗りこめていきます。

私は、どうすることもできません。

どんどん高く、私は彼女から遠ざかっていきます。 離れていきます。

そして、彼女がこの世界の素粒子ほどに小さくなって、とうとう見えなくなってしまったとき、

私は思いました。


小さくなって、どんどん小さくなって、消えてしまったように 無くなってしまったように見えなくなっても、

それは小さく遠くなっただけで、無くなってはいないのだと。



彼女は今もあの山にいます。

友達の白い蝶といっしょに。

いつかまた、彼女は私を見上げ、そして私に彼との思い出を語ってくれることがあるかもしれません。

私はそう思うのです。

今も見上げている。

そう信じるだけで、私は幸せに包まれました。

彼女は言っていました。

「幸せというものは、誰かと一緒に感じるからこそ、幸せなのかもしれません。」と。

私の心の中に彼女がいます。



果てしなく終わりのないこの世界で、小さな命と小さな命が出会って、心を通わせ、

同じ時間を過ごし、共に生きる瞬間があります。

たぶん、この世界のあらゆる時間の大きな流れの中で、それは、とても僅かな瞬間でしょう。

それが、奇跡なのです。

ほんの僅かな時であったとしても、奇跡は、そんなふうに私たちのまわりに、どこにでも、いつでも存在しているのです。

あの光のシャボン玉のように。


風がふぅっと吹いて、すぅっと行ってしまいました。

「大丈夫。大丈夫。あなたはきっと大丈夫」

そう言いながら、どこかへ消えていきました。



一歩、一歩、一生懸命に歩んで

でも、あっという間でした。


このあいだまで若者だったのに・・・

そう・・・ついこのあいだまで。


でも、あっという間だったのです。

長くて長くて

長いけれど、でも

あっという間なのです。


「なんとまぁ、なんとまぁまぁ・・・」

ポニーの声が聞こえてきます。


あのとき、ポニーが見上げていたのは、誰だったのでしょうか。

誰を見つめていたのでしょう。


「なんとまぁまぁ・・・なんとまぁ」

ポニーの青い瞳が、見上げています。


朝になりました。




おおきな森がありました

2020-01-05 14:26:28 | 短編や物語



その森に生えている樹々には、命がみなぎっていました。

深い大地の底から深呼吸をする音が聞こえてきます。

低い音が聞こえてきます。

コントラバスで奏でるドミソの和音のようです。

太い根っこと太い幹と長い枝と、そしてたくさんの葉っぱには、命が大河のように流れています。

そうして、森の樹々は、みんなで力を合わせて、森に丸天井を作っていました。

緑の屋根です。

樹々たちは、あちこちでぶつかっては離れ、ごしゃごしゃに、ぐるぐるに、びゅんんびゅんに伸びています。


空の上から見下ろすと、この森は、命がくるくる踊る万華鏡の世界です。


小鳥たちが一緒になってくるくる飛んでいます。

この森で暮らす生きものたちの家が、この森なのです。


木々の葉は、一枚一枚が妖精たちが鱗粉を塗って念入りに磨き上げました。

花たちは、思い思いにおしゃべりをしています。

蕾は、ハミングしながら揺れています。


土の中では、小さな虫たちが、誰にも気付いてもらえなくても、一生懸命生きています。

そして、のしのし歩く大きな熊は、のしのし強そうに生きていました。

この森では、あらゆる命が、走り、遊び、眠り、戦い、生み、育て、生きるために生きる命をぜんぶ使って生きているのです。

この大きな宇宙が一回転すると、この森の命もまた、大観覧車のようにぐるりと巡っているのでした。



お日さまの光が、折り重なる木々の隙間から、細いストローのようになって、何本の何本も差し込んでいます。

ピアノのトリルを奏でるように、小刻みにちらちらと輝いています。


ディガディディガ、ディディンガ、ディガラン

神様の睫毛のように柔らかな金色で、なんだか、甘いミルクの香りがする音がしています。


けれど、森の奥深くでは、その心地よい音は一音も聞こえなくなります。

沢山の樹々が幾重にも折り重なって、お日様の光をさえぎってしまうからでした。

暗く、どんどん暗くなって、少し怖いくらいです。

暗い灰緑色の空気が、じっと動かないまま、森の地面に敷き詰められていました。

ここでは、時間がとまっているかのようでした。

それは、この森が生まれたときの最初の空気が、じっとそのまま、ここに残っているからなのでした。


地面に耳をあてると、かすかに森の心臓の音が聞こえてきます。

深い深い、遠い遠いところから聞こえてくる音です。

ふわぁふわぁっと、近づいたり遠のいたりしていきます。

その音は、森の体温の音、そういう音なのです。


おやおや、子猿たちが、その音を聞きに遊びにやってきましたよ。

みんなで腹ばいになって地面に耳をあてています。

両腕を広げて、眼を閉じました。

森の心臓の音は地面の奥底からやってくるのです。

その音を聴くと、とても気持ちが安らいで、いつもならキャッキャッとはしゃいでい子猿たちが、とても静かになってしまいます。

この森の大地を抱っこしているのです。



今度は、くるりと寝返りをうって、仰向けになりました。

上を見ると、地面とお空がぐるりんとでんぐり返しをしてくれます。

子猿たちのお腹の上には、森と空とそして、その上の上のもっと上の世界が何層にも重なってのっかっているのです。

きっと、この瞬間、星や、お月様や、もっともっと遠くの誰かも、この子猿たちの小さなお腹の上に乗っかっているのです。


小猿たちはそのことが面白くてしかたありません。

みんなでお腹をさすりながらクスクスわらってしまうのです。

とても楽しそうです。

友達が笑っている顔を見合わせて、そしてみんなで笑っています。



よおく見ると、空と森の境い目あたりの高いところには、ちょうど、クリスマスツリーの飾り玉のような、

水銀色の空気の玉がいくつも浮いているのをみつけます。

ほらほら、あれとか、あれです。

小さいのや、大きいのや、いろいろです。

葉の影に隠れているものもあります。


玉の表面は鏡のようにすべすべで、凸レンズのようになって、森の景色を写しながら、ちゅるちゅる小刻みに振動しています。

これらの玉は、樹が吐いた息が、まあるく玉になったものです。


そうして、樹の吐く息は、長い時間をかけて、少しずつ空に上り、空の天井に届きます。

空の天井に到着すると、だんだんと小さくなって、水の粒に変わります。

そして、雨となって戻ってきます。


さわさわと

さわさわと、

降り注ぎます。



みんな、新しく生まれる命となるためです。



雨の香りが、樹の香りと似ているのは、雨粒が樹々の根っこに吸い上げられて樹々の体を通り抜けていくからなのです。


雨粒は、いつかまたお空へ上り、そして雨粒となってふたたび降り落ちるのです。

雨粒の小さな命たちは、全部の命とつながります。

みんなそれぞれ、たった一回きりの一生を生きていきます。

そうして、また、たくさんの命につながっていくのです。



あなたたちも、やってきて、

あなたも、

あなたも、

まわる観覧車の一度きりの乗客なのです。



もう、ずっと、ずっと繰り返されて、繰り返されて・・・・。


これからも、ずっとずっと、続きますように・・・。






思い出の繭玉

2019-11-15 14:01:02 | 短編や物語


夏も終わり、秋も深まったある日の夜のことです。
その夜は、月も星もありませんでした。
夜空は、長いトンネルのようにどこまでも真っ暗です。

なにやら夜空の途中に、白い帯のようなものが、たなびいて見えます。
白い帯は、波のように高くなったり低くなったりしながらこちらへ近づいてきます。

よおくみると、帯のように見えていたものは、一つ一つが小さな白い玉のようです。
たくさんの玉が寄り添い合って、帯をつくり夜空を移動しているのでした。

その玉は、小さな子供がたどたどしい手つきで、くるくると巻いた糸玉ように、ふわふわの糸が何十にも巻き付いているようにみえます。
そうして、その中心がほんのり透けてみえるのです。

その玉の中で、なにかが動いているのでした。

玉がくるりと回転すると、万華鏡のように中身が変化しているようなのです。
桜の花びらのように、薄紅色をしている玉もあります。
金平糖が入っているような、淡い色がいっぱい見える玉もあります。
白黒の写真のように、色の無い玉もあります。

ときどき、その中心から透明なガラスをはじいたときのような、キーンとした高い音が聞こえてきます。
おしゃべりをしているような、眠っているような、笑っているような、泣いているような声も聞こえてきます。

どの玉の内側も、とても温かそうでした。
そして、どこか寂しげです。

そうなのです。
夜空を移動しているのは、だれかの思い出の繭玉なのでした。

思い出の繭玉は、みんなが寝静まる真夜中に、夜空の途中あたりに、ふぅっと吐いた息が凍ったように白く浮いて現れます。

誰にでも、大切な思い出があるでしょう。

繭玉のひとつひとつが、昔、誰かの大切な思い出だったのです。
誰かの心の中で生まれ、大切にされていたものです
誰にも思い出されることがなくなってしまった思い出が、繭玉の中にしまわれて、あてどなく、さまよっているのです。


これほどたくさんの思い出が、もう誰にも思い出されることがないのです。


繭玉たちはゆっくりと通り過ぎて行きました。

どこへ行くのでしょう。
繭玉たちは、いつか、どこかへたどり着くのでしょうか・・・。

繭玉たちは、だんだん、小さく遠くなっていきました。

一匹のカエルが、池のほとりで夜空を見上げています。
カエルは、もうすぐ、冬ごもりのために土のなかで眠ります。
カエルは、遠ざかる繭玉を見送りながら、藍色の夜空を、その大きな瞳で見つめていました。

「おいらが、思い出すよ。思い出の繭玉さんたちのことを、今夜のことを、おいらはきっと思い出すよ。」

カエルは、心の中で思いました。


思い出すことが、思い出を心の中に留めるのです。

そして今夜のカエルの、この思い出も、いつか、繭玉となって夜空に昇るのでしょう。


どこかで星が生まれたのです

2019-10-22 13:44:11 | 短編や物語
ちょうどそのころ、はるか遠い銀河の果てで、小さな星が一つ、生まれました。

生まれたての星は、とても優しい星でした。
「とくん」と一回、鼓動を打つと、星のどこかで、だれかが呼吸をはじめました。
ふうぅっ、ふうぅっ、すうぅっ
たった一個の小さな星の、初めての時間が動き出しました。

ザブンザブン、サヤサヤサヤ
ザブンザブン、サヤサヤサヤ
波がおしゃべりをしています。
なにか楽しいことがあったのでしょうか?



