利休の茶室日記

侘び寂びを求めて、何を思う

風水再考

2008-02-11 | 出会った本
かつてお付き合いのあった知人が書いた風水の本を読みながら
もう一度勉強してみようと思う風水
まずはオフィス環境をOKチェックから確認

机の配置も見直そう


結婚式で愛を考える

2007-11-24 | 出会った本
勤労感謝の日、若い職員の結婚式に出席した。

久しぶりに「愛」という言葉をたくさん聞いた日だから
作家・曽野綾子さんの著書による
「愛」には、3つの「愛」があるということを思い出した。

「エロス」、「ラブ」、「アガペ」

ここで私たちが受け止めなければならないのは「アガペ」=「博愛」、「フィランソロフィー(人類愛)」の「愛」

アガペとは「求めるところのない無償の愛。見返りを求めず、一方的に与える愛」

若いときの動機は「エロス」、それが「ラブ」に発展していく。しかし人生を通して必要なのは「アガペ」
戦争のない社会のために、マザーテレサからも学んだ愛の真実

そんなことを考えながら、結婚式に身を置いてみる

出会いの成就のかたち。



デッドエンドの思い出

2007-08-24 | 出会った本
新幹線乗車前、東京駅構内にある書店で買い求めた本
疲れた心身に適度に刺激と興味を与えてくれるもの

あては全くなかった。
その日、目にとまって手にした本は、よしもとばななさんの「デッドエンドの思い出」という短編集

先日、河合隼雄さんとよしもとばななさんの対談集を読んで、そのユニークさが記憶に残っていたためかもしれない

3時間の読書の時間を終え、新神戸に到着
形には分らない、小さな変化

ひとりでもやる、ひとりでもやめる

2007-08-05 | 出会った本
小田実さん著「ひとりでもやる、ひとりでもやめる―『良心的軍事拒否国家』日本・市民の選択」
5年くらい前、芦屋で行われた小田実さんの講演会で購入した本
このタイトルの意気込みがあれば、平和を守ることができる
そして温暖化の地球も守ることができる


この著書の中で、小田実さんが述べていることの一部を紹介。

「平和主義」か「戦争主義」か?

「経済大国」から「平和大国」へ・転換の「世界構想」
日本人の力が世界全体を支えているのであるから、日本人の考えも『世界全体』を支えなければならない。わたくしたちは『世界全体の歴史』を自分のものとして、考えなければならない。
このとき二千年も以前の漢人が書きしるした『史記』がわたくしたち日本人に呼びかけてくる。
『全体のことを考えましょう。世界のことを考えましょう。わたくしたちには充分、その力があるのですから』(武田泰淳著「司馬遷」の『史記』の世界構想)

そう言えば
小田実さんは、会合の昼食時に
「英語で自己紹介をしよう」と提案されたことがあった。
英語が話させない私は中学英語レベルで自己紹介をしたが、ニコニコ聞いてくださった。
その時に小田実さんは「英語の大切さ」をおっしゃったような気がする。
この「世界を知る」という大切さを、自らも実践された話を教えてくれた。

平和を守るために世界を知ること
そのために他国の言葉を理解すること
英語だな、まずは。


ラジオは脳にきく

2007-03-26 | 出会った本
頭脳を鍛える生活習慣術
「ラジオは脳にきく」
和歌山県立医科大学脳神経外科教授板倉徹著
(東洋経済新報社)

ラジオ派の私には、共感できるありがたい本です
こうしてブログに投稿している間も後ろからラジオの音声情報が流れています

「ながら聴取」

ラジオを聴きながら、パソコンのキーボードを打つ
歯磨きをしなら、今日の天気を確認する
着替えをしながら、交通情報を知る

そうそう、ラジオから昨日起きた石川県の地震情報が即時にはいります。
これがラジオの強みでもあります。

災害にラジオ

私はAMラジオ派
そしてラジオを通して、様々な出会いや発見があります。

ブンナよ、木からおりてこい

2006-02-13 | 出会った本
「ブンナよ、木からおりてこい」水上勉原著から


水ぬるむ 春 大きなしいの木の下に
小さな池がありました

池には たくさんのカエルの子どもたちが
なかよく暮らしています

木登りが得意なカエルのブンナは
ある日高いしいの木のてっぺんまで
登ることにしました
木の上はとても広くて 土もあり草も
生えていました

遠くの景色がとても美しく
すばらしいながめでした

しかし この木の上はおそろしいトンビの巣でした

トンビにつかまり運ばれてくる 傷ついた
スズメ モズ ネズミ ヘビ…
誰もが生きるために必死でした
自分一人が助かるために苦しみ 悲しみ
憎しみ 叫び… 木の上では いろいろな
できごとがありました

ブンナは助けあって生きることが
どんなに大切なことかわかりました

秋がすぎ冬がすぎ 春になってブンナは
しいの木からおりてきました…


水上勉さんの本から学んだことがいくつかあります
自然との対話
昔は多くの人が
自然の中で
自然とたくさん対話していたんでしょうね
情報の発達は
自然との対話を後退させたのかもしれない

