利休の茶室日記

侘び寂びを求めて、何を思う

和敬静寂

2005-10-26 | 出会った本
『和敬静寂』千利休のことばです。
わが国の茶道の祖と言われる珠光は「謹敬静寂」と好んで言っていました。
その志をついだ千利休は、一字を改めて「和敬静寂」と説きました。
松平泰道師は、和を和やかとか、仲よくというのでは不十分で、料理の「和え物」のように、二つ以上の材料を合わせて、まぜて「第三の味」も美味を引き出すように、それぞれの材料が一緒になって互いの好さを引き出し、合わせてさらによい味をだすのが「和」だと説かれています。
和が実感できると、自然に自分以外の人の秀れた点を尊敬できます。
和して敬すると誰の心も清々しくなります。
そしてそこには、心の寂けさが生まれます。
寂とは淋しいのではなく、あたたかな静けさなのです。
そうした心境になれば、煩悩が静められ、知恵が生まれてくるのです。
そこで和敬静寂が禅のこころをといわれて、茶のこころといわれるようになりました。
『命のことば』瀬戸内寂聴さん著から


遠い遠いむかし
テレビもラジオも、そして電気もなかった時代
その自然の中に生きた人の感性は
とても研ぎ澄まされて
こころで自然をみつめ
こころで自然を聴き
こころで自然を感じて
あたたかな静けさを見出していたのでしょうか
わたしも人工の音や映像のない世界で
煩悩を静めてみようと
どこへ行けばいい?



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2 コメント

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いつもありがとうございます (あんこときなこ)
2005-10-29 10:11:59
《和》単純に仲良くと解釈してました。それ以上追求することはありませんでしたが納得です。
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>あんこときなこ様 (利休)
2005-10-31 19:25:53
とても素直でシンプルな解釈をいただいて、私もよく理解ができました。ありがとうございます。
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