伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<10> クレイジーキャッツ/ドリフターズ/ザ・ピーナッツ

2007-03-29 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回はナベプロ黄金時代の3大タレントとして、日本のショービジネス界に数々の足跡を残した「クレイジーキャッツ」「ドリフターズ」、そして「ザ・ピーナッツ」の出演履歴を振り返ります。

まず、ザ・ピーナッツに関しては、やはり初期夜ヒットの常連組ゲストとして多数の回に出演しています。1975年の引退時には、「シャボン玉ホリデー」などで共演したクレイジーキャッツのリーダー・ハナ肇や、声優の野沢那智ら多くの特別ゲストが駆けつけ、まず番組冒頭に懐かしのナンバー「情熱の花」を、そしてその後にラストシングル「よこがお」を披露し、華々しく有終の美を飾りました。このピーナッツの引退特別企画を契機として、その後夜ヒットの名物企画として「サヨナラ」企画が、番組に馴染みの深い歌手の引退・解散時には多く編成されるようになりました。

ドリフターズについては、ヒットスタジオがスタートした頃にちょうど人気急上昇中で、歌手としても「ミヨちゃん」「いい湯だな(ビバノンロック)」「ズンドコ節」「ほんとにほんとにご苦労さん」と立て続けに好セールスを記録しており、それを反映するかのように番組初期、特に1970~1971年にかけては土曜夜のお化け番組であった「8時だョ!全員集合」(TBS)や他局での特集番組、そのほか映画撮影など超多忙なスケジュールの最中にありながらも意外にも多くの回に顔を出しています。

他方、ナベプロ最大の大黒柱ともいえるクレイジーキャッツに関しては、それとは対照的に、この頃には一時の人気は陰りが見え始め、シングルのセールスも伸び悩んでおり、またメンバーそれぞれが個人名義で活動する機会が増え始めていた時期でもあったため、番組出演回数は1979年に久々にクレイジー一の人気者だった植木等がソロ歌手名義で出演した回を含めてもわずか4回にとどまっています。

(追記)先日、植木等さんが80歳でお亡くなりになられました。この場を借りて謹んでご冥福をお祈りいたします。「無責任男」という代名詞に象徴される、あの軽妙ながらも紳士的な雰囲気も兼ね備えた独特なキャラクターは、これからも多くの人々の心の中に生き続けてゆくことと思います。

◆ハナ肇とクレイジーキャッツ-初出演:1969年7月7日(第36回)/最終出演:1979年4月23日(第546回)、出演回数:4回
01 1969/07/07(0036) ウンジャラゲ
02 1970/02/02(0066) アッと驚く為五郎
03 1971/08/16(0146) この際カアちゃんと別れよう
04 1979/04/23(0546) これで日本も安心だ!(※1)

※1 1979年4月23日放送については正式には植木等単独名義での出演で、ほかのクレイジーキャッツのメンバーは「特別ゲスト」扱いで応援出演という形でしたが、実質的には「クレイジーキャッツ」としての出演とほぼ同様と解釈し、この回もクレイジーキャッツの出演回として含めることとします。

◆ザ・ドリフターズ-初出演:1969年7月14日(第37回)/最終出演:1978年5月29日(第499回)、出演回数:15回(うち、荒井注に関しては12回、志村けんについては個人名義の出演を含め4回)
01 1969/07/14(0037) ミヨちゃん
02 1970/03/30(0074) ドリフのズンドコ節
03 1970/06/01(0083) ドリフのほんとにほんとにご苦労さん
04 1970/10/05(0101) ドリフのほんとにほんとにご苦労さん
05 1971/01/11(0115) 誰かさんと誰かさん
06 1971/02/22(0121) 誰かさんと誰かさん
07 1971/04/26(0130) ドリフのツンツン節
08 1971/06/14(0137) ドリフのツンツン節
09 1971/08/23(0147) ドリフのツンツン節
10 1972/01/10(0166) ドリフのツーレロ節
11 1972/06/05(0188) ドリフの真赤な封筒
12 1973/07/30(0248) ドリフのビバノン音頭
13 1976/11/29(0421) 東村山音頭
14 1977/10/03(0465) <不詳>
15 1978/05/29(0499) ゴー・ウェスト
※ 1988/10/19(1036) ウンジャラゲ<志村けん&だいじょうぶだぁファミリー>