ここは小さな島です。
真っ白い砂浜に、たった一人になった大きな木が立っています。
その木の上を、風と雲が通り過ぎて、何度も朝と夜が巡りました。

ザブンザブン、サヤサヤサヤ
ザブンザブン、サヤサヤサヤ
木だけが聞いている音です。

星たちが、レース編みのショールのように夜空を覆っています。
一つの星が呼吸をすると、その呼吸の暖かさを喜んで、周りの星たちが小刻みにちりちりと瞬いて揺れました。
まるで星と星が呼び合うように、次第にその瞬きは遠くの星へ星へと伝わっていきました。

いつもこうして 命の細胞が編みあげられていくのでした。

空には、湖のように大きくて まあるいお月さまが浮かんでいます。
鏡のようにすべすべに輝いています。
お月さまの光に照らされた木の影は、島の端っこまで伸びて、そこから先は海の波へ沈んでいきました。
絵の具が溶けていくようです。
お月さまが作り出す影は、この世界で、この木の影だけになりました。

しばらくすると 反対側からお日さまも のぼってきました。
お日さまは、朝焼けの蜂蜜色の空を従えています。
お日さまの日射しは、お月さまが作る影とは反対の方角へ、木の影を作り出しました。
その影は島の端っこまで伸びて、その先は、やはり 海の波へ沈んでいきました。
誰かがとろとろと眼を閉じていくようです。
お日さまが作り出す影も、この世界では、この木の影だけなのです。

たった二つの影が、この世界で、最後の命の影なのでした。

空は、半分が夜で、半分が朝の空でした。
どこからともなく夜になり、どこからともなく朝になって、遠い記憶の音が行ったり来たり漂う世界です。

お月様とお日さまに見つめられて、木は今、なにを考えているでしょう。
木には、どんな思い出があったのでしょう・・・。

一枚の葉から、雫が一滴すべり落ちました。
テゥルルルリン
雫はゆっくり、ゆっくり落ちていきます。
固まりかけのゼリーの中を通りぬけていくように、名残惜しそうに ゆっくりと落ちていきます。

小さな一粒の雫は、お月さまとお日さまから放たれる二つの光を反射して輝きます。

両手を力いっぱい伸ばして、クルクルまわる妖精のようです。
その妖精の両手の先から、放射状にまっすぐに光が反射していくようです。

そして半分が夜と、半分が朝の大空に、木の思い出の映像を映し出しました。

ちょうど映写機がコマ送りで映し出す絵のように、過ぎ去った果てしない時間を映し出していきます。
命が生まれ、育まれ、そして全うしていく時間でした。

それは雫が砂浜に落ちるまでの一瞬のことでした。
ほんのわずかな一瞬に、永遠があるのでしょう。
雫はすぐに砂にしみ込んでいきます。

ぽたん・・・しゅうぅぅぅ

すると、辺りの光景も、砂にしみ込み始めました。
ジグソーパズルのピースが、一つ一つ無くなっていように、ホロホロと欠けていき、砂にしみ込んでいってしまいました。
そうして、とうとう木が立っている小さな島も砂浜も、すべてが消えてしまいました。


けれど、あの木だけが浮いています。
空っぽに浮いています。
天も地も、どこにも存在しないのです。

けれど、木は立っています。
何も言わず、ただただ、立っています。

果てしのない時間は、あっという間に過ぎていきます。
長い時が流れて行きます。

海が海になるずっと前から、空が空になるずっと前から、遙かなしじまをやってきた時間の足跡が、丁寧に折りたたまれて、そして静かに、その先へ続いていきます。

雪が舞い降りはじめました。

純白の雪です。


最初の一粒が、木のてっぺんの一枚の葉に降り立ちました。
その着地は、まるで存在しないかのように、そして、子供が眠る呼吸のように、最も安らかな静かな「時」が舞い降りた瞬間なのでした。

走っても、走っても、時間は追い超すことはできません。
そして、願っても、願っても、立ち止まってはくれないのでした。

けれど、私たちは時間に触ることができます。感じることができます
木は、この流れ行く時間に全身を触れながら、すべての調和の中にぽっかりと浮かんでいるのでした。

粉雪のベールが何枚も何枚も舞い降りていきます。

すべてが純白に覆われていきます。

木は真っ白になって、もう、どこにいるのか、わかりません。
木は、この世界の小さな小さな素粒子にもどったのです。


見渡す限りの果てのない純白は、美しくそして、孤独です。



耳をすまして・・・。

ほら、聞こえます。

とくん・・・


ふうぅっ、ふうぅっ、すうぅっ


どこかで星が、生まれたのです。



「 三日月 」

2016-05-12 14:02:52 | 短編や物語
あぁ、三日月が出ている。
東の夜空の高いところに、羽毛で織ったような雲がかかっている。
その雲の切れ間にいる三日月。
歳を重ね、近視と乱視の私の目には、幾つもの三日月が手裏剣の軌跡のように見える。

桜の便りが聞こえてくるこの季節の夜空は、ほんのり薄紅がかって美しい。
そんな、まったりした夜空には、銅鏡のように輝く満月もいいけれど、刃物のように鋭利に堅く光る三日月のほうが私は好きだ。

子供の頃は、この三日月を見ると、夜空がニッと笑っているように思えたものだ。
スマイルマークのあの口。
いや、ピエロのように泣き笑いしている口だったか。
あの口に梯子をかけて上まで行けたら、と想像したことがある。
満月よりは引っかけやすそうに思えて、上に登れば、月の魔力でどこまでもどこまでも先の先まで見渡せると思えた。
知らないところ、行ったことのないところを見たかった。

いつか、その知らないところ、行ったことのないところを目指して、へとへとに疲れるまで歩いて行けば、銀河鉄道に乗って行ったあのカンパネルラが、もう一つの三日月を背にして武将のように道の真ん中に立っている。私は、私の三日月を背にして、ギラギラと笑いながらカンパネルラの前に立つ。
そう想像するとわくわくした。

そう、確かにいつかは、誰しもカンパネルラに出会う道を行くことになるのだろうけれど・・・。


笑っている。夜空が笑っている。
一年のうちでも、この桜の時期が、その笑みが一番穏やかに感じられる。

子供の頃の思い出がある。
やはり桜の季節だった。
私は小学生に上がったばかりの年だったろう。
祖父母と3人でお風呂屋さんへ行った帰り道のこと。
桜の花に隠れながら、三日月は、私たちのあとを付いてきていた。
風呂屋の煙突にぶつかっても、音もしない。
藍色の夜空にレモンの果汁が一滴すべったように、瑞々しい輝きを放っていた。

「なに上ばかり見てるの? 転びますよ」
祖母は振り返り、すぐにまた、洗面器に入った石鹸箱の音をカタカタさせながら、砂利道を足早に歩いて行こうとする。
祖父のほうは、もうだいぶ先を歩いていて、道の角を曲がって行く後ろ姿が見えた。せっかちな祖父は、足も速い。

「早くしなさい。行っちゃうよ」
「ばあばあ、あのね、お月さん、私の手が届きそう。」
私は歩きながら両手を夜空に向かって伸ばした。
両手10本の指の間で、ころころ三日月が転がっている。

祖母は足をとめて振り返り、空を見上げた。
「あぁ、お月さん、見てたんだね」

「ずっと付いてきてるの。いつも、そう思うの」

祖母は、ふうと息を吐き、祖母と同時に歩みを止めた祖母の月を見上げた。

しばらくして祖母は
「届きそうだね」
そう言って、右手をパッとひろげ、甲虫でも取るように素早く空を切った。
握った手の平を、そっと開き、
「あれ? 取れなかった」
祖母は私の顔を見てわざと残念そうに言った。

