おかずブログ

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近場で撮影した植物などがメインとなります。

190901松尾大社八朔祭

2019年09月05日 | 京都

190901松尾大社八朔祭

今年も新暦で9月、旧暦で8月になった。

初秋から中秋にと変わっていて、秋が深まりつつある日常。

今年はそれほど暑いというほどの感覚は私にはなかったのだが、

今後はしばらくは暑くもなく寒くもないという季節の到来は、

それだけで何となくうれしい。

 

9月1日、旧暦で8月3日。210日の日ではあるのだが、松尾大社の

「八朔祭」を見るつもりで、西の山辺の道に点在する浄住寺、地蔵院・

西芳寺・月読神社、そして松尾大社と道なりに自転車を走らせる。


浄住寺は小宇なのだが不思議と40年ほど前から行っている。無料だから

ついつい境内に入ってしまう。40年から20年ほど前は本堂の前にモミジの

巨木があって、それを見に何度か行ったことがある。残念なことに20年ほど前に

なるのか伐採されてしまった。近年でこそ「モミジの隠れた名所」と言われて

いるようだが、モミジに限れば昔日の方が良かったとも思う。

浄住寺は藤原氏の流れを汲む葉室氏の菩提寺。現在も葉室氏の後裔の方々が

関係されている。中世歌人の西行の妻も葉室氏の出自と言う。

 

北方すぐ近くに本能寺の変の時に光秀の別動隊が通った「唐櫃越道」があり、

その側に細川氏の関係する「地蔵院」がある。竹の寺とも言い、独特の

好ましい雰囲気がある。とはいえ私が中に入って参詣したのは数回と数えるほどだ。

ここも小宇なのだが一休禅師生誕地とも言い、作家の水上勉氏の書もあるらしい。

らしいというのは私自身は確認していないからである(多分)。

西芳寺(苔寺)はもう何十年と前から一般拝観はしていない。50年ほど前だったか?

参拝者を断っているのだが、その理由は「付近住民の迷惑になる」ということだった。

その言や良し・・・だと思う。だから私も半世紀ほどは境内に入ってはいない。

西芳寺川側の道路から見るのみである。


なんだか観光案内書になってしまいそうである。ごくごく軽く続けたい。

苔寺のすぐ北側にもいくつかの寺社があるのだが割愛。

月読(つくよみ)社は古くは、この辺一帯の寺社を管轄していたという

説もあるのだが、現在は松尾大社の境外摂社。北区の大徳寺と雲林院の

関係にも似ている。それが時代の変遷でもあるのだろう


さて、松尾大社。伏見稲荷大社と同様に秦氏創建。

この日は、松尾大社でたくさん行われているお祭りの一つの「八朔祭」。

祭りは前日の8月31日から行われている。境内にもそこそこの露店が並んで、

祭りを演出している。

9月1日の「出し物」は、女神輿巡行・相撲大会・六斎踊り。

私の松尾大社到着は15時頃にもなっていて、すでに女神輿巡行は終了。境内で

中学生たちの相撲をやっていた。中学生といえども相撲をやっている子供たちは、

見当で100キロ近くはありそうな子もいて、その体格に圧倒されたという思いもある。

私は人物写真は積極的には撮影しないので、相撲の競技場面の画像もほぼない。

相撲会場から場所を移して、本殿前の舞殿で催される「六斎踊り」を少し見る。

以後は松尾橋右岸の道を嵐山東公園まで。その道すがら、花の写真を撮る。

花名は上から ママコノシリヌグイ・キツネノマゴ・ネムノキ。

最後のシベの縮れた花はネムノキ。夕刻になってほぼ直立していたものが縮れたように

変化した状態。

私のネムノキの花撮影は桂川右岸のネムノキが8本程度固まってあるここでの

撮影が多かったのだが、数年前の台風による桂川氾濫後の河川整備で伐採されたために、

撮影拠点を失っていた。ところが今年は同所で数本が生き延びていたことを知る。

まだまだ花も咲いていて、うれしい誤算。来年からはまたここでネムノキを見たい。

夜の帳が落ち始める18時頃に再び松尾大社。

すでに「六斎踊り」も終わって、露店も店じまいに余念がない。

松尾大社の「亀の井」は元号の霊亀(715年~717年)の元となったもので、

それだけに由緒があるともいえる。水の関係で世の酒造家の崇敬を集めてもいて、

杜氏は新酒を仕込む前に必ず松尾大社に参詣するらしい。

この日の画像は下に置いています。御覧願います。

190901松尾大社八朔祭

 




 


 




 

 

 

 

 

 


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