自然と対話する感性をもう一度取り戻そう
子供のときのように。

和敬静寂

2005-10-26 | 出会った本
『和敬静寂』千利休のことばです。
わが国の茶道の祖と言われる珠光は「謹敬静寂」と好んで言っていました。
その志をついだ千利休は、一字を改めて「和敬静寂」と説きました。
松平泰道師は、和を和やかとか、仲よくというのでは不十分で、料理の「和え物」のように、二つ以上の材料を合わせて、まぜて「第三の味」も美味を引き出すように、それぞれの材料が一緒になって互いの好さを引き出し、合わせてさらによい味をだすのが「和」だと説かれています。
和が実感できると、自然に自分以外の人の秀れた点を尊敬できます。
和して敬すると誰の心も清々しくなります。
そしてそこには、心の寂けさが生まれます。
寂とは淋しいのではなく、あたたかな静けさなのです。
そうした心境になれば、煩悩が静められ、知恵が生まれてくるのです。
そこで和敬静寂が禅のこころをといわれて、茶のこころといわれるようになりました。
『命のことば』瀬戸内寂聴さん著から


遠い遠いむかし
テレビもラジオも、そして電気もなかった時代
その自然の中に生きた人の感性は
とても研ぎ澄まされて
こころで自然をみつめ
こころで自然を聴き
こころで自然を感じて
あたたかな静けさを見出していたのでしょうか
わたしも人工の音や映像のない世界で
煩悩を静めてみようと
どこへ行けばいい?



信仰と宗教は同じではない

2005-10-16 | 出会った本
宗教と信仰を取り違えなさんな。

信仰というのは信じて仰ぐと書くんだけれど、
神、仏を信じて仰ぐだけじゃなくて、
自分をも、
神、仏の一員として信じて
仰ぎ尊ぶだけの自分に日々これ努めていって
反省して、
心を練り上げていくのが
信仰の作業だと。

そしてそれを手助けするために宗教がある
宗教はそれをただ商売にしているだけなの。

それを割り切って、これはこれ、
あれはあれと考えなさいと言うと
みんな
目からうろこが落ちるみたいですね。
「ぴんぽんぱん ふたり話」(瀬戸内寂聴さん、美輪明宏さん著)から


瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さん、
このお二人の話はとても分かりやすい。
真実を、いとも簡単に言い切るからだろうか?

それにしても、今は亡き尊敬する方から
「信仰と宗教は違いますよ」と言われて
とても難題そうに思えて
ずっと、その課題に触れずにきたけれど
スーッと、答えが見つかった
そんな、感じです。

流通革命から平和を

2005-10-05 | 出会った本
野田正彰先生の「経営者人間学」(ダイヤモンド社)という本があります。
1988年1月初版発行となっていますので、かれこれ18年以上も前に書かれた本です。
野田先生が15名の著名な経営者にインタビューを行って、サブタイトルとなっている「リーダーはいかにして創られるか」をテーマにまとめ上げられています。

一番に登場するのが、先日他界された中西功(こうは、エに刀)さん。
すでにダイエーが業績悪化後のインタビューです。私財を投じて流通科学大学を創設し、アジア、アフリカからも留学生を受け入れ、国際舞台で活躍する流通の専門家を養成することにより、中内さんが「流通から暮らしと命と平和を守る」ことをめざしたいと語っています。

「先進国は食卓の半分は捨てとる」
「途上国の流通過程では、産地から消費地まで運ぶのに半分は捨てとる」
「だから流通の近代化が世界規模で進めば、世の中、少しはよくなるだろう」と。

ダイエーは創業から30年たち、巨大化。組織的なオペレーションなど近代的な経営手法が導入され、中内さんの情熱的な行動の根源にあった、自分と企業(構成員)との流通革命のための同志的一体感は失われつつある。
だから青年期の”志”の世界へ立ち戻ろうと、流通科学大学の開校をめざしたのだ、と野田正彰先生は分析しています。

私は、その後の18年間の歩みを知りませんが、
中内功さん、どうぞ安らかにお眠りください。

きっと流通革命から戦争のない平和が訪れることを祈りつつ、
志と人は育っていることでしょう。

共感

2005-09-14 | 出会った本
医療関係者に対する終末医療についてのアンケート調査結果
(『21世紀に生きる君へ』広木克行さん著から)

「ひとりのお年寄りから、
『私はもうダメなのではないでしょうか』と聞かれました。
あなたならどう答えますか」

①「そんなことを言わないで頑張りなさい」と言って励ます
②「そんなことを心配しないでいいんです」と答える
③「どうしてそんな気持ちになるの」と言って聞き返す
④「これだけ痛みがあるとそんな気にもなるね」と同情を示す
⑤「もうダメなんだ」そんな気がするんですね」と聞き返す

精神科医を除く内科や外科のほとんどの医学生は①
看護師と看護学生のほとんどが③
カウンセリングの知識を持っている精神科医のほとんどは⑤

聞くということは、何ものかに耳を傾けるという単純に受動的な行為ではない。
聞くということは、それは自分の言葉を受けとめてもらったという確かな出来事になる。

すなわち「共感」すること。

私たちは、「共感」する前に、一生懸命に励ましたり、説得したり。
そして自分だけが納得して、「うん、うん」とうなずく。
そうじゃなくて
「共感」するこころをひろげたい。