伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

夜のヒットスタジオ・歌手別出演履歴<23> 野口五郎

2007-07-29 | 夜のヒットスタジオ/歌手別出演履歴
「夜ヒット・出演履歴」シリーズ、今回は"新御三家"の一角を成す、野口五郎の出演履歴を振り返ります。

◆野口五郎-初出演:1971年9月27日(第152回)/最終出演:1987年3月4日(第951回)、出演回数:124回
001 1971/09/27(152) 青いリンゴ
002 1972/01/17(168) 好きなんだけど
003 1972/02/21(173) 好きなんだけど
004 1972/03/20(177) 悲しみの日曜日
005 1972/04/17(181) 悲しみの日曜日
006 1972/08/28(200) めぐり逢う青春
007 1972/10/30(209) めぐり逢う青春
008 1973/01/22(221) 雨に消えた恋
009 1973/02/12(224) 雨に消えた恋
010 1973/04/16(233) オレンジの雨
011 1973/06/25(243) 君が美しすぎて
012 1973/07/16(246) 君が美しすぎて
013 1973/10/15(259) 愛さずにいられない
014 1973/11/12(263) 愛さずにいられない
015 1974/01/28(273) こころの叫び
016 1974/02/25(277) こころの叫び
017 1974/04/08(283) 告白
018 1974/06/17(293) 告白
019 1974/07/15(297) 愛ふたたび
020 1974/09/09(305) 愛ふたたび
021 1974/10/21(311) 甘い生活
022 1974/11/18(315) 甘い生活
023 1974/12/09(318) 甘い生活
024 1974/12/30(321) 甘い生活
025 1975/01/13(323) 私鉄沿線
026 1975/02/17(328) 私鉄沿線
027 1975/03/17(332) 私鉄沿線
028 1975/04/07(335) 私鉄沿線
029 1975/05/12(340) 哀しみの終るとき
030 1975/06/16(345) 哀しみの終るとき
031 1975/07/14(349) 夕立ちのあとで
032 1975/08/18(354) 夕立ちのあとで
033 1975/09/22(359) 夕立ちのあとで
034 1975/10/13(362) 美しい愛のかけら
035 1975/11/10(366) 美しい愛のかけら
036 1975/11/24(368) 私鉄沿線<※日本歌謡大賞特集>
037 1975/12/08(370) 美しい愛のかけら
038 1976/01/12(375) 美しい愛のかけら
039 1976/02/09(379) 女友達
040 1976/03/01(382) 女友達
041 1976/04/12(388) 女友達
042 1976/04/26(390) 女友達
043 1976/06/07(396) きらめき
044 1976/07/26(403) きらめき
045 1976/08/30(408) きらめき
046 1976/09/13(410) 針葉樹
047 1976/10/25(416) 針葉樹
048 1976/11/22(420) 針葉樹
049 1976/12/13(423) 針葉樹
050 1977/01/17(428) むさし野詩人
051 1977/02/21(433) むさし野詩人
052 1977/03/21(437) むさし野詩人
053 1977/04/11(440) 沈黙
054 1977/05/16(445) 沈黙
055 1977/06/06(448) 沈黙
056 1977/07/25(455) 季節風
057 1977/08/08(457) 季節風
058 1977/09/05(461) 季節風
059 1977/10/03(465) 私鉄沿線/昭和枯れすすき(with森昌子)
060 1977/10/17(467) 風の駅
061 1977/11/28(473) 風の駅
062 1977/12/19(476) 風の駅
063 1978/01/23(481) 風の駅
064 1978/02/20(485) 愛よ甦れ
065 1978/03/27(490) 愛よ甦れ
066 1978/04/24(494) 泣き上手
067 1978/05/15(497) 泣き上手
068 1978/06/12(501) 泣き上手 
069 1978/07/03(504) 泣き上手 
070 1978/07/24(507) 泣き上手
071 1978/09/04(513) グッド・ラック
072 1978/10/09(518) グッド・ラック
073 1978/11/27(525) グット・ラック
074 1978/12/18(528) 送春曲
075 1979/01/08(531) 送春曲
076 1979/02/05(535) 送春曲 
077 1979/03/05(539) 送春曲/愛あればこそ(with安奈淳/西城秀樹/郷ひろみ)
078 1979/04/02(544) 真夏の夜の夢
079 1979/05/07(548) 真夏の夜の夢
080 1979/06/04(552) 真夏の夜の夢
081 1979/07/02(556) 女になって出直せよ
082 1979/07/30(560) 女になって出直せよ
083 1979/08/20(563) 女になって出直せよ
084 1979/09/17(567) 青春の一冊
085 1979/10/01(569) <不詳>
086 1979/10/08(570) 青春の一冊
087 1979/11/05(574) 青春の一冊
088 1979/11/26(577) 青春の一冊
089 1979/12/17(580) 青春の一冊
090 1980/01/21(584) 青春の一冊
091 1980/02/11(587) 愛の証明
092 1980/03/03(590) 愛の証明
093 1980/05/12(600) コーラス・ライン
094 1980/06/09(604) さすらい気分
095 1980/07/07(608) さすらい気分
096 1980/08/18(614) さすらい気分
097 1980/09/01(616) 愁雷
098 1980/11/03(625) 愁雷
099 1980/12/08(630) 愁雷
100 1981/01/19(636) 序曲・愛
101 1981/02/16(640) 序曲・愛
102 1981/03/16(644) 序曲・愛
103 1981/04/27(650) 氷をゆらす人
104 1981/07/06(660) 氷をゆらす人
105 1981/08/10(665) 裏切り小僧
106 1981/09/07(669) 裏切り小僧
107 1981/11/16(679) 裏切り小僧
108 1982/01/11(687) ダイヤル177
109 1982/02/01(690) ダイヤル177
110 1982/03/22(697) ダイヤル177
111 1982/05/24(706) ふるえて眠れ
112 1982/06/21(710) ふるえて眠れ
113 1982/08/02(716) 舞
114 1983/01/31(741) 19:00の街
115 1983/03/28(749) 19:00の街
116 1983/05/23(757) 過ぎ去れば夢は優しい
117 1984/04/30(805) 一人が好きですか
118 1986/12/24(941) 涙のチケット
119 1987/01/07(943) 世界は日の出を待っている<※マンスリー>
120 1987/01/14(944) A SONG FOR YOU<※マンスリー>
121 1987/01/21(945) 新宿午前四時/ミッドナイト・ロックンロールショウ<※マンスリー>
122 1987/01/28(946) 涙のチケット<withジェラルド・ジョリング、※マンスリー>
123 1987/03/04(951) 涙のチケット
(追記)1972/06頃(放送日不明) 青い日曜日

