Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2010年6月号  エリトリアのナショナルサッカーチーム、不運な巡り合わせ

2010年11月17日 | 最新ニュース
彼らは国の大使として母国を旅立った。国旗を担い、エリトリアの栄光を示す模範生として世界に旅立った。

彼らはエリトリアサッカーの頂点に立つ選手たちだった。世界は彼らのもの、輝かしい未来を掴むはずだった。ところが今、彼らはカクマ難民キャンプで難民として暮らしている。CECAFA(東部・中部アフリ・サッカー協会)のシニアチャレンジカップで堂々と代表を務めたその国に、戻るのを恐れている。何という皮肉だろう。

わずか数か月前、この若者たちは多くの観衆を集め、ファンはこぞって彼らの素晴らしい技術と才能に大歓声を送った。ナイロビスタジアムで見せた彼らの才能は、国の代表になるチャンスに恵まれなかった選手たちの羨望の的だった。そんな彼らが、そのトーナメントのあと、祖国に帰れずにいるというのは悲劇以外の何ものでもない。トーナメントの結果起きた様々な事件のせいで、彼らはトゥルカナの乾燥地帯のど真ん中にあるキャンプに、直行することになってしまった。

エイトリアのサッカーチームのこの悲劇的な物語が示唆しているのは、ただ1つ。最近は、誰に何が起きるかわからない。その社会的地位からさえも追いやられる事があるということだ。彼らはスーパースターだった。人生の大部分を、国の代表として賞賛されてきた。しかし今、彼らのそれだけの地位をもってしても、人生の厳しい現実から自らを救うことができないでいる。着る物と言えば今着ているナショナルチームのユニフォームだけ。今彼らは鮫のように集まり、WFP(世界食料計画)から支給される食料でしのいでいる。「これは、国家に対して果たさなければならない責務なんだ。国家の希望を一身に背負う者は、その結果も引き受けなければならない」と、選手の一人が反論してきた。彼らはこのトーナメントで最高の成績を期待されていたのに、ウガンダに敗れた。彼らはベストを尽くしたと認めてはいるが、彼らに課せられた条件はあまりにも高すぎた。運命の定めで、彼らは期待に添えず、次善の策として、避難所を探すことになった。

彼らはキャンプ管理部の事務官に連れられて、カクマ・レセプションセンターに到着。新たに到着した人たちがみな通る道をたどることになった。涙を流す者もいた。彼らは自分たちの身に起きたことが信じられずにいた。それを見たUNHCRの事務官が慰めに来た。略歴調査を受け、UNHCR保護センターに行くまでの間、一時的な避難所が与えられた。

彼らは人生の苦しい現実に向き合っている。ほとんどの選手はこんなことになった経験を誇りに思っている。弱者と共に耐える機会を与えられたからだ。「人はある時点で人生の拠り所を持つものだ。そして結局、神は私に扉を開いてくれた。私は苦しむ難民たちを擁護し、博愛の道一筋で生きていくつもりだ」と、匿名希望の選手がKANEREに話してくれた。


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