8月13日(土) 羽田から直接病室に向かった兄からメールが入った。 今日は意識があるみたい。朝昼と食事も取っているし、こちらの問いかけにもちゃんとうなずく…。 ここ数日、寝てばかりで食事も2~3日に一度。握り替え捨てにも力が入っていなかった。
正直、行ってみて自分の目で確認するまで信じられなかった。 開いている目が、うつろではなくちゃんとこちらを見ている。 問いかけにも理解してうなずく。 母の兄が送ってくれた桃を「食べる?」と聞くと大きくうなずいた。「おいしい?」と聞くとまたうなずく。 その後、甥が買ってきたマカロンまで食べた。 お茶と、野菜ジュースを飲んだ。 すべて入院してから出来なかったことだ。嬉しくてカミさんと顔を見合わせて笑った。 「もう一度家に帰ろうね。」というと、小さな声で「うん」と言った。 2週間ぶりに声を出した!
たまに身体についている機械がアラーム音を鳴らすが、今までも無かったことではないのでそんなに気にしなかった。おやつまで食べたので夕食は少なめ。少し疲れてしまったのか、しばらくすると寝てしまった。
8月14日(日) 翌日帰る予定の兄が先に病室に行った。 昨日同様、意識があるとのメールが届く。アラームがよく鳴るのが気がかりと書いてあった。 今日は、家で美味しそうに食べていたマンゴーを持って行こうとカミさんが用意する。 先に出た私に今度は電話が鳴った。「看護士さんがご家族を呼んだ方がいいと言っている…」という内容だった。カミさんにも急ぐように連絡する。
慌てて病院に向かうが、大手町で運悪くロマンスカーが来てしまい少し待たされる。 千代田線の中でもう一度電話がくる。電車の中で電話を初めて取った。 「急いで…」に変わった。
町屋から走るが、とても暑い。
病室に駆け込むと「ピー」というアラーム音が鳴り続けていた。
8月14日13時38分 母永眠 …
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本当に頑張りましたね。
私のばあちゃん93歳も、8月27日(土)に永眠しました。
私の退院を待ってほしかった、、辛いです。
私は、お腹から出ているドレーンの廃液の量が減らず、退院のめどがたたず、、、
外出許可も難しく(感染症の可能性)、私のいないお通夜と葬式になりそうです。
焦って困って、私もどうかなりそうです。苦しいよ。
ここに、こんなコメントを書くことをお許しください。
ご愁傷様です。
月並みな言葉しか出てきませんが、いのぶーさんの手術が成功することを祈ってご逝去されたことでしょう。
今は、ご自分の体を治すことを優先させてください。
ご焼香が少しくらい遅れても、元気な姿を見せた方がお祖母様も喜ばれると思います。