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エジプト旅行記 - 仕方噺 5日目 王家の谷

2008年11月9日 王家の谷 その2

王家の谷に行く前に、アラバスターや黒曜石の置物を作っている店に寄った。前回のパピルス店同様、加工の過程を職人さんが見せてくれる。店内には、大小様々な置物、壷、ランプカバーなどが並んでいる。
30センチくらいの黒曜石でできたバステト神(ラーの娘で頭が猫の豊穣の神)が気になり、いくつか手に持ってみたが、とてもここから持って帰ろうという気にはならない重さである。結局、だんだんサイズは小さくなり、10数センチのものを2つ買うことにした。
前回のパピルスの時は交渉の余地がなかったので、エジプト初の値段交渉になった。写真のように、厳ついおじさんが相手だ。向こうはあくまで大きなやつを薦めてくる。どうにか2つ買うと言うことで話は収まった。小指の先ほどのスカラベ(よく客引きがただでくれるヤツ)をサービスで付けるという。横からカミさんが大きなサイズのスカラベを持ってきて、これをサービスしろと微笑んでいる。敵は大胆な行動に驚いていたが、とうとうそのスカラベはサービスとなった。もちろん最初の小さいのも一緒に…。

写真に快く応えてくれたお兄さん
土産物屋が並ぶ
王家の谷は、新王国時代(紀元前1570年~1070年)に、トトメス1世(在位紀元前1524年~1518年)が最初に墓を作った。この谷が選ばれたのは、谷の上にある高さ455メートルのアル・クルン山がピラミッドのような形をしていたことと、たった一つの狭い峡谷を通らないとここにはたどり着けないので、盗掘を避けられると考えられたためだという。実際は、盗掘を免れることができなかった訳だが…。
トトメス1世は王になったときにはすでに高齢のため、墓作りを急ぐ必要があった。そこで比較的時間のかからない、墓の作り方を考えたという。神殿やピラミッド(が墓だとすれば…)よりは、時間も金もかからなかったのでは。そのトトメス1世の棺は、KV20とKV38の2つ墓から見つかっている。
ビジターセンターには、王家の谷の3D模型が展示されている。このセンターは、エジプト政府の要請により外務省を通じて無償資金協力プロジェクトにより日本が建設した。地下の入り組んだ墓の様子が解りやすくできており、日本の技術はたいしたものだと思った。

ビジターセンター
王家の谷最初の墓は、ツタンカーメンだ。残念ながら写真撮影は禁止なので、内部の写真は1枚もない。
ツタンカーメンのミイラは、布をまとった状態で横たわっていた。以前は、布がなかったらしいが、それではあまりにも…ということで、現在は布を羽織っている。いろいろな本で紹介されているとおり、内部の壁画は綺麗に色が残っている。後ほど、カイロ博物館で墓から発掘された装飾品や厨子を見ることになるが、あれが全てこの中に入っていたとはとても想像できない。
綺麗に発掘してくれたカーター氏にひたすら感謝である。
ツタンカーメンの墓入り口。写真はここまで。
見上げるとアル・クルン山が左側に見える。確かにピラミッドの形に似ている。
あちらこちらで発掘作業が行われている。帰国してしばらくしてから、王家の谷で新しい発見があったとニュースで流れていた。ちょうどこのあたりだったような…?。
次はラムセス3世の墓に…行ったと思う。違うかもしれない。不覚にも記録と記憶が無い。写真で判断するとラムセス3世の墓かと。
次は間違いなくハトシェプスト女王葬祭殿。
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