◆ザ・ピーナッツ-初出演:1969年1月6日(第10回)/最終出演:1975年3月31日(第334回)、出演回数:41回
01 1969/01/06(0010) ガラスの城
02 1969/02/24(0017) 悲しきタンゴ
03 1969/03/31(0022) 悲しきタンゴ
04 1969/04/21(0025) 悲しきタンゴ
05 1969/10/27(0052) 野いちご摘んで
06 1969/12/01(0057) 野いちご摘んで
07 1970/01/12(0063) 野いちご摘んで
08 1970/03/02(0070) 男と女の世界
09 1970/06/01(0083) 男と女の世界
10 1970/07/20(0090) 東京の女
11 1970/08/24(0095) 東京の女
12 1970/09/07(0097) 東京の女
13 1970/10/26(0104) 東京の女
14 1970/12/07(0110) 大阪の女
15 1970/12/28(0113) 大阪の女
16 1971/01/25(0117) 大阪の女
17 1971/02/15(0120) 大阪の女
18 1971/05/31(0135) なんの気なしに
19 1971/06/28(0139) なんの気なしに
20 1971/08/23(0147) なんの気なしに
21 1971/09/27(0152) サンフランシスコの女
22 1971/11/01(0157) サンフランシスコの女
23 1971/12/20(0164) サンフランシスコの女
24 1972/01/24(0169) サンフランシスコの女
25 1972/03/06(0175) リオの女
26 1972/04/03(0179) リオの女
27 1972/05/22(0186) リオの女
28 1972/09/11(0202) さよならは突然に
29 1972/11/27(0213) さよならは突然に
30 1973/02/19(0225) 指輪のあとに
31 1973/07/02(0244) 情熱の砂漠
32 1973/08/20(0251) 情熱の砂漠
33 1973/11/05(0262) 情熱の砂漠
34 1974/01/28(0273) 気になる噂
35 1974/04/22(0285) 愛のゆくえ
36 1974/06/03(0291) 愛のゆくえ 
37 1974/07/15(0297) 愛のゆくえ
38 1974/08/19(0302) お別れですあなた
39 1974/09/23(0307) お別れですあなた
40 1974/11/04(0313) お別れですあなた 
41 1975/03/31(0334) 情熱の花/ローマの雨/心の窓にともしびを/可愛い花

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9 コメント

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覚えてない (ごいんきょ)
2007-03-30 06:52:29
ドリフの活躍時にはもうこの番組を見ていたのですが、
まったく記憶に無いのが残念ですね。
べつにドリフに限らず、覚えている歌のシーンというのが無いのです。
当時は歌番組も多かったし歌手がテレビに出るのは当たり前という感覚だったので、
各歌のシーンが記憶に残るような事では無かったんでしょう。
ドリフも同様で、全員集合など彼らの番組でも当たり前のように歌ってましたので、
それほど印象に残っていないんだと思います。
それでいて何故か紅白には出てないんですけどね。
だからドリフの歌というのはあまり映像が残ってないですね。
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この頃は派手な演出がなかったしなあ・・・。 (resistance-k)
2007-03-30 23:34:36
ごいんきょさんのおっしゃっている理由の他にも、多分、70年代前半までのヒットスタジオでは派手な歌の演出とかも殆どなかったことも、あまり歌のシーンの印象が残っていない理由になっているかもしれませんね。

井上順が司会になってからも最初の1年か2年ぐらいは派手な装飾とかは夜ヒットの場合はなかったですしね。80年代のヒットスタジオしか知らない世代としてはあまりの歌のシーンのシンプルさにちょっと驚いたりもしましたが…。
夜ヒットで歌中にメインの階段セット以外で、その歌限定の映像効果・セットを本格的に組むようになったのはCS放送を見る限りでは1977年の秋ころからだったと推測されます。確か布施明の「旅愁-斑鳩にて-」という歌のときに、歌の始まりのときは何もセットがなかったのに、サビに入ると突然すすき野のような風景が広がっている…といった演出だったように思います。

その後、以前このブログでも取り上げた沢田研二の「サムライ」伝説の畳バージョン、山口百恵の「乙女座宮」における銀河系を思わせるセットなど、主にその回のラストの出番の歌手に対して、1978年にはいると派手な演出が行われるようになり、次第にセットを組む頻度が増えていって、1980年代半ばにはほぼ全ての出演歌手の出番に対して何らかの演出が行われるようになるに至った、という感じであったと思います。

