ろごするーむ

聖書のみことば と 祈り
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子供説教「バプテスマのヨハネ」マタイ3:1-6

2007-12-09 07:48:13 | 子供の説教
■待降節第二主日/子供説教/2007.12.9.

これはアドベントカレンダーといいます。毎日一つずつあけます。そうして、クリスマスを待っているのです。クリスマスを待つというのは、主イエス様のお生まれを待つことです。昔しユダヤの人々は、神様のお約束された、救い主イエス様のお生まれを長い間待ち続けてきました。

今日は「待つ」ということについて考えてみたいのですが、どうして私たちは「待つ」のでしょうか? クリスマスプレゼントを頂けるのを待ちますよね。クリスマスイブの夜は次の日の朝を楽しみにして寝ますね。わたしたちがまだもっていない、素敵なプレゼントを頂けるのを楽しみに待ちます。きっともう、みんなは今年のクリスマスプレゼントを楽しみにして待っていると思います。
お友達を待つ時もありますね。仲のいいお友達と会えるのはとても嬉しいです。どんなに仲のいいお友達でも、いつもずっと一緒にいれるのではありません。だから、わたしたちは次にお友達と会えるのを、遊びに来てくれるのを楽しみに待ちます。

昔しユダヤの人々は、イエス様のお生まれを待っていましたといいました。イエス様のお生まれを待っていた人々の中に、洗礼者ヨハネ。バプテスマのヨハネとも言いますけれど、ヨハネがいました。洗礼者ヨハネは、イエス様が来れられるのを待っていました。

洗礼者ヨハネは、どのような人だったのでしょうか?
聖書を読むと、ユダヤの荒野で、らくだの毛衣を着て、腰に革の帯をしめ、いなごと、野蜜とを食べ物としていた。そして、ユダヤ中から、人々はヨハネの所に来て、罪を告白し、神様に背を向けていたことを悔い改めて、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたとあります。

洗礼者ヨハネは、荒野で何を叫んでいたのでしょうか?人々は何を聞いて悔い改めて、洗礼をうけたのでしょうか?
洗礼者ヨハネは、ユダヤの荒野でこのように叫んだのです。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」洗礼者ヨハネは、天の国が近づいた。わたしたちの救いが近づいた。だから、悔い改めなさいと言ったのです。

イエス様が来られるのを待つ時に、洗礼者ヨハネは、悔い改めて待つんですよと言いました。心を神様に向けて待つんですよといいました。聖書は、わたしたち人間は、悪いことをして、罪をおかして、神様に背中を向けているといいます。
悔い改めるというのは、背中をむけていた神様のほうへ、グルッとむきなおすことです。お祈りをするというのは、神様のほうにむきなおることです。

クリスマスが嬉しいのは、クリスマスが待ち遠しいのは、ただプレゼントがもらえるからだけではありません。美味しいケーキが食べれるからだけではありません。
わたしたちの罪が赦されるからです。

アダムとエバは罪を犯して、神様からあなたたちは死ぬと宣告されてしまいました。罪というのは、恐ろしいものです。悲しいことですが、人間は、どんなに頑張っても悪いことをしてしまいます。気がつくと神様の方に背中を向けています。
そういう人間、わたしたちを救うために、イエス様がお生まれになった。クリスマスの嬉しい気持ち、待ち遠しい気持ち、それは、このわたしたちの救われた喜びにあるのです。

今日歌う讃美歌は、「かみさまはそのひとりごを」という子供讃美歌です。みんなで一緒に歌詞を読んでみたいと思います。
『①かみさまは、そのひとりごを、よのなかにくださったほど、よのひとを、あいされました。②かみのこを、しんじるものが、あたらしい、いのちをうけて、
いつまでも、いきるためです。』

クリスマスは、神の子イエス様を信じる者が、決して一人も滅びることのないように、天の父なる神様が、イエス様をベツレヘムの馬小屋に生まれさせて下さった。そのことを喜ぶ日なのです。

今日は、洗礼者ヨハネのことを聞きました。
ヨハネは今日も、みんなに向かって叫んでいます。
『悔い改めなさい。天の国は近づいた。』
わたしたちも、神様のほうへと心を向けて、罪を赦されて、クリスマスを待ちたいと思います。


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