Travel Sketch
旅の記憶を写真でスケッチ
長野~札幌~東北 旅行記 8日目 羽黒山 その2
2011年10月13日:銀山温泉~羽黒山~山形 鳥居をくぐり、しばらくたっても息が上がったまま。スタートから約1時間ほどかかった、かなりきつい登りだった。 鳥居の先、左側に並ぶのは厳島神社と蜂子神社。 出羽三山神社 もともと出羽神社を祀っていたが、後に月山神社と湯殿山神社を合祭し現在の姿に。 中央に月山神社、右に出羽神社、左に湯殿山神社。 月山神社は月讀命、出羽神社は伊弖波神と稻倉魂命の二神、湯殿山神社は大己貴命、少彦名命、大山祇命の三神を祀っている。 日本最大の茅葺屋根の社殿を持ち、その前には鏡池が広がる。 お詣りをしていると無粋なおっさん三人組がタバコを吸いながら隣に来て、「最近はみんな車で来て、歩いて登ってくる人はいないよ」とぬかしやがった。 合祭殿の右側には鐘楼と建治の大鐘、その奥にいくつかの境内社が並ぶ。 建角身神社には履き物が奉納されている。 立て札には… 万物の生まれ出る力を表している神産巣日神の御孫にあたり、天津神であります。 神武天皇が紀伊熊野より大和に入らんとした時、八咫烏に化して天皇を導いたとされる。 又、タケツヌミを八咫烏と称したのは日神信仰と関わりがあり、道とは日神の道であり、道中安全守護の神として、現在でもはき物を奉ずる慣習がある。 と書いてある。 霊祭殿。 鳥居を抜けると駐車場や売店がある。13時も過ぎたのでお昼にした。食べたことのない麦切りというものと蕎麦を注文した。麦切りは細切りうどん。 さすがに疲れたので帰りはバスで…とも思ったが、ちょうどバスは出たところでしばらく無いとお店の人が教えてくれた。有料道路を通るので、バスの運賃も結構な金額らしい。 ということで、帰りも徒歩。登りと比べると下りは楽だ。とはいえ、石段の幅が狭いので、まっすぐ降りるとつま先が出てしまいジグザグに降りなければバランスを崩す。 登りで見なかった羽黒山講堂。 三の坂を降りたところから脇にのびる飛び石の小径の先に史蹟南谷がある。松尾芭蕉が曾良と共に六日間逗留した場所である。 今では全て倒壊されて礎石のみが残っている。 史蹟南谷に近づくにつれて演歌が聞こえてくる。誰かいるのかな…と見ると、ご陽気さんが結構なボリュームで演歌をかけ、お休み処でニコニコしていた。 当然警戒しながら軽く会釈し、視界の隅に置きながら写真を撮った。この人はここで何をしていたのだろうか…。きっと善良な俳句愛好者だったのだろう。 途中、史蹟南谷に寄ったので帰りも約1時間かかった。 今度は月山の南側を通り、山形市に向かう。途中、湯殿山への入り口があって、ついでに本家もお詣りしようかなと思ったが先を急いだ。 この日の宿はコンフォートホテル山形。毎度のコンフォートである。 チェックインを済ませ、駅周辺を散策しながら、蕎麦屋を物色。夕食は山形名物の板そばと決めていた。 メニューに麦切りがあったので、カミさんは蕎麦との相盛りにした。お土産物屋で食べた麦切りの味にちょっと疑いを持っていたので確かめたかったのがホンネである。結果、お土産屋さんとかわらなかった。 食事が終わって、何か甘いものが買えるところは…とお店の人に聞いたら、十字屋というお店の中にあるらしい。急いでいったのだが、19時過ぎですでに閉まっていた。そのまま駅と反対方向に歩いてみたが、それらしいお店は見つからない。駅前なのにお店自体が少ないのだ。 仕方がないので、駅ビルまで戻る事にした。駅ビルのお土産売り場に着いたのは19時50分過ぎ。閉店まで10分ほどである。ところがビル内に入ると、殆どの店が閉店支度。商品に布が掛けられ、ガラスケースを覗いていても店員は目を合わせようとしない。 結局、一回りしてみたが、山形にはお土産らしいお菓子がないことがわかった。並んでいる店で売っているほとんどが他県の名産である。仙台名物萩の月を買って、早々にホテルに戻った。 この時間の新幹線で帰る人は同じようにいやな思いをしているんだろうな…。県の観光課の人は、もっとちゃんと指導してほしいものだ。 コンフォートホテルのフロントも今までないほど感じ悪かったし、どうも山形とは相性が悪いみたいだ。 |
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