各放送局が自局の歌番組に一番お金をかけてくれた時代がこの1970年代後半~1980年代にかけての10数年間だったというのは、当時の出演者の顔ぶれなり、歌の演出なりを見ていても一目瞭然だろうと思います。
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1970年代前半までのドリフの歌唱シーンの映像資源 (resistance-k)
2007-03-30 23:55:06
あと、「ドリフの歌の映像があまり残っていない」という点ですが、確かにそうですよね・・・。
彼らの歌手としての全盛期はこの記事でもちょっと書きましたが1969~1971年頃なのですが、まだまだこの時代は生放送のバラエティーや歌番組を映像として保存するという概念がまったくなく、「生番組=水物」という軽い解釈がなされていたこともあって、殆ど歌番組、バラエティーの映像って保存されていないんですよね…。
夜ヒットでもこの時代の映像は殆ど現存していないというのが通説ですし、全員集合も第一シリーズに関してはまったくといっていいほど映像が残っていない(ただ、1回目の放送については断片的に残ってるらしいのですが)そうですからね・・・。

私が1970年代前半までのドリフの歌唱シーンで見覚えがあるのは、
・ビートルズ日本公演における前座(1966年、曲名は失念、確か仲本工事がリードボーカルを務めていたような…)
・第11回輝く日本レコード大賞/いい湯だな(1969/12/31放送)
・第12回輝く日本レコード大賞/ズンドコ節(1970/12/31放送)
・第1回日本歌謡大賞/ズントコ節(1970/11、但しこれについては実際にはテレビでは放映されていなかったそうです)
・全員集合/ツーレロ節(1972年、放送日は不明)
ぐらいしか知らないんですよね・・・。もう1、2本は現存しているんでしょうけど、それにしても少ないですよねえ。

この時代の映像がほぼ全滅というのは、その当時の各放送局の事情があるにせよ、日本のテレビ放送史を検証する上では、致命的な欠点といわざるを得ないでしょうね…。
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歌謡映画 (goo)
2007-04-01 14:20:12
管理人さま、みなさま

70年代前半までの歌唱映像はドリフ以外も少ないですが70年代前半までだと歌謡映画のほうが映画会社は残してくれているので、それらをチェックするしかないですね。

あの突如、話や設定と関係なく歌い出すシーンは今見るとコミカルですよね。ミュージカル仕立てのようだけど日本の歌謡界独特のものなんてしょうね。
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歌謡映画は高度成長期の象徴? (resistance-k)
2007-04-01 17:36:02
当時はまだまだ流行歌に絡んだ映画制作が全盛期でしたからね・・・。青春歌謡やムード歌謡の人気絶頂期にはかなりの本数で歌に絡んだ映画が製作されていましたよね。日本がこれから急成長を遂げていこうとする人の目にも実感の出来る躍動感も相まって、そういった映画も隆盛を極めたわけですけどね・・・。

また俳優が劇中歌、あるいは主題歌を歌い社会現象的な大ヒットがたくさん生まれた、というのも1960年代の歌謡曲の系譜を見てゆくうえでは興味深いところです。東宝の加山雄三、日活の石原裕次郎・小林旭・吉永小百合、松竹の倍賞千恵子など、歌手としても一流といえる俳優以外にも、東映の高倉健、藤純子といったかなり意外ともいえる俳優も主題歌を担当し、それも大ヒットしていましたよね…。高倉・藤などの場合は決して歌唱力がある訳ではないのですが、なんと言うか「味わい深さ」というのが歌の中にあり、本職歌手、或いは頻繁にレコードを出している俳優兼業歌手とは違った魅力、そして歌など歌うはずはないと思っていた、という「意外性」が大ヒットにつながったんじゃないのかな?という感じがします。
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ドリフターズの歌披露 (MACKY)
2007-04-05 22:08:16
「ドリフは歌手としては殆どテレビに出ない」と書いた本もあったくらいで、ドリフは歌番組には出ていないというイメージも強いけど、実際は何度か出演しています。いかに70年代のものを挙げてみます。