野口五郎は1971年、15歳のときに「博多みれん」で歌手デビューをしました。デビュー当初は演歌歌手として売り出していましたが振るわず、2曲目「青いリンゴ」では歌謡曲・ポップス路線へ転向。この路線転向は成功し、この歌は大ヒット。一躍、新世代の男性アイドル歌手の旗手として、彼とほぼ同世代の女子学生らを中心として人気を獲得、スターダムを駆け上がることとなります。

夜のヒットスタジオ初登場は1971年9月。"新御三家"の中で最も早いに夜ヒット初登場でした。
翌1972年に入り、"新御三家"のあとの二人、西城秀樹・郷ひろみもデビューし、この年の年末には両者ともに夜ヒットにようやく初登場。これ以降、1980年代初頭までは、野口、西城、郷の誰か一組がほぼ毎週必ず交互に番組にキャスティングされている、という状況が続き、この時代の夜ヒットの出演歌手の中でも「看板スター」ともいえる存在でした。

1974年の「甘い生活」、続く1975年の「私鉄沿線」以降は、単なるアイドル歌手としての殻を破り、当時流行の真っ只中にあったフォーク・ニューミュージックの流れを自身の歌の世界に取り込み、「針葉樹」「むさし野詩人」「風の駅」など叙情的な雰囲気の強い楽曲を次々とヒットさせ、徐々にアイドルとしてのイメージから若手随一の実力派男性シンガーとしてのイメージへと、世間の認識も変化し、玄人からも高い評価を得るようになりました。他方、小学生の頃より楽器の演奏を趣味で始め、アマチュアバンドの活動も行っていた、という類稀なる音楽的センスも注目をされ始め、「真夏の夜の夢」「女になって出直せよ」では自前のバンドを率いて、ギター演奏をしながら歌を披露しています。

しかし1980年代に入ると、他の"新御三家"の二人、西城秀樹、郷ひろみが好調なレコードセールスを維持する一方で、野口についてはセールスが衰退していくようになり、1982年には1972年から10年連続出場してきたNHK紅白歌合戦にも落選、1970年代までは常連としてノミネートされてきた各音楽賞レースからも遠ざかり、徐々に活動の軸も音楽業から俳優・タレント業へとシフトする傾向が強まっていきました。夜ヒットに関しても、1982年8月の「舞」での出演以降は、(「たのきんトリオ」の台頭などといった他の要因も影響していますが)、出演機会が大幅に減少してしまいました(但し、1983年の初頭に発表した「19:00の街」は、自身主演のドラマ主題歌として売り出されたことも功を奏して、久々のヒットとなりました)。

