夏も終わり、秋も深まったある日の夜のことです。
その夜は、月も星もありませんでした。
夜空は、長いトンネルのようにどこまでも真っ暗です。
なにやら夜空の途中に、白い帯のようなものが、たなびいて見えます。
白い帯は、波のように高くなったり低くなったりしながらこちらへ近づいてきます。
よおくみると、帯のように見えていたものは、一つ一つが小さな白い玉のようです。
たくさんの玉が寄り添い合って、帯をつくり夜空を移動しているのでした。
その玉は、小さな子供がたどたどしい手つきで、くるくると巻いた糸玉ように、ふわふわの糸が何十にも巻き付いているようにみえます。
そうして、その中心がほんのり透けてみえるのです。
その玉の中で、なにかが動いているのでした。
玉がくるりと回転すると、万華鏡のように中身が変化しているようなのです。
桜の花びらのように、薄紅色をしている玉もあります。
金平糖が入っているような、淡い色がいっぱい見える玉もあります。
白黒の写真のように、色の無い玉もあります。
ときどき、その中心から透明なガラスをはじいたときのような、キーンとした高い音が聞こえてきます。
おしゃべりをしているような、眠っているような、笑っているような、泣いているような声も聞こえてきます。
どの玉の内側も、とても温かそうでした。
そして、どこか寂しげです。
そうなのです。
夜空を移動しているのは、だれかの思い出の繭玉なのでした。
思い出の繭玉は、みんなが寝静まる真夜中に、夜空の途中あたりに、ふぅっと吐いた息が凍ったように白く浮いて現れます。
誰にでも、大切な思い出があるでしょう。
繭玉のひとつひとつが、昔、誰かの大切な思い出だったのです。
誰かの心の中で生まれ、大切にされていたものです
誰にも思い出されることがなくなってしまった思い出が、繭玉の中にしまわれて、あてどなく、さまよっているのです。
これほどたくさんの思い出が、もう誰にも思い出されることがないのです。
繭玉たちはゆっくりと通り過ぎて行きました。
どこへ行くのでしょう。
繭玉たちは、いつか、どこかへたどり着くのでしょうか・・・。
繭玉たちは、だんだん、小さく遠くなっていきました。
一匹のカエルが、池のほとりで夜空を見上げています。
カエルは、もうすぐ、冬ごもりのために土のなかで眠ります。
カエルは、遠ざかる繭玉を見送りながら、藍色の夜空を、その大きな瞳で見つめていました。
「おいらが、思い出すよ。思い出の繭玉さんたちのことを、今夜のことを、おいらはきっと思い出すよ。」
カエルは、心の中で思いました。
思い出すことが、思い出を心の中に留めるのです。
そして今夜のカエルの、この思い出も、いつか、繭玉となって夜空に昇るのでしょう。