「ねぇ、ばあばあ、お月さん、今日は笑ってるよね」

「そうだね。あれは笑っているんだろうね。」

「ね、笑っているでしょ」

「ばあばぁが子供のときも、笑ってたよ。大人になってからも、ずっと笑っているねぇ。」

「どうして笑っているの?」

「そりゃぁ・・・」
言いかけて、祖母は私の顔をじっと見た。

「面白いからねぇ。人間は面白いからね」

「お月さまは人間を見てるの?」

「そう。お月さんはね、人間を見てるのよ。」

「私のことも? 見てる?」

「そうでしょうよ。おチエさんも面白いから、ねぇ」

祖父母は私の名前に「お」を付けて呼んだ。
他の孫にはそういう呼び方はしなかった。
私だけ、名前に「お」を付け、「さん」も付けて「おチエさん」と呼んだ。
祖母の家と私の家は、道をはさんで向かい合わせに住んでいた。
私たちは、ほぼ毎日顔を合わせ、毎日なんらかの時間を一緒に過ごしていた。
私は、祖母と共に過ごす時間が多かった。

実の母親ということもあって、気兼ねがなかったのだろう。
母は、祖母の家に行ったまま、何時間も帰ってこない私を怒ることはなかった。
祖母は、本を読んだり、あや取りを教えてくれた。

「私のことが面白いのかな?」

「おチエさんだけじゃなくて、人間みんなを見てるのよ。ずっとねぇ、昔から。ばあばあも、子供の頃から見られていたんだろうね。」

「そうなの?」

すると祖母は、にっこり笑いながらこう言った。

「いろんなことがいっぱいあったからねぇ・・・」

祖母はまた三日月を見上げた。
いや、その目は、もっと遠くのなにかを見ていたのかもしれない。
遠くのなにか。
今、私が三日月を見上げ、祖母を思い出しているように、あのときの祖母もなにかを思い出していたのだろうと、今は、そう思う。

あの夜、祖母は着物を着ていた。
薄緑色で細かい麻の葉の柄だった。
洗いたての白髪の混じった髪を束ね、櫛で器用に留めていた。
そういえば、祖母が洋服を着ていた記憶はない。
いつも、着物に割烹着。
着物は自分で洗い張りをし、縫い直し、祖母はそうやって着物を着続けていた。

子供頃の私は、祖母のそれまでの人生なんて、考えることすらなかった。
「春のうららの隅田川」で始まる「花」という歌が好きで、洗濯物を干しながらよく歌っていた。
昼ごはんには大好きなゴマ汁を作ってくれた。
電化製品の扱いが苦手で、困ったことが起こると、向かいに住む母を大声で呼んだ。
電話が鳴ると、「はいはい」と言いながら立ち、普段より高い声で「もしも~し」と言って出た。
私にとって、祖母は最初から祖母だった。

大正生まれの祖母は、関東大震災や太平洋戦争も経験している。
日本の歴史と照らし合わせてみても、穏やかな時代とはいえない。
平坦な人生ではなかったと思う。

祖母は関東大震災で、実の姉を亡くしている。
祖母が何人兄弟だったのかはわからないが、末っ子だったそうだ。
年が離れていたその姉は、母のように祖母の面倒をみてくれていた。
あの大震災の日、祖母の姉は仕事にでかけていた。
その姉が震災で行方不明になって、連絡がない。
父親はあの暑さのなか、昼夜、寝ずに瓦礫のなかを探し続けたそうだ。
一週間も過ぎたころ、姉は、グシャグシャに崩れた勤め先のビルのトイレのなかで死んでいた。
昔は、柱の多いトイレが安全と言われていたから逃げ込んだのかもしれない、と祖母は言う。
ようやっと娘を見つけた父親は、その一か月後に過労で亡くなった。
「お父さんはね、とっても美男子だったのよ。お姉さんはお父さん似だっかからきれいな人だった。
ばあばあはお母さん似だったから、まぁ、10人なみだねぇ」と言って笑っていた。
一家の大黒柱を失い、残された家族の生活は大変だったろうと思う。

太平洋戦争では、横浜大空襲で家を焼かれた。
すでに祖父と結婚していて、3人の子供があった。
母はその2番目の娘だ。
空襲の最中、家族は防空壕に避難した。
隣の家の防空壕に焼夷弾(しょういだん)が直撃し、炎が上がった。
一家は全滅したという。

焼夷弾の落下地点がほんの数メートルずれていれば、私はこの世にいないことになる。

焼夷弾は、「燃やし尽くすための爆弾」と、母は言った。
木と紙で出来ている日本の家屋を燃やし尽くし、そこに住む人間を焼き尽くすための爆弾だったと、母は言った。

当時小学生だった母の話によれば、横浜に落とされた焼夷弾は、最初、町を丸く囲むように落とされた。
いくつもの炎の輪が、竜巻のような風を起こした。
次に、焼夷弾は、その炎の輪の中に×の字を書くように規則正しく落とされていった。
炎の輪に囲まれた人々は、どこにも逃げることができなくなった。

「ネズミ一匹逃げられないというのは、ああいうことだ」と母は言っていた。
そこにいるすべてを焼き尽くすために落とされた、それが焼夷弾だった。

祖母たちの防空壕も火の海に巻かれ、一家は、戦火の中を走り出す。
飛行機からの機銃掃射が、容赦なく追ってきた。
女性も子供も年寄りも関係なく狙い撃ちしていく。

耳のすぐ横を無数の乾いた音が走っていく。
飛行機から打たれる弾は、「バンバン」なんて音は立てないのだという。
かすれた風を切る音と、それに打たれた人間が、僅かな声を上げてパタパタ前のめりに倒れていく。

赤ん坊を抱いた若い女性が、母たちのすぐ前を走っていたが、バタッと倒れて身動き一つしなかった。
祖母は、母たち二人の子供の手を引いて走り続けた。
祖父はもう一人の赤ん坊を背負い、祖母の肩を鷲づかみに引いて走った。

母親に千切れんばかりに腕を引かれながら、母はこのとき一瞬振り返って空を見上げている。
このとき母は、今、まさに自分を殺そうと迫る操縦席に座るアメリカ兵の顔を見たそうだ。
「自分は死ぬ」
そう思った。

そのときだった。
走る母たちの後方から一人の大男が走ってきた。
アメリカ兵だった。
アメリカ兵の捕虜だった。

母が住む家の近所には、捕虜収容所があった。
のちに聞いた話では、空襲の最中、人命救助優先の判断から捕虜は開放されていたそうだ。

母が見たアメリカ兵は、その開放された捕虜だった。
彼は3歳くらいの日本人の子供を脇に抱え、背中には小さなお婆さんを背負って走っていた。
子供は「お母ちゃん!お母ちゃん!」と泣き叫んでいた。

母は、このときの、この二つの光景を鮮やかに憶えている。
「アメリカを恨んだり憎んだりする気持ちは無い」とこの話をするとき、よく言っていた。
「あの捕虜は、日本人の子供とお婆さんを助けようと必死に走っていたの。おんなじ人間。憎しみ合ったらまた戦争が起こるだけ。」

どこをどう逃げたのかはわからない。
けれど一家は生き延びた。
気が付けば、辺りは何も無くなっていた。
いや、何も無かったわけではない。
焼け焦げた屍が無数に横たわっていたという。

空襲で焼け野原になった横浜から一家は祖父の実家がある田舎に逃れたが、実家とはいえ、三男坊の祖父の家族に、手厚いもてなしはなかった。
一家は、雨をしのげるだけの納屋に住まわせてもらったそうだ。
祖母には針の筵(むしろ)だった、と母は言ったが、それがどういうことだったのかは、わからない。
「みんな生きるのに精いっぱいで、他の家族の面倒なんて、みれなかったんでしょう」
そう言っただけだった。

祖父の実家に長居することもできず、焼け野原になった横浜に戻った家族が見たものは、自分たちの家のあったところに、他人のバラックが建っている現実だった。
どう交渉しても相手は立ち退いてはくれない。

結局、家も土地も失った一家は、生き残った命五つに感謝して、一から生活をはじめることとなった。

その後の一家がどうやって命を繋いだのかは、私は聞いていない。
当時の私は、母が話すことを聞いているだけで、質問することはしなかった。
まるで映画の一場面の話を聞いているようで実感がなかった。

やがて、終戦を迎え、世の中がやっと少し落ち着いた頃、英会話ができた祖父は、貿易会社に勤めた。

自分の生きてきた世界が、でんぐり返しのように変わってしまったとき、というよりも、ガチャンとガラス玉が割れるように飛び散って消失したとき、祖母たちは、どのような思いで、次の一歩を踏み出して行ったのだろう・・・。
私には想像すらできない。

アルバムの写真を見ると、縁側に座った祖父母は、何事もなかったかのように笑っている。
祖父は縁側にあぐらをかき、その横で祖母は赤ん坊の私を抱いてこちらを見ている。足元には犬が寝ている。
父が撮った写真だろう。

私は初孫だった。
白黒の写真には、ゆったりした時間と陽だまりの暖かさがあふれている。

祖父母から、戦争の体験を聞いたことは一度もない。
焼夷弾の話も、隣りの家族が全滅したことも、赤ん坊を抱いた女性の話も、のちに母から聞いた話だ。
私が知っている祖父母は、すでに白髪が生え、老人となった祖父母である。
人生の最初から年をとっていたかのように、生活が落ち着いて、穏やかに日々を送る姿だ。