まず前出のビートルズ公演の前座の曲は「のっぽのサリー」です。ヴォーカルは仲本工事。

69年のレコード大賞は「いい湯だな」ともう1曲何か歌ったはず(加藤茶が歌い出しをしくじったのを記憶しているので)。

70年のレコ大は大賞候補曲として「ドリフのズンドコ節」、同じ年の第1回歌謡大賞の受賞曲披露会でもこの曲を確かに歌った映像がかつて特番で流されましたが、この模様が当時放送されたかどうかは不明。

『8時だよ!全員集合』では何度か歌っているみたいで、私が記憶しているのは前出「ドリフのツーレロ節」と、志村けん加入後の「ドリフのバイのバイのバイ」ですが、特にこの曲は他局でも何度か披露しているようです。

変わったところでは76年の『スター千一夜』に加藤茶と志村けんで出演して、「はじめての僕デス」と「東村山音頭」をそれぞれ披露。

あと、未見で非常に残念だけど、78年開始直後の『ザ・ベストテン』の【今週のスポットライト】で「ゴーウェスト」を歌っているようです。

紅白では正式な出演者ではないけれど、67年~69年は応援として出演していて、68年は「いい湯だな」、69年は民謡の替え歌メドレー(「のってる音頭」他)を歌っています。

『夜ヒット』は私もリアルでは観ていませんが、いつかの記念回放送の時に、加藤・仲本で「カルメン77」の振り付けをした過去映像を見た記憶があります。
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77年10月3日放送(10周年記念特番) (resistance-k)
2007-04-06 22:01:53
その「カルメン'77」の真似のやつは、芳村真理の勇退記念公式本の中にも写真掲載されていました。確か、10周年突入を記念した回(77年10月3日)じゃないかな・・・?と思います。

77年10月3日放送・・・、この回はなかなか版権等の問題で再放送される可能性は今後とも低いでしょうけど、ぜひ見てみたい回の一つですね。
わたしが知ってる限りでも・・・・
・小柳ルミ子と梓みちよの「カルメン'77」
・キャンディーズ「春一番」
・西城秀樹「傷だらけのローラ」
・野口五郎「私鉄沿線」
・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・郷×山口百恵「てんとう虫のサンバ」
・野口×森昌子「昭和枯れすすぎ」
・西城×桜田淳子「イエスタディ・ワンスモア」
・布施明×沢田研二×五木ひろし×森進一(当時の夜ヒット「四天王」揃い踏み)「マイ・ウェイ」
・森昌子「せんせい」
・沢田研二「危険なふたり」
などなど出演歌手のかつての代表曲およびジョイント企画を中心に編成されていましたよね・・・・。
この回、ドリフも歌手として出演してるんですけど、いったい何を歌ったのか・・・?なんとなく上記の歌の傾向を見ると「ヒットメドレー」でも披露したのかなあ・・・という気がしないでもないですけど。

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ザ・ピーナッツ (アンカー)
2007-05-17 16:57:45
resistance-kさま、

はじめまして。
以前から時々拝見させていただいていましたが、ザ・ピーナッツ出演の全記録が載っていたので思わず書き込みさせていただきました。

私はザ・ピーナッツのファンサイト☆ピーナッツ・ホリデー☆を運営しています。
自分で調べようとしてもなかなかここまでできませんでしたので、この出演履歴はとてもありがたく見せていただきました。
つきましては私のサイト内にてこの出演履歴を拝借して掲載したいのですがご了解いただけますでしょうか。
だめでしたらここの当方の掲示板にてブログの紹介をし、ピーナッツ・ファンの皆さんにも見ていただきたいのですが・・・。

どうかお願いします。
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Unknown (resistance-k)
2007-05-17 22:40:17
コメントありがとうございます。

出演履歴の件、了解しました。どうぞご自由にHPでお使いください。
実のことを言いますと、この出演履歴も含めて、曲目を推定(1970年代前半までの場合、映像資料とかが殆ど残っていないため、どうしても各歌手のディスコグラフィーを頼りに曲目を推定せざるをえない・・・)するに当たって、アンカー様のHP内の資料を色々と参考にさせて頂いておりましたので、実際、そのHPの管理人の方からコメントをいただけるとは思ってもいませんで大変嬉しく思っております。

これからも、ぜひこのHPにピーナッツ関連のことだけでもかまいませんので、お越しいただく際にコメントを残して頂ければと思っております。
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