番組が2時間枠へ拡大してからてしばらくの間は、出演機会は殆ど皆無という状況が続いていましたが(因みにこの時期には、バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ」(日本テレビ)にレギュラー出演し、タレントとしての新境地を開拓していました)、当時の番組関係者があるとき、彼のコンサートを見に行ったところ、その音楽的センスの秀逸さに至極感動し、これをきっかけとして、1986年末、2年8ヶ月ぶりに当時の新曲「涙のチケット」をひっさげて番組に登場。このときのステージングは好評を博し、翌1987年1月期のマンスリーゲストにも抜擢。それまでの彼の歌手としてのイメージを敢て封印し、ロック色の強いナンバーを披露し、「音楽家・野口五郎」としてのセンスの良さを存分に視聴者にも知らしめました。

彼は極度の緊張症であることでも知られており、特に夜ヒットに出演するときは、緊張のあまり自分の出番が終るまでは身体の震えが止らなかった、と番組最終回の際にも回顧しています。「真夏の夜の夢」でギター演奏を披露した際に、終ったあとも、興奮と緊張が入り混じって指が小刻みに振るえている様子が映し出されていた様子が、以前のCS再放送でも流れていましたが、スマートな雰囲気の中に潜む、音楽というものに対するストイックなまでの意気込みの強さが、まさに彼にしか出せぬ持ち味であったと言えると思います。

最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マンスリーゲスト (okapi)
2008-01-18 02:10:10
そんな裏話があったのですね。
コーラスライン辺りからファンを離れてしまっていたためその後の貴重な映像はまったく記憶にありません。CS再放送も逃しておりますし。なんとか観る機会は得られないものでしょうか。
1月17日は記念すべき、Goroさんとの初のツーショット写真が撮れた思い出の日。むさし野詩人のときのGoroさんの楽屋を訪れた日です。
そんな日にこちらのサイトにめぐり会えたのもご縁なのでしょうね。
野口五郎のマンスリー抜擢裏話 (resistnce-k)
2008-01-18 06:03:39
この辺りの話は、芳村真理の著した「芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE」にも触れられていて、それを下敷きにこの記事を書きました。

1987年1月期のマンスリーのときは、あえて、それまでのヒット曲を披露することはせず、彼の本来の音楽家としての色を全面に押し出すために、ロック色の強いナンバーのや演出が多用されていて(特にジェラルド・ジョリングとのジョイントなど)、それまでのバラード系歌手としてのイメージを持っていたファンからは多少違和感があったようですが、こういった抜擢にいたる裏事情を見る限りでは、当時の夜ヒット製作陣はあえて「歌手」としてではなく「音楽家」としての高い才能を是非紹介したいという意味合いで抜擢をした可能性が高いのかもしれませんね。

自分が一番野口五郎のナンバーでいい楽曲だな、と思ったのは実はかなりマイナーな部類ですが、1981年の「氷をゆらす人」という唄。このときの夜ヒットのシーンも是非見てみたいんですけどね・・・。
これはバラード系を得意としていた野口五郎ならではのしっとりとした曲調で、しかしながら、それでいてそれまでの「若者群像」というイメージからは脱却した「大人の世界」を表現したような歌でもありで、何気に1度どっかのCSの番組とかで聞いたときに印象に残った歌なんですよねえ・・・。
五郎の最大ヒットは・・ (ゆずぴー)
2008-03-05 00:13:25
私鉄沿線ではありません。甘い生活です。
コーラスライン (ひでりん)
2009-04-19 21:57:44
「コーラスライン」は一回しか歌わなかったのだね。
発売して一か月ちょっとで「さすらい気分」出したから生で歌う姿はめったになかったけど、CSで見れてラッキーです。ファンクラブの人と一緒になって輪を囲んで幸そうに歌ってる姿が印象的で忘れることできません。
御三家でユニットは作らないの (トマト)
2009-07-12 01:24:17
きっと、凄いね…ゴローヒロミ ヒデキ
80年6月9日放送分 (夕立ちのあとで)
2012-03-03 23:37:40
素晴らしいデータありがとうございます。

ところで80年6月9日放送分は「コーラスライン」をうたっていると思います。
CSの放送でも確認しましたしフジテレビのHPのリストでもそのようになっていました。
コーラスライン (野口五郎)
2018-05-31 16:44:38
野口五郎さんの、ファンです、これからも、頑張って下さいね!西城秀樹さんのぶんもね、

コメントを投稿