庄司利音の本棚

庄司利音の作品集
Shoji Rion 詩と物語とイラストと、そして朗読

詩 「三面鏡 」

2017-08-31 15:30:17 | 

人気の無い八畳に置かれた三面鏡は
水疱瘡の女の子を知っていた

悲しそうに上目づかいで鏡をのぞき
大粒の涙をこぼしていた

赤いぽつぽつが
頬の上で
ザクロの実のように光っていた

「あの子は今、どうしておいでか、ご存知か?」

その日、三面鏡はしばらくぶりで開かれた

鏡をひらいた女に、三面鏡はそう尋ねてみた

「あの子は今、どうしておいでか、ご存知か?」

しかし、その女は黙って髪を梳くだけ・・・
長い黒髪はうねうねと波打ち
三面鏡の問いは聞こえない

そして女の視線は、どこか曖昧で定まらない

梅酒色に染まる部屋の片隅
ひぐらしの声が簾のように下りる

この部屋の畳にあぐらをかいて座っていた
あれは、まだ若かった父親だった・・・

飴玉を口に入れてくれた優しい声の記憶

「ほら、大好きなニッキ飴だよ」

鏡のなかの女の唇がほんの少しゆるんで、小さな歯が映る

次の瞬間、
その女の唇がつぼむのと同時に
鏡は、両側からピシャリと閉じられた

「あの子は今、どうしておいでか、ご存知か?」


次に三面鏡の扉が開けられるのは、いつになるだろうか・・・

そのとき映す女の顔は、誰なのだろう・・・

三面鏡は、そのときを待つ

この八畳の片隅で
正座をして待つだろう

あの子は今、どうしておいでか、ご存知か





詩 「どしゃぶりの始まり」

2017-08-14 13:53:45 | 
ブロック塀に挟まれた 長っぽそい裏庭で

その日、犬は死んでいた

犬は茶色いご飯を食べていた

行ったり来たり、それが自分の仕事のように

あっちの端から こっちの端まで

突き当たっては 向き直り

突き当たっては 向き直る

犬は どこへ行こうとしていたのだろう

それとも、すべてを知っていたのだろうか・・・


死んで突っ伏した犬の片耳は

板チョコのような黒土に押し付けられて

踏み潰されたアルミ缶のように しょげていた


そのすぐ横には、さっき脱皮したばかりの 蝉の抜け殻が落ちている

からっぽの抜け殻が、犬の傍に寄り添っている


死んだ犬の真上には 

はめ殺しの窓のような 平らな空が張り付いている

もう、誰も見上げることの無くなった空がそこにある

そろそろ、叩き割ってもいいだろう


やにわに、

犬の耳の先っぽに 一粒

蝉の声が、

ポツンと 落ちてきた


ほんの刹那の午後である


これから 土砂降りがやってくる

その一番最初の、雨の 一粒である