「じいじい」
「ほいよ、おチエさん?」
「ばあばあ、あのね」
「はぁい、なあに?」

けれど、そんな会話を繰り返す日々だけが、祖父母の人生のすべてではなかった。

関東大震災で姉と父を亡くしたとき、戦火の中を子供を抱いて走った時、
その夜、祖母は、どんな月を見上げたのだろう。

風呂屋を出た祖母は私の数歩前を歩いていた。
その背中は丸い。
祖母の上には三日月がいて、祖母のあとを付いていく。
祖母を見てきた祖母の月だった。
少し前かがみの背中に、電柱の明かりが揺れ、祖母の影が私の足元で左右に揺れていた。

家に近付くと、私の家の窓から先に帰った祖父の詩吟の声が聞こえてきた。


「あ、爺じい、「川中島」歌ってるよ」
「あればっかりだよ」
祖父の十八番である。

母がお勝手の窓から顔を出し、「お母さん、コロッケ揚げたから夕飯一緒に食べてって」と声をかけた。
祖母は「おやまぁ、ありがと」と言って、勝手口から上がっていく。
振り向くと、三日月がまだそこにいた。
電信柱によりかかって、「今日はここまでか」と名残惜しそうだ。
私は三日月に小さく手を振った。

祖母に続いて私も家にあがり、すぐに母の割烹着の横にくっついた。
カレーの香りのする揚げたてのコロッケは、母の味である。

御膳の上には、山になったコロッケが大皿に乗っている。
祖父、祖母、母、
そろそろ父も帰ってくるだろう。
柱時計を見上げながら母が言った。
「先に始めてましょう」
「いただきます」
みんなで声を揃えて言う。


「お父さん、まだかな」
私はコロッケを一口、口に含んだまま、玄関へ行こうと立ちあがった。
「ちゃんと座って食べなさい。お行儀がわるいですよ」
祖母のきりりとした声が制止した。


今夜のように、桜の向こうに浮かぶ三日月を見ると、あの夜のことを思い出す。
手をパッとひろげ、三日月をつかもうとした祖母のことを。
そして、手を開いて「取れなかった」と残念そうに笑った祖母のことを。

祖母は、亡くなる数年前から自宅の居間でよく漢字の勉強をしていた。
「年をとると、漢字を忘れてしまうよ。ばあばあも勉強しなくちゃねぇ」
そう言って、辞書を開いては、眉を寄せながら虫眼鏡で睨んでいた。
お膳に帳面をひろげ、鉛筆で何度も書く。
年を重ねた祖母は、ますます小さく縮んで、お膳に埋まりそうに座っていた。
ときどき、立ち上がっては腰をたたき、縁側にあるカニシャボテンの花ガラを摘んでいた。

祖母の子供時代がどんなであったかは知らない。
どんな勉強をしたのかも知らない。
ただ、祖母がやりたかった勉強を、十分にできる環境ではなかったのだろうと、今さらながら、やっとそのことに私は気づいている。

風呂屋へ一緒に行った祖母も祖父も、すでにこの世にはいない。
父も母も、いない。

祖母は、コスモスの咲く秋に、この世を去っていった。
秋の満月がきれいな夜だった。
祖母がコスモスの揺れる風に手を引かれ、満月の夜空へ向かって軽やかな足取りで昇っていく、その笑顔が見えるような気がした。

今夜の三日月は、のんびりしているようだ。
まだ私を見ている。
あかんべぇをしても、怒らない。

満ちては欠け、新月となって見えなくなるが、居なくなるわけではない。
ふたたび、ニッと笑いながら姿を見せる。
優しく微笑んでいるようにも、そして、悲しくて悲しくて泣きながら笑っているようにも。
見上げる人間の数だけ、その笑顔は違って見えるのだろう。

月は、なにか、言いたげだ。
けれど、その声に、誰かが耳を傾けることは、今までも、これからも、ないのかもしれない。

今、この瞬間、私は私の人生を歩んでいる。
今までも、これからもそうなのだ。

いろんなことがあるから・・・。だから面白いと。
祖母が言っていた。

祖母たちは、もうカンパネルラに出会って、その面白かった人生を長々と話しているのかもしれない。
たくさん話すことがあるだろう。

一歩、歩けば、一歩ぶん、ちゃんと私に付いて来ている。
「だるまさんが転んだ!」
振り向くと、おちゃめな三日月だ。
ありがたいことだ。

短編 蜂蜜の空

2015-11-28 15:45:53 | 短編や物語
蜂蜜の空



 あの頃、父は、休みのたびに、私を肩車して、家の近所を散歩してくれました。
見渡せば、家の数が数えられるほどの田舎町です。

夕暮れよりは、ほんの少し手前の時間。
明る過ぎず、慌ただしくもなく。
そんな時間に、父は私を誘いました。
「散歩 行こう」

家を出ると雑草が生えたでこぼこ道が、緩やかなカーブを繰り返しながら続いています。
その道を外れると、すぐに畑と田んぼが広がっているのです。

傾いた太陽がつくる二人の一つの影が、まるでどこかの星からやってきた使者のように、ゆらゆらと黙って付いてきたことを憶えています。

私は、父の肩車が大好きでした。
そして父も、自分の頭の上で、はしゃいでいる娘の笑い声を聞くことが、休日のなによりの楽しみだったようです。

私は生まれつき両脚の股関節に障害があり、歩くたびに重い痛みが伴いました。
普通の子供のようには走ることも、飛び跳ねることもできません。
幼いながらも、私は、近所の子供たちとは違う自分を感じていたのだと思います。
痛みのつらさや、正体のわからない不安な気持ちは、幼い私を、家の中にいることが多いひっこみじあんな子にしていたのかもしれません。

父は、そんな私を散歩に連れて出てくれました。

菜の花が揺れ、モンシロ蝶が飛びまわる風景のなかを、
緑の水田にカエルが輪唱する風景のなかを、
群生するススキの穂に銀色の風が渡る風景のなかを、
まるで絵の中を歩くように、父は私を肩に乗せ、いっしょに歩いてくれたのです。

 父は身長が高く、母が言うには、180センチ以上はあったそうです。
細身で腕も脚も、操り人形のようにぶらぶらと長かったのを憶えています。

父は長い腕で私をひょいと抱き上げます。
父の肩に乗ると、私の世界は一変しました。
空は、私の頭のすぐ真上にありました。
私は、一瞬、首をすくめました。
空が天井のように感じられ、頭がぶつかるのではないかと思えたからです。

私はバランスをとって体を安定させると、父のおでこにあてていた自分の両手をそっと離します。
そして両手を空へ向けて延ばすのです。

「てっぺんにあるあの真っ白い曇を自分の手で触る!」

そう想像することが私の作り出した空想の遊びでした。
曇を触りたい、空に手を突っ込みたい、こんな願いを私はいつも持っていました。
父はそのことよく知っていて、

「空に触れたかい?                            
今日の空はどんなふうだい?」

と訊いてくれます。

父の声は低く、穏やかで、私に安心感を与えてくれます。
今もあの声が聞きたいと思います。
そして、私には、私の名を呼ぶその声が、今も、はっきりと思い出せるのです。

父は私の顔を見上げ、その額には何本もシワを寄せていました。
あのとき、父が見上げた私は、どんな顔をしていたのでしょう。

父と目を合わせ、それからゆっくりと目を閉じて、私は、深く息を吸い込みます。
そして、感じている空の感覚のなかに、自分の両手が融けていくのを感じながら、しばらく黙ったままで、両腕を空へ伸ばし続けるのです。

そして、「私の両手は、この大空に溶けきった」そう感じるまで、私はじっと、待つのです。
今思えば、それは手がしびれてきただけだったのだろうと思います。
けれど、そのときの私にとって、それは自分の両手が大空に解けていく感覚そのものでした。
そうして私は目を開けます。
そして、答えを待っている父の顔を覗き込みながら、私はこう言うのです。

「うん、今日も、触れたよ」

私は、いつも、そう答えました。

そして、父に教えてあげるのです。

「すべすべだよ」

「ふわふわだったよ」

「蜂蜜の匂いがしているよ」と。

そう・・・あの頃の夕焼けの空は、確かに蜂蜜の匂いがしました。

その匂いは私のまつ毛の先に水滴のように輝いていました。
細めた目のなかに漂うキラキラとした蜂蜜の香り。

私は、そのとき自分が感じたことを、そのまま父に伝えました。
それは、子供特有の嘘ではなく、私は、ほんとうにそう感じていたのだと思います。


青い稲の穂の向こうに広がる空からは、太陽がとろりと溶けていく音が聞こえてくるような、
そんな気がしたものです。

「あぁ、そうかい。」

父はそう答えただけでした。
そして、とても満足そうに、ふたたび歩き出すのでした。

父はゆっくりと大股で歩きました。
私が空に触りやすいように、ゆっくりと歩いてくれたのでしょう。

長い脚がなんだか邪魔っけそうに、父はそんなふうに歩きました。

二人はほとんど言葉を交わすことはありませんでした。

時折、上と下から顔と顔を見合わせて、そして、お互いの存在を最も近くに感じながら、
けれど、思い思いに、同じようでいて同じではない光景をそれぞれに味わっていたのでしょう。

