利休の茶室日記

侘び寂びを求めて、何を思う

和敬静寂

2005-10-26 | 出会った本
『和敬静寂』千利休のことばです。
わが国の茶道の祖と言われる珠光は「謹敬静寂」と好んで言っていました。
その志をついだ千利休は、一字を改めて「和敬静寂」と説きました。
松平泰道師は、和を和やかとか、仲よくというのでは不十分で、料理の「和え物」のように、二つ以上の材料を合わせて、まぜて「第三の味」も美味を引き出すように、それぞれの材料が一緒になって互いの好さを引き出し、合わせてさらによい味をだすのが「和」だと説かれています。
和が実感できると、自然に自分以外の人の秀れた点を尊敬できます。
和して敬すると誰の心も清々しくなります。
そしてそこには、心の寂けさが生まれます。
寂とは淋しいのではなく、あたたかな静けさなのです。
そうした心境になれば、煩悩が静められ、知恵が生まれてくるのです。
そこで和敬静寂が禅のこころをといわれて、茶のこころといわれるようになりました。
『命のことば』瀬戸内寂聴さん著から


遠い遠いむかし
テレビもラジオも、そして電気もなかった時代
その自然の中に生きた人の感性は
とても研ぎ澄まされて
こころで自然をみつめ
こころで自然を聴き
こころで自然を感じて
あたたかな静けさを見出していたのでしょうか
わたしも人工の音や映像のない世界で
煩悩を静めてみようと
どこへ行けばいい?



街の小さな変化

2005-10-26 | 住環境
私たちの住んでいる街、働いている街
そこに意識を向けてみると
日々の小さな変化が起きていることに気がつくことがあります。
この地で昔から続いてきた変化なのか
日本の高齢社会をしめす変化なのか
様々です

変化は居住者の変化です
また街の変化に伴い居住者の生活が変化してきます。

そこで暮らす高齢者へ
この変化がもたらす生活

手作りのお弁当屋さんができて
生き続けることができたと、安心した人がいるはず

大型店が、ひろい駐車場を用意して開店しても
高齢者はそこへ行くことはむずかしく
地元の商店街で、立ち話を楽しみます

確かな商店街の役割が存在している
そう思います