2014.09.18
北のテラス
北のテラスには、長さ80mの壁の跡がある。祭の際に控えの場として使用されたと考えられているそうだ。また、アンティオコス1世以降の王国の後継者のためのスペースとして準備されていたが、結局使われることはなかったらしい。
大量の材木が積み重ねてあったので、今後、東と西をつなぐ木製の通路が古墳をぐるっと囲むのかもしれない。
中央の古墳は、このようなこぶし大の石を積み上げて出来ている。内部まで全て小石が積み上げられていると仮定して試算すると、60万トンの石が使われていることになるそうだ。現在のところ、墓室も空洞も確認されたおらず、入口を探す試みも全て失敗している。
西のテラス
西のテラスは、東のテラスのように頭部が一列に並んでいるわけではなく、雑然とした印象を受ける。
ガイドブックに以前の写真と想像図が載っていたのでお借りしました。
向かって左側に並んでいる石版は今はない。何処かの博物館に展示されているのかもしれない。石版には左から、アンティオコス1世とアポロン-ミトラス、ゼウス-オロマスデス、ヘラクレス-アルタグネス-アレスがそれぞれ握手しているところが刻まれている。そしてその隣に占星のライオンがあったはずである。
占星のライオンには、8本の光の矢がついた星が19個、16本の光の矢がついた星が3個、ライオンの体とその背面に彫られている。背面に刻まれたギリシャ文字によると、大きな星はジュピター、マーキュリー、マルス。つまりゼウス、アポロン、ヘラクレスの惑星を表している。首の下にある三日月は女神コンマゲネのシンボルである。 (ガイドブックによると)この浮き彫りは世界最古のホロスコープ(占星術)を示すものでこの星の配置は紀元前62年7月7日、十二宮の最初の月レオの初めとなる。
一つだけ残っていた石版はほとんど剥げ落ちてしまって、金属のフレームで覆われていた。かすかに残った右下の模様(ラインの頭が乗っている柱のような…)からアンティオコス1世とゼウス-オロマスデスの像みたいだ。だとしたら、下部1/3ほどしか残っていないことになる。
ブラックシスターズさんが、剥げ落ちた跡の模様が「両手を組んで拝む女性の横顔」に見える(真ん中辺り)と教えてくれたので、これは何だろうとしばらく盛り上がっていた。結局、偶然そのように見えただけだったが、それはそれでロマンがあった。
ワシの頭部は見つかってないみたいだ。
ライオンの隣にある頭部のない石像は、アンティオコス1世の先祖の一人だそうだ。
頭部に開いている丸い穴は、石像を動かしたときに重機で挟んで付いたものだろうか。
ワシの頭部と胴体。その奥にアンティオコス1世。東側より少し若い姿。
差し出した誰かの手。
西側は夕日に照らされて綺麗だ。
ヘラクレス-アルタグネス-アレス。
ゼウス-オロマスデス。
アポロン-ミトラス。
西のテラスに向かって右側にはいくつかの石版が並んでいる。手には何か丸いものを持っているように見える。
アンティオコス1世の父方の祖先の一人クセルクセス。
暗くなる前にもう一度、今度は南側の細い道を通って東のテラスに戻ってみた。
17時30分過ぎ、東のテラスは薄暗くなり、みんな日没に備えて西側に行ってしまったので、観光客はあまり残っていなかった。東のテラスに来て驚いたのは、先ほどのカップルがまだ写真を撮り続けていたこと。何枚撮れば気が済むのだろう…。 山頂の気温も下がってかなり寒くなってきたが、この時間、半袖で山頂にいたのは二人だけだった。もう一人は、見るからに…な欧米人のお兄ちゃん。
そろそろ日が暮れるかな…と、西のテラスに行ってみた。地平線にはさっきより雲が広がっていて、肝心の太陽は現在雲の上。これでは日没は拝めそうもないので、一足先に下山することにした。
登山口の休憩所の入ると、金町さんご夫婦と数人がすでに下山しお茶を飲んでいた。金町さんご夫婦は、文字通り金町在住のご夫婦である。この時は知らなかったのだが、数日後の自己紹介の時に金町のご夫婦だと知った。その前からなんとなく下町の雰囲気を感じていたのだが、果たしてその通りだった。 その奥さんが折り紙を持って来ていて、とても上手に折っていた。その時休憩所にいた(たしかドイツ、やっぱりトルコだったかな…の)ご婦人に折り紙を折ってあげるととても喜んでいた。 次回は折り紙を持ってこよう。
しばらくして暗くなった頃、添乗員さんを始め、みんな下山してきた。聞くと日没は拝めなかったそうだ。早めに下山して正解だった。
3日目の観光はこれで終了。再びミニバスに分乗しホテルへ向かう。
出典:現地で買ったガイドブック「コンマゲネ王国 ネムルート」
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