あのとき、それは、私と父だけの時間でした。

私は自分の体の下から伝わってくる、その歩調のゆったりした揺れを感じ、とても安心していました。
不安は何一つありませんでした。

あの頃が、今までの私の人生のなかで、最も心が安らいでいた日々だったのかもしれません。

父は娘のぷっくりとした膝小僧を両手でしっかりと抱えながら、畑のあぜ道を、鼻歌を歌ってぶらぶらと歩いてくれたのです。

あのとき、父が歌っていた歌の名前は、今となっては思い出すことが出来ません。
時おり父は、ひょいと私のからだを弾ませて担ぎなおし、すると、さっきまで歌っていた曲とはまったく違う歌を歌いはじめました。
そんなときの父は、とても機嫌が良さそうでした。 

畦道を抜け、小川の土手をのぼり、ざわざわと揺れる薄暗い竹林を抜けると、小高い野原に着きます。
そこからは我が家を見下ろすことができました。
赤い屋根の小さな平屋の家でした。
野原の草は、父の膝下あたりまで伸びています。
まるで緑色の雲海を、大きな風がオーケストラを奏でるように渡っていました。

父はこの場所が好きだったようです。
家を見下ろし、流れる雲を見上げ、父は深呼吸を繰り返します。

しばらくすると父は私の膝からそっと両手を離します。
そして真っ白なシャツに通した長い両腕を急に真横に広げるのです。


「いくぞ、しっかり掴まってるんだよ」

「うん」

私は、父の髪に頬を埋めるように体をまるめ、父の頭をお腹に抱えるようにして掴まりました。
両足に、ぐっと力を込めて、父の両脇に押し当てるのです。
父はそれを確かめると、次の瞬間、私を乗せたまま走り出すのです。

父は加速していきます。
私の目の前の光景は、後ろへ後ろへ見えなくなっていきます。

私を乗せた白いグライダーはモアレ模様に広がる草の波間をやわらかに滑空していくのでした。
私に触れる360度の空間は、一気に大空となったのです。

もし、あのとき、母が私たちを見つけていたら、声をあげながら駆け寄ってきたことでしょう。
けれどそのころ夕飯の支度をしていた母が気づくことはありませんでした。

私は父の肩から落ちることはなく、母が夕飯の支度を終えるほんの少し前に二人は帰宅しました。

帰宅した父はすぐに私を下ろすと、玄関の明かりを付けました。
このとき、父は小さく眉をあげ、私をちらりと見下ろしました。
台所のガラス戸には、母が忙しく立ち働く影が映っていました。

公園で、はしゃいでいる幼い子供の声を聞くとき、今も、ふっと、あのときのことが思い出されます。
あのとき、私もあんなふうに笑っていたのです。

思いおこせば、父は生涯、私を怒鳴ったことは、一度もありませんでした。
父は、ただただ、私に愛情を注いでくれました。
私を見るとき、その目はいつも優しかった。

脚が悪かった私は、走ったり跳んだり、そういう自由を持つことはその後もできませんでしたが、けれど、父がしてくれた肩車から見たあの光景は、私に、それ以上の、空ほど大きな自由を与えてくれたのだと思います。


今、皺の増えた自分の両手をじっと見つめていると、子供の頃、あの時感じた空の感触がわずかによみがえります。

指の間を風が通る涼しさと、手の平にしみ込む夕陽のちりちりとした感触。

もしも、今、あの時のあの空に、ふたたび触れることが出来たなら、私はまた、あの蜂蜜の匂いを吸い込むことができるでしょうか・・・。

この手で、空に触ってみたい・・・あの曇に触りたい・・・

今も、心からそう思います。

お父さん、今も、そう思いますよ。


作:庄司利音  

父のアルバム

2015-10-19 16:24:04 | 短編や物語
父のアルバム




私の箪笥の引出しには、お気に入りのブラウスと一緒に、父のペンタックスと一冊の古いアルバムが入っている。

父は、このカメラで家族の写真を撮り、アルバムに残した。

私には、カメラの値打ちはわからない。
けれど、日曜日の午後など、ネルの布でレンズの手入れをしている、あぐらをかいた前かがみの父の背中は憶えている。

父はこのカメラを私が生まれてすぐに買ったようだ。
なぜなら、父が残したこのアルバムは、生まれて間もない赤ん坊の私の寝顔から始まるからだ。

おそらく父はこのカメラを、そうとうに無理をして買ったのだろう。
このカメラは、父の宝物だった。
私など、持ち上げて眼の高さに構えるだけでも、腕がふら付くような重みがあり、ピントを合わせるにも一苦労しそうな代物だ。

父はこのカメラで撮った写真の一枚一枚を、何冊ものアルバムに収めた。そして、そのアルバムは、家族の宝物となった。
父は自分の宝物で宝物を作って、私たちに残していったのだ。

そしてそのアルバムの最初の一冊が、父のカメラと共に、今、私の手元にある。
幾度かの引越しのときも、私は自分のバックに入れて運び、荷造りのダンボールにしまうことはなかった。

この一冊めのアルバムは、そのほとんどが私の乳幼児期の写真で埋まっている。
古さの染み込んだ赤い布張りのアルバムは、ページを開くと、なぜか、ラムネの香りがする。

淡い色合いの儚い甘い香りだ。

私が一番好きな写真は、父と二人で撮られた一枚である。
私はまだ、オムツをあてている歳で、やっと、よちよち歩き出した頃だろう。

父は大きく脚を広げて立っている。
その二本の脚の間にしゃがんで、私はよだれを垂らさんばかりにカメラに向かって笑っている。
おませにも私はベレー帽をかぶっている。
私の小さな両手は、両側に突っ立っている父のズボンを握っている。
ちょうど脛のあたりを握っているのだ。
つまり写っているのは、私と、膝から下の、父の黒いズボンを履いた二本の脚だけなのだ。

このモノクロの写真が、いつ何処で撮られたのか、誰が撮ってくれたものなのか、父がいない今となっては、もう知ることはできない。
脚しか写っていない父は、そのとき、どんな顔をして私を見下ろしていたのだろう。
そう考えるとき、私は小さな幼子に戻って、上を見上げている自分に気付く。
けれど、私の視線の先に、私をのぞき込む父の顔はない。

父は静かな人で、大きな声を出すということはなく、また大きな声で笑うこともなかった。

とても背が高く、本人に確かめたことはなかったが、母が言うには185センチもあったそうだ。
母は、150センチそこそこの小柄。
二人が歩くと、その身長差に人目を引き、気恥ずかしかったそうで、
母は、そんな父との話をするとき、わざと顔をしかめていた。

父は、首をちょっと前加減に出し、背中を丸めて歩く癖があった。
若い頃は野球やテニスをしたそうで、水泳も得意だった。

細身の体型で長い脚と腕をしていた。
手の指も長く器用で、大きなカメラを扱うにはちょうど良かったろう。
私は父のその手を受け継いでいる。
細長い指や、平たい爪の形や、母に言わせるとふとした手の動かし方まで似ているらしい。
「女の私より綺麗な手だった。」
と母は父の話をするとき、よく口にした。



私は父が好きだった。

父は小さな私を連れてよく出かけてくれた。
散歩はもとより、デパート、映画、海、遊園地など、誰かに「ここは行ってよかった」と聞けば、すぐに私を連れて行こうと予定を立てたそうだ。

背の高い父は、私の手を引いて歩くことはあまりなかった。
小さな私の手を引いて歩くには、父は背が高すぎた。

一度、横浜駅の西口の人混みで、私は危うく迷子になりかけたことがあった。
あれは幾つのときだったのだろう。
6歳にはなっていなかったのではないかと思う。

いつものように父のズボンの端を握っていた私の手が、知らないうちに離れてしまったのだ。
ところが、父は私に気付かずに歩いていってしまった。
決して早い歩き方ではなかったのだが、コンパスのある父は、みるみる私から遠くなってしまった。

一瞬、私は父を完全に見失った。
たくさんの大人の背中、大人の腕、そして大人の靴。
どれもが黒や灰色で、私は突然、真っ暗な万華鏡のなかに、たったひとりで立たされているかのように、頭がぐらぐらしたのを憶えている。

私の目は父を捜した。
人混みに視界を遮られ、遠くはわずかに一瞬見えるだけだった。
瞬きするのも怖かった。

今ならば、身長が180センチほどの人なら街にざらにみかける。
けれど、幸い当時はまだ少なく、かなり目立つ存在だった父は、他の人々から頭一つ飛び出ていた。
私は、僅かな隙間に、父の肩と、横顔を見つけた。
全速力で、といっても親鳥のあとを追うヒヨコみたいだったろうが、とにかく必死になって走ったことを憶えている。

私は人混みに飛び出た父の頭を目指して走った。

「お父さん!」と叫べばよかったのだろうが、私はそうはしなかった。
私はそういう子供だった。
ただ、ひたすら父を見失わないように、眼をみひらいて走った。

結局、私は父のズボンに再びしがみつくことが出来た。
ズボンを引っ張られたことに気付いた父は、私を眠そうな笑顔で見下ろした。
息を弾ませながら父を見上げた私も、にっこり父に笑い返した。

ずっとあとになって、私が父にそのときの話をすると、父は「そんなことあったのかぁ?」とのんびり言っただけだった。
父には、そんなふうなところがあった。

アルバムをひらくと、1ページめに私の写真が貼られている。
私は薄い髪の毛を頭のてっぺんでチョンチョリンに結び、哺乳瓶を抱えている。
籐で作られたゆりかごの中で私はぼんやりとした顔をしている。
写真の横には、父の字で「おっぱい、リボンがすてき」と書かれている。

父の書く文字は、筆圧がゆるく、その体型に似てほっそりとしている。
父がいなくなった今、そんな父の書いた文字も懐かしい。

その下に貼られた写真は、風呂上りなのだろうか。
裸の私は水玉模様のタオルに包まれ母に抱っこされている。
「早くおべべ着せてよ。あんまり見ないでね」と書いてある。
私を抱いている母の若いこと。
花柄の半袖ブラウスにショートの髪がかわいい。
畳の上には象のぬいぐるみやガラガラなどのおもちゃが散らばっている。後ろの襖は、竹の柄が描かれている。

父は私が生まれる少し前に家を建てた。
横浜の郊外に住んでいた母の実家の道ひとつ隔てた向かいに、35坪ほどの土地を借りて建てたのだ。
その家は、今で言う2DKで、南に2畳ほどの縁側のついた平屋だった。
三十そこそこの父が始めて建てた家だった。
その後、この家は少しずつ増改築された。
このアルバムのなかにおさめられている竹の柄の襖も縁側も、今はもうない。

父は私を肩車して、よく一緒に散歩してくれた。
近くにある小高い丘からから、父といっしょに自分たちが住むその家を見おろすことが好きだった。
赤い屋根の小さなその家は、周りを畑と田んぼに囲まれ、
春にはタンポポの黄色い帯が家をぐるりと縁取った。
夏には、緑の稲が海のように波打ち、渡る風が見えた。
そして、秋には、スズメが黒雲のように群れをなして低く飛び、
冬の朝には、霜で白くなった田んぼが、和紙を敷き詰めたように広がっていた。

あの家は、まるで子供の頃に読んだ絵本の1ページのように
私の記憶のなかに色鮮やかに残っている。
ふと振り向けば、そこにそのままある世界のように。

しかし、このアルバムに残る写真には、色は無く、少しセピアがかっていて、そこで笑っている私も、両親も、止まったままの世界の中にいる。

写真を撮る役回りだった父と一緒に写っている写真は少ない。
それでも数枚張ってある。
母はカメラなどいじれる人ではないから、どこかにカメラを固定してセルフタイマーで撮ったのだろう。
父はゆりかごで眠る私に自分の顔を寄せてこちらを見ている。
シャッターが切れるまでじっとそのかっこうをしていたのだろう。
父の額には何本も深い皺がよっている。
余白に「おとうちゃんと」と書いてある。

どの写真も若い夫婦の初めての子供に対する喜びが伝わってくる。
ここに写っている若い夫婦が自分の両親で、その腕に抱かれている赤ん坊が自分自身であると言うことが、とても不思議に感じられる。

私の着ている産着は小花模様だったり、犬の柄だったり、同じ服が何度も出てくることは少ない。
色のついていないその写真をじっと見ていると、私には自分が着せられていた服の色が見えてくる。

父の給料は、私の産着やおもちゃに消えていったのだろう。
私は多くの愛情を注がれて育ったのだ。
写真のなかの私の顔は、どの顔も安心しきった表情をしている。

しかし、ページをめくっていくと、私にとって見たくはない、けれど見なければならなかった1枚の写真に突き当たる。

それは生後三ヶ月の私だ。
私にはこのときの記憶はもちろん無い。
しかし、このたった一枚の写真が、あの時、私に何が起きたのかを、否応無しに語っている。

生まれて僅か3ヶ月で、私は自分の人生に一生付きまとう荷を背負った。どうして父はこんな写真を撮ったのだろう。
この写真を見るたびに、私はこの疑問を反復した。
どうして父は、この写真を撮ったのだろう・・・。

しかし、とうとう父にこのことを訊くことはなかった。
何故私は父に尋ねなかったのだろう。

結局、私たちはこの一枚の写真について、一度も語り合うことがないままになってしまった。

その写真のなかに写る私は、父が手作りした乳母車に乗っている。

生後3ヶ月の検診で、私は股関節脱臼と診断された。
両脚の大腿骨の発育が悪く、脱臼と言うよりは、骨頭がつぶれていたのだ。
特に左脚はひどかった。
それで当時の治療としては私の両脚は蛙のように開いた格好で何ヶ月も石膏で固められることとなったらしい。

それで当然、市販の乳母車には乗れず、日曜大工が得意だった父が私のために特製の乳母車を作ったのだ。
私の開いた脚の形に合わせ、底が平らで手前には小さなテーブルがついている。
座っている私は無表情だ。
痛そうでもなく、つらそうでもなく、無表情だ。
ただ、父の構えるカメラのレンズだけを見つめている。
石膏で固めた両脚は、どうやって産着を着せたのかと思うほど、ごつごつに膨らんでいる。
両脚を左右に開き、足首から先だけがだらりと垂れている。
父は、真正面から私を撮影しているのだ。
「早くあんよがしたいよ」
そう書いてある。

私がギプスをはめられていた時の写真はこれ1枚きりだ。
父は私がギプスをはめられていた数ヶ月間、たった一枚だけ写真を撮った。
父はこのときどんな気持ちでシャッターを切ったのか・・・。

こののち、父はしばらく写真を撮らなかったようだ。
この写真の次に貼られているのは、もうギプスが外れ、ヒキガエルのようにひろがった脚で掴まり立ちしている私になっている。
あの乳母車に両手をかけ、二本の脚で立っている私の姿。
私はこちらを見上げている。
父を見上げているのだ。

あの写真から、この日まで、何ヶ月あったのだろう。
その写真のすぐ下には、私が砂利道の中央を、オムツが丸見えで歩いている写真が貼ってある。
両腕を左右に大きく振っている。
ひらひらした大きなリボンが付いた靴を履いている。
立て続けに、私が立ったり歩いたりしている写真が続く。
そして、それまで家の中や近所の風景の中だけにいた私は、しばらくすると、私自身の記憶の中からすでに消えてしまった背景の中に登場する。

父はあちこち私を連れ出したようだ。
鎌倉の大仏の前に座っている私がいる。
髪をショートにして花飾りのついた帽子をかぶり、半袖のワンピースを着ている。
膝小僧をちゃんとそろえている。

砂浜で一人座っている私。右手におにぎりを持っている。
大仏で写っていた服装を同じだから、由比ガ浜辺りだろう。
あの頃の私が大仏から由比ガ浜まで歩けたわけはないから、たぶん父は私を肩車して連れて行ったに違いない。
背の高い父がしてくれる肩車は私の一番のお気に入りだった。
私がせがんだのかもしれない。

まだ海水浴には早い時期だったのか、ずっと遠くの砂浜まで他に誰も写っていない。
そばに水筒と父のショルダーバックが無ければ、まるで私は一人ぼっちで置き去りにされたように見える。

父は、レンズの向こうから、少しおませになった娘を見つめていたのだろうか。
カメラは少し引き加減で私を捕らえている。

石膏で固められていた間の記憶は、私には当然ない。
生後3か月の赤ん坊だったからこそ、否応なしに我慢できたのかもしれない。
歩けるようになった私の表情は、どれも明るい笑顔がいっぱいだ。

しかし、私は成長と共に自分の足の欠陥を認識していった。
治療後も脚の状態が良くなかったため幼稚園には行かれず、その後も治療は続き、結局小学校も一年遅れることになった。

いきなり集団生活に入れられたときのことはよく憶えている。
普通の子供が知っている遊びを私は知らなかった。
「ハンカチ落とし」に初めて参加したとき、ハンカチを拾わずに、私は鬼を追いかけた。ゆっくり歩きながら。

最も走りたい、飛び回りたい時期に私にはそれが許されなかった。

「決して走ってはいけません。決して跳んではいけません。」
母は私に厳しく言った。
母にしてみれば、「やっと、ここまで良くなった」という思いだったのだろう。

体育の授業は見学。一つ年上であることはクラスのみんなが知っていた。
「一年遅れっ子」と呼ばれた。
見た目には何の違いも無さそうな私の脚は、父に似て細く長く、
走ればきっと誰よりも速く走れるに決まっている、私はそう思っていた。空想の世界で、私は広い校庭を、いつも先頭を切って走っていた。

その頃から、私は自分の赤ん坊の頃の写真がおさめられているこのアルバムをこっそり見るようになった。
なにもこっそり見なければいけない理由はどこにもなかったが、
それでも私は、母が夕食の仕度をしているときなどを選んで、このアルバムをひらいた。
和室に置かれた父専用の洋服ダンスの扉をひらき、ハンガーにかかる背広をかきわけると、薄暗い影の中にそのアルバムは、カメラと共に置かれていた。
あのときのドキドキした思いは今も憶えている。

私が見たかったのは、ただ一枚である。
あの、石膏で固められた、醜い脚の写った一枚だった。
私はどうしてもそこに写っているのが自分自身だと認めたくなかった。
と同時にこれは自分なのだということを確実に知っていた私は、
この写真を見ることがとても怖かった。
それでも私はあの時、この写真を見ずにはいられなかったのだ。
 
一度、思いがけず早めに帰ってきた父に、見つかってしまったことがあった。
振り返ると、父が茶の間の明かりを背にして立っていた。
父はなにも言わず、着ていた背広を脱ぎ、それを掛けると、「撮ってやろう」と言って、奥にあるカメラを持ち出した。
私はぞんざいな言い方で「いいよ」と言って逃げ出した。

その後、何度もその写真を見るにつれ、私の人格のなかでこの写真の中の私は、もう一人の私になっていった。
私は写真の私に話しかける。まるで姉妹のように。

「なんでこんな脚なの?」
「わからない。」
「やりたいこと、ぜんぜんできないわよ」
「でも歩けてる。できないことばかり言わないでよ。」
私は写真を睨みつけた。そして私は乗り越えてきた。

大学は美術を専攻した。
運動ができない私に母が3歳から習わせた絵が、結局そのまま続いたのだ。
特別絵を描くことが好きだったわけではなかったが、やりたいスポーツができない分、私は絵に集中した。

私が大人になるに連れて、私と父は一緒に出かけることも少なくなっていった。
時々父は私を誘ったが、私はいつも何か理由をつけて断った。

父が私の写真を撮ることも少なくなっていった。
父が嫌いになったわけではなかった。
だんだん歳をとっていく父に気付き、それを感じるのが嫌だった。
私にとって父はいつまでもあの頃の父のままでいてほしかった。
あの頃とは、私を肩車してくれたあの頃だった。

父の死は突然訪れた。
電話が鳴った。
数日来、胸の痛みを感じていた父は、その日検査のため一人で病院へ行った。
会社には午後から出ると電話していたそうだ。
その検査の最中に発作を起こしたのだ。
私と母が駆けつけたときには、医師が心臓マッサージをしていた。
ベッドに横たわる父のあの長い腕と脚は、医師の施すマッサージの弾みでゆさゆさと揺れていた。
急性心不全だった。
私と母は一言の言葉も出すことができなかった。

父が私を最後に写真に撮ったのは、亡くなる数ヶ月前だった。
父と母と3人で昼の食事をしていると、窓の外から大きな野良猫が部屋の中をのぞいていた。
「お、このあたりのボスだ。」
そう言って父はカメラを持ち出し外へ出た。
「撮ってやるよ」
父に促されて、私も庭へ下りた。
猫は人馴れしていて、私の腕のなかでじっとしていた。
小さな庭で取られたこの写真の中で、私は柔らかな猫を抱き白い歯を見せて笑っている。
父の撮る写真のなかで、私はいつまでも子供のようだ。

何事につけ事細かに物を言う母にくらべ、父はほとんど何も言わない人だったが、今、こうして父の作ったアルバムをひらくと、そこにはたくさんの父の言葉が詰まっているように思われる。

私がギプスをはめていたあのとき、父は一枚だけ、あの私を写真に残した。
たった一枚しか撮られることのなかったその空白が、何より、父の思いを語っているのだ。

私の生きてきた道をたどっていくと、あの1枚にたどり着く。
私が足踏みをしているときなど、ぽんと背中をたたいて、私に勇気を与えてくれたような気がする。
父はあの写真が私にとって、無くてはならないものになることを知っていたのだろうか。

晩年、父は友人とよく山へ登った。
父の遺影はそのときに撮られたものだ。
それがどこの山なのか、誰が撮ってくれたものなのか、母にも私にもわからなかった。

山登りの写真の束は、紙の手提げ袋に無造作につめこまれていて、まったく整理されないまま、父の洋服ダンスの奥に置かれていた。
父は自分の写った写真はアルバムに収めなかったのだ。

葬儀のあわただしい準備の中、母と私は、ばらばらの写真を畳の上にひろげ、その中から遺影となる写真を選んだ。

額縁に入った父の顔は穏やかに微笑んでいる。
きっと、山頂に登ったときに撮ったものだろう。
父の目は空を見上げている。
だから、私が仏壇の前で父に手を合わせるとき、父の顔を見ても、写真の中の父とは目が合わない。
照れ屋の父らしい。

カメラは父の形見として私のもとにきた。そして今、1冊目のアルバムと共に私の箪笥の引き出しの中にある。
今でも時々、私はあの写真を見るためにアルバムをひらく。
カメラを取り出し、構えてみる。
父は幾度となく、このファインダーの中に、私を見たのだ。

結局、私がこのカメラを父に向けてシャッターを切ることはなかった。

父の死後このカメラは、一枚の写真も撮ってはいない。


「蜘蛛とわたし」その4

2015-04-29 14:26:37 | 短編や物語
「蜘蛛とわたし」は、その1から、その4まである短編です。
初めてのかたは、その1からお読みください。



「蜘蛛とわたし」 その4  完結編 

・・・本文・・・



彼は、ドアノブの少し下、ドアの角っこ、出口ぎりぎりのことろまで行くと、そこで止まった。

なるほど、これならドアは ほんの少し開ければよい。

ほんの5センチ、いや、彼が出られるぎりぎりを開ければよいのだ。

ドアの側面にいる彼の姿は、新しく付けた斬新なデザインのドアノブのように見える。

さて、しかし、彼の位置は、

ドアノブ、つまり、元々からあるドアノブに近づく結果となった。

そのノブは、彼がこの家から出て行くには、どうしたって、私が掴まなくちゃならないドアノブなのだ。

あとは私の度胸次第というわけだ。

やろうと思えば、彼は、ノブにかけた私の手の甲に這い上がって、タップダンスを楽しむこともできる。

う~ん、

ここで引くか?

ありえない!

「じゃ、やってみましょうか。あなたを信じるほか、ないものね。」

斬新なほうのドアノブは、「俺を信じろ。しっかりやれ」とは言わなかったが、とりあえずじっと動かない。

「信じるわ、私、あなたのこと、信じるわ。でも・・・」

でも・・・何?

なんで、「でも」?

この言葉の先に続く私の感情は、なんとも説明しがたい。

私はこのとき初めて、このドアを開けたら、彼とはもう、これきりなんだ、ということに気付いたのだ。

「これきり」という表現は、二度と再び彼に会うことが無いであろうという、信じがたいが、その、言ってしまえば、

「さびしい」という気持ち以外の何ものでもない感情なのだ。


私の脳裏には、銀色の星雲のように輝く彼が紡いだ巣が浮かんだ。

彼が紡ぎあげた彼の家は、私の家の一部となって、今もどこかのお暗がりで輝いている。

生まれ育った故郷を、彼は今、追われようとしているのだ。

そうしているのは、この私である。

ヘンネェ、こんなことってあるのねぇ。

私は、改めて自分が話しかけている相手を見た。

相手に特別な感情をもつには、時間の長さは関係ないようだ。

「ねぇ、なぜ、今日に限って、あんなところにいたの? 

どうして私にみつかっちゃったの?」

もちろん、彼は何も言わない。

何も言わなかったけれど、ダスティン・ホフマンが肩をすくめてちょっと笑ったような、

そんな暖かい感じが彼から伝わってきた。

もしや、彼は私に見つかっても良いと思っていたのではないか?

長年の同居人である私を、私のほうは知らなくても、彼のほうはよく知っていたはずだ。

人間の私を、彼は興味をもって観察していたのかもしれない。

天井裏の隙間から、映画を観るみたいに?

あ! 去年のセーター!

秋に編み始めて、未だ、裾から10センチ以上、編み進まない、その存在すら抹殺しようとしているあのセーター!

きみはそのことも・・・まぁ、いいや。


私は猫のキナコとよく話をする。

料理をしながら、掃除機をかけながら、お風呂に入りながら。

もちろん、一方的に話すのだけれど、なぜか、ちゃんと会話は成り立っている。

私にとって楽しい会話だ。

あなたも、私と話をしたかったの・・・?

んな、ありえない。

私は、あらためて、自分が話しかけている相手を見た。

そこには、言葉を話さぬ静かな生命がいた。

私にとって、すでに巨大な蜘蛛という以外の、他のなにかになりつつある彼だった。

彼と出会ったのはついさっきなのに、この親しみはなんだろう。

彼のほうも私を見ているらしい。

心が通じ合ってここまで来た二人である。

なんとなく、胸の奥にクンとくるものがあった。

「私があなたを追い出しちゃうのよね。今日、もし、出くわしていなければ・・・・。」

あぁ、感傷的になってもしょうがない。

「明日、あなたはどこにいるのかしら?」

蜘蛛は何も言わない。

何も言わないけれど、私は彼に、こくりと頷いた。

「・・・じゃ、やっぱりここでさよならね。ありがとう。ここまで協力してくれて。

私ね、80歳のおばあちゃんになっても、今日のこと、あなたのこと、憶えていると思うわ。

自慢しちゃうわぁ。

約束、守るわね。蜘蛛はぜったい殺さない。守るわね。」



私はサンダルをつっかけて、タタキへ下りると、パントマイムのマルセル・マルソーとまではいかないけれど、

ゆっくりとドアへ、彼に近寄った。

彼は暫く脚をもぞもぞやって、それからドアの開け口のほうへ向き直り、体制を整えた。

私はそっと右手をノブにかけた。

10センチも離れていない。でも怖くなかった。

一呼吸おいて、それから、しっかり力を込めて握った

彼が今ここにいて、生きているって感じが、すうっと私の体にしみ込んできた。

数秒の静寂のあと、急に彼は身体をキュッと小さく丸めた。なんだか、痛そうなくらい。

合図だ。今なのだ!

私はノブを回した。

ほんの3センチも開けないうちに、彼の大きな黒い身体は、その隙間から、液体のように外へ吸い込まれて行ってしまった。

あっという間の結末だった。

10秒ほど、私はそのままドアを開けていた。

彼を、はさんでしまってはいけないからだ。


もう、だいじょうぶかな・・・・

そうして私はドアを閉めた。

カチャっというドアの閉まる音の他、何も聞こえない一瞬だった。

通りには誰も歩いていなかった。

「・・・ありがと」

私は彼が出て行ったドアに持たれてしばらくボーっと立っていた。

ドアの横にある小窓からは西日が射して、たった今まで彼と二人で歩いてきた廊下を朱色に染めていた。

彼のいなくなったこのこの家が、古ぼけた写真のように止まっていた。

うまく説明できないのだが、説明のつかない感情というものは、誰にもあるだろう。

箱の中のマッチを一本取り出してシュッとこすって両手で火を囲むような、

そして、しゅうぅっと消えて、細く長い煙が鼻先を漂うような、

それはほんとに一瞬だけど、それでも、とても大事な一瞬の感情だ。

私は今、そんな大事な一瞬の感情をしっかりと感じていた。

去っていった彼には、いったい、これからどんなことが起こるのだろう。

彼の黒い優雅なそして力強い後姿が思い出された。

この家を出た彼のその後が、けっこう良いものになるような、そんな予感がした。

もっとおもしろい人間の映画、どこかのお家でやってるかしら。

自転車のベルがチリチリ鳴っている。

私はハッといつもの日常の中にいる自分に戻った。

全身汗だくだ。

もう一度、シャワーを浴びなくちゃ。

今まで、どこに隠れていたのか、キナコが何もなかったかのように、「あーよん」と甘えた声を出しながら私の脚にまとわり付いてきた。

「ほれ、あんたもシャワーをあびるかぁー!」

私はキナコに襲いかかった。



作:庄司利音

「蜘蛛とわたし」 その3

2015-04-24 13:22:15 | 短編や物語
「蜘蛛とわたし」は、その1、その2、その3、その4で完結する短編です。
はじめてのかたは、その1からお読みください。


「蜘蛛とわたし」その3 つづき 

・・・本文・・・

さて、事の成り行きというものは、なってみないとわからないものである。

奇跡は存在した!

蜘蛛が、なんと、くるりと向きを変え、開いたドアから廊下へ進み出たではないか!

「ありがとう!あ~りがとーっ! 」

これは蜘蛛に言った「ありがとう。」

で、心のなかではもう一人に感謝。あぁ、徹子様、あなたはすごい!

さてさて、そうして彼は、つまり、蜘蛛さまは、廊下の中央に出たところで立ち止まり、どちらへ行ったらよいのかわからないのだが、というように私のほうを振り向いた。

「右よ、そっち、そっち。そっち行って」

私からみて右の方角に我が家の玄関があって、私はその玄関へ蜘蛛さまを誘導することとした。

今や、蜘蛛には、私の言葉は「なんだって通じるわぁ」と思っている、わたしである。

疑うことを知らないという純真な心は、ときに、大きな強みとなる。

どっかの格言に割り込ませたいね。

さて、彼のオールのような脚たちは、無駄のない、しなやかな動きで彼自身の黒い身体を移動させていく。

私は、彼の後ろ・・・正直言って、どっちが前だか後ろだかわからなかったけど、ま、彼から50センチほど間隔を置いて付いていくこととした。

いいわぁ、いいかんじ。

あ、さっき、飼い主を見捨てたキナコはどこにいるんだろう・・・

今、この瞬間、彼が彼を、つまり、キナコが蜘蛛を襲ったら、せっかくここまで築き上げた彼との関係が元も子もなくなってしまう。

今や、蜘蛛とわたしの関係は、さっきまでの私たちとは違っているのだ。

蜘蛛の糸で繋がっているようなものだ。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」では切れてしまったが、私はカンダタになるわけにはゆかぬ。

どうやら、キナコはよほどの安全圏まで逃げたらしい。今のところ、キナコの気配は感じられない。

「はい、そうです。そのま~んま進んで。ありがとー。あーりがとーっ」

人間より多目の脚をリズミカルに動かしながら、我が家の廊下を移動する彼の様は、威厳を感じさせ、かつ、優雅ですらあった。

さて、そろそろサロンのドアに突き当たる。たいして長い廊下ではないのに、なんだか、望遠鏡を逆さまに見たようにに遠く感じる。

さて、彼は、その突き当たりちょっと手前で、私のほうを再び振り向いた。

緩んできたバスタオルの端を脇に突っ込み直しながら、へっぴり腰で彼のあとを付いていく頼りないナビゲーターを、彼は待っていてくれる。

「あ、そこを再び右でございます」

「あ、その先が、我が家の玄関」

彼はゆるくカーブを切って迷うことなく私の希望する方向へ脚を進め、そして奇跡的に玄関の踊り場へあと一歩というところへ到達した。

すごい! 拍手!

やはり、蜘蛛には私の言うことが通じていた!というのは、もはや、疑う余地はない。

そろそろ、ここまで読み進めてくださったあなたも、そんな気持ちになってくれているのではあるまいか? ん?


さて、我が家の玄関は、20センチほど下がってタタキになっている。

あっ!

玄関には、下駄箱がある!

作り付けになっていて、その下の隙間なんかに彼が入りこんでしまったら、それこそ、あとはどこへなりとも、彼の行方は知れなくなる、ということに今、気付いた私・・・。

あぁ、政治家の献金なんかと同じ類で、質がわるい。

彼はといえば、タタキに下りる手前の角っこで、じっと動かない。

何を考えているのだろう。

逃げようと思えば、今は彼にとって絶好のチャンスである。彼としては、「アッシは、ここらで失礼いたしやす」なんて言ってそれこそクモ隠れできるのだ。

そうは言っても、ここまでの道程を二人で進んできた理由をしっかりと思い起こせば、彼は下へ下りて玄関ドアのほうへ進むのが、私との信頼関係に対して誠実と言える。

信頼関係?そんなもの、いつできたのかしらん?

ま、そういうもんは知らないうちに出来ているもんなんだろう。そう、信頼関係は出来ている。ような気がしている。

彼は蜘蛛としては、なかなか出来たほうの蜘蛛じゃぁないのか。

この蜘蛛が人間に変身したら、あの「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルのような風貌になるんじゃぁないか。

あのバトラーみたいに、悪ぶってはいるが、いざとなれば頼れる、それでいて一途に一人の女性を愛する・・・、おお!なかなか良い奴だ! うん、そうだ!

・・・はぁ?

私がこんなことを考えている間に、気がつくと、蜘蛛はタタキへ下りていた。あらら、すみません。

アポロが月面に着陸したときを思い出した。彼はやるべきことをやったのだ。

ここからは、以外に事は簡単に運ぶように思われた。

というのも、彼は玄関のドアのほんの手前、ぎりぎりまで進んでくれたのだ。

「ほいじゃぁごめんよ」と、

あ、そうじゃないな、

「お嬢さん、ごきげんよう。しばしの別れだ」とシルクハットをちょいと頭の上で浮かせてお辞儀をし、かろやかに出て行きそうな、猫紳士のバロンみたいな、あぁ、素敵!


しかし、ここで大きな問題が起こった。

そもそも私がこんな時間にシャワーを浴びていたのは、今の季節が夏だからで、これは随分説明が遅れて恐縮するばかりだが、こんな時間という今の時刻は、まだ午後の5時そこそこなんだな。

夏の日は長い。外は明るい。我が家の玄関は、人通りの多い通りに面している。

考えてもらいたい。ドアひとつ隔てて、そこには日常の生活が進行中なのだ。

誰も、蜘蛛とお話なんかはしていない。

そして、私はバスタオル一枚巻いただけである。

ドアを開けるには、かなりのグッドなタイミングが要求される。

言い換えれば、運を天に任せる、大きな大きな開き直りが必要だ。

しかし、百歩譲って、私にその大きな開き直り精神があったとして、どうやって、ドアのノブに手を近づけるのだ?

どうやったって、彼と私はかなりの接近を試みなければならない。

ドアの手前には彼がいる。

バスタオルから出ている私の二本の脚は、もちろん裸足で、ゴム長なんて履いていない。

だから、互いの皮膚にお互いの息遣いが感じられるほどの距離を覚悟しなくてはならない。

「エイリアン」という映画を見たことがあったけど、あのなかでは、かなりの豪傑な女性の主人公が頑張っていたっけ。

「・・・シガニー・ウィーバーだっけ?」

映画の女優の名前が浮かんできた。

こんなときに、私は変に記憶力が良い。

「私、パンツも履いてないわけねぇ。あぁ、でもドアは開けなくちゃあなたは出ていかれないし。」

彼がサンダル履きの私の裸足の足に乗って、ぞわぞわ太もものあたりまで這い上がる映像が浮かんだ。  

妙にリアル。

シガニー・ウィーバーの、左右に素早く動くあの眼球をちょっと真似してみる。

緊迫感、MAXってかんじね。

口の中がカラカラしてきた。私、無言。

どうやら、徹子さまも去ったらしい。

私は蜘蛛さまを見た。

「なにか良いお考えはございますか?」

二人そろってシンキングタイムである。

外では自転車が走っていく音やら、近所のおばさんたちがおしゃべりしながら歩いていく声がしている。

人通りの多い時間なんだな。

と、突然、蜘蛛は意を決したようにドアの側面を這い上がった。

え?ど、どうするの?



「蜘蛛とわたし」